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2014年
1月:1,
2月:1,2
3月:1,2,3,4
4月:1,2,3,4
5月:1,2,3,4,5
6月:1,2,3,4


2013年
1月:1,2,3
2月:1,2,3,4
3月:1,2,3,4
4月:1,2,3,4
5月:1,2,3,4,5
6月:1,2,3,4
7月:1,2,3,4
8月:1,2,3,4,5
9月:1,2,3,4
10月:1,2,3,4
11月:1,2

2012年
1-1,1-2,1-3,1-4
2-1,2-2,2-3,2-4
3-1,3-2, 3-3
5月:1,2,3,4
6月:1,2,3,4
7月:1,2,3,4
8月:1,2,3,4
9月:1,2,3,4,5
10月:1,2,3,4
11月:1
2014.4.7(月) 日本(沖縄)
農園の醍醐味

 ウーファーの醍醐味は、朝ご飯用の有機レタスを、食べる直前に畑から採って来られることだ。

 基本的にはとても質素で素朴な日々を送っているのだが、こと有機野菜の贅沢さについては人生のどの時期と比べても群を抜いて豊かに暮らしている。

 日本にいると何が安全な食品で何が本当においしい物なのかが見えにくい。様々なメディアが言葉や映像でプッシュしてくる新製品に翻弄されてしまう。

 日本を離れると他の言語がよくわからない分メディアの攻撃を簡単に無視できるので、雑音がなくなった。

 新しい味のドレッシング製品よりも安全な素材で作った自家製の単純なドレッシングの方が、あるいは、新鮮さを保った冷凍野菜で作ったと謳われているレトルト食品よりも、近所の有機野菜で作った自家製野菜の煮物方が価値が高いという事を心から思えるようになるには、十分な時間とエネルギーが必要だった、私の場合は。


2014.4.8(火) 日本(沖縄)
うっちんと共に去りぬ

 長らく関わっていたうっちん(うこん)は、ようやく全ての作業が終わって本日が出荷の締切日。

 朝から男性陣が袋詰めしていたが出荷約束の昼時になって業者が来ていてもまだ作業が終わらない。お父さんと関係者の男性が業者相手にお茶を飲みながら時間引き延ばし作戦を決行する間、我々女性陣も加わって袋詰めすることになった。

 Dは今日の夕方の高速バスで那覇に経つというのに、ぎりぎりまで仕事を手伝う事になった。

 具体的には知らないが、過酷な先進国ドイツの最先端技術の研究の場で熾烈な競争に心身を病んでいたDは救いを求めてアジアを旅していたようだ。週末の飲み会の中で、どんなに自分が辛い思いをしたかととつとつと語っていた。でもまぁ最後に「でも、具体的に何があったか君たちが聞いても僕は話したくないけどね」とくくって、私もAもがくっとこけた。結局私たちは、具体的には何が起こったか聞かされず、結局彼のくどくどとした弱音だけを聞くことになったのだ。そうそう、あの時、あんたのそういう態度が周囲からおとしめられる原因を作ってるんだと言うべきだったなぁ。

 旅の終盤に来て、ここ沖縄で期待以上にどっぷりと日本の田舎生活にひたって別な意味での過酷な日々を送った事は、頭を打って足の痛みを忘れるような荒療治だったかもしれないが、それでもよかったのだろうと思う。Aという楽しいおまけもついてきたしね。

 1時間遅れでようやく作業が終了してランチ。

 ランチ後はDは作業から解放されてシャワーを浴びたり荷造りしていた。私たちも、今朝は男性陣が袋詰め作業のために1時間早く作業を始めて1時間作業が伸びたので、午後の3時間の作業は1時間のみになったので4時に仕事が終了。丁度、出発するDを全員で見送ることができた。

 因みに、今日から新しく農業研修をするためにM子さんという女性が名護から通って来ていた。

 予想外の外国人の存在に加えて、午後4時に作業から戻ってきたら二人の熱い抱擁と接吻を目の当たりにしてM子さんは「一体、ここはどんな所なんじゃ」と驚愕したと後に語っていた。この場にはお母さんもいあわせていたそうで、M子さんと二人で目を丸くしながら顔を見合わせていたのは幸いなことだった。M子さんがいなかったらお母さんは驚きで卒倒していたかもしれないから。

 夜はうっちんの売上金が入ったので一緒に作業をしていた男性の振る舞いで焼き肉パーティーとあいなった。ベジタリアンのAがいるので、皆遠慮して魚と野菜だけの日々を送っていたのだが、過酷な肉体労働が続いてとうとう「肉が食べたい」とお父さんがリクエストしたのだった。同時に廃鶏と野菜をダッチオーブンに入れて炭火で焼く料理も作った。ベジタリアンのAだが、この鶏肉だけは小さい頃にお母さんが作ってくれた料理の味に似ていると食べる事ができた。

にんにく甘醤油味につけこまれた牛肉はめちゃくちゃ旨かった

ダッチオーブンには廃鶏、じゃがいも、人参、玉ねぎ、長ネギの緑の部分と塩、こしょう

Dはお肉が食べられなくて残念。あんなに働いたのになぁ。

ダッチオーブンは火が強くて肉がこげたが、味はすごぶるよかった。


2014.4.9(水) 日本(沖縄)
命名「ワイルド」

 今日から女性三名体制。作業は新しく作ったトマトのハウスが手を入れていないので雑草と不必要な新芽でぼうぼうになってしまっているのを整理する作業だった。しかし、どこが畝でどこが通路がわからないくらいに激しく伸びきっている。この光景に三人は茫然としながらも、まずこのハウスは「ワイルド」と呼ぼうと命名し、作業を開始した。

 通常なら一本のトマトの木から2本の枝を残して全て除去するのだが、トマトの収穫は6月まで。今さら2本まで削減すると収穫量が減ってしまうだろうという予想から4本残すことになった。見てみると多い物で8本くらいも生えている。枝の太さだけで判断すると意外にも多く実を付けた細い枝を削除してしまうこともあり、最終4本を見極める事はとても難しいという事がわかった。

 農業初体験にしていきなりハードルが高い作業につっこまれたM子さんは、さぞや大変だったろう。


2014.4.10(木) 日本(沖縄)
ザ・チーズ・ガイ

 夕飯の席でAが那覇に数日滞在した時に面白いイギリス人のおっちゃんとバーで知り合ったという話になった。

 このおっちゃんは那覇の近くでチーズ工房を営んでいて、その名も「The cheese guy」。Aが見せてくれたリーフレットによると、おっちゃんはチェダーの生まれで小さな頃からもちろんチェダーチーズ三昧。他にも様々なチーズに親しんで大きくなったらしい。その彼がひょんな事から沖縄に住む事になったが、問題はちゃんとしたチーズがない。ならば自分で作ろうと自家製チーズを作って楽しんでいるうちに友人からの口コミでチーズ好きに譲ってくれと話が広がり、本格的に工房を作ってショップにして販売することにしたそうだ。

 ベジタリアンでチーズをよく食べるフランス人のAが「本格的でおいしかった」というのだから、なかなかのチーズが揃っているんじゃないかと、大変に興味をそそられた。問題は、この農園から行くには一人2500円近い高速バスで那覇まで行き、そこからモノレールに乗らなければいけないということ。夫と二人で1万円かけて行くことになる。そんなにお金をかけるくらいなら、ネットでチーズ買えるしなぁ。

 ということで、情報はあるがなかなか行けそうにない。


2014.4.11(金) 日本(沖縄)
人間はパンのみに生きるにあらず

 Dが去ってしまって寂しいねぇ。ヨーロッパに帰ったら一刻も早く会いに行くんだろう?

 お父さんからもお母さんからもそう言われたAは私に「そんな事、考えもしなかった」と告白した。

 それがどこまで本心なのかはさておき、「一瞬で恋に落ちて劇的に結ばれた若い二人」というお父さんとお母さんのロマンチックな想像と現実は実はかなりかけ離れているのだろうが、ま、あえて訂正はしないでおこう。

 そんなAにはDがいる時から新たな問題が発生しつつあった。

 それは食欲問題だ。朝ごはんの後にすぐ空腹でご飯を一杯食べ、10時半にはもう空腹で畑から家に戻ってご飯を丼一杯食べ、昼食、作業後の夕飯前にも空腹で丼一杯ご飯を食べてから夕飯に臨むというパターンがここ4日くらい続いていた。あまりの異常な食欲にお母さんは新たにパニックになりそうだった。しかし、偶然、遊びに来たAがここの前に滞在していた牧場の奥さんにこの異常事態を告げた所、奥さんは「うちでもよく食べてたよ」と言ってからからと笑われて少し救われたようだった。

 二人の奥さんたちはAに「間食しちゃ駄目よ、我慢しないと」と言うのだが、私は原因は栄養不足にあると見ていた。

 ベジタリアンのAは朝食の卵とハムを食べない。サラダとパンだけなのでたんぱく質が足りない。栄養分が足りないと人は空腹感を感じ、それはいくら炭水化物を摂取しても無駄だというのは最近のメディアでの情報。そこで、私はお母さんに頼んでAのために大豆、おからなどを買ってきてもらった。

 大豆を茹でてつぶしたものにオリーブオイルと塩・コショウをして和風ホンモス(フムス)にしてAに食べさせたら、ぴたっと食欲が停止。それどころかご飯茶わん一杯分の大豆は夜まで腹もちして「ご飯がおいしく感じられない」とまでAに言わせる効果があった。これはすごい!


2014.4.12(土) 日本(沖縄)
ベジタリアン用朝ごはんの探求

 ということで、3日くらい前からベジタリアン用朝ごはんの探求を試みている。

 最初はおからに茹でてつぶしたジャガイモ、塩・コショウ、片栗粉を加えて丸めてフライパンで焼いたコロッケ風、これに卵を加えた物、じゃがいもと卵の比率を変えた物などを作ってみた。じゃがいもとおからの比率が2対1くらいがおいしく感じられる。

 次は昨日作ったホンモス。本来はガルバンゾーで作るので味が違うが、まぁ悪くなかった。でもお問題は重すぎること。

 で、今日は王道に戻っておからで卯の花。Aは大阪の居酒屋でこれを食べたことがあり、実はとても気に入ったのだが一体何を食べていたのかわかっていなかったそうだ。味、ボリューム、重さから考えると卯の花が一番気に入ってもらえたようだった。こうしてAの栄養不足問題は解決に向かっていったのだった。

 ところで、Aは数日前からお母さんに今後の予定を問いただされていた。Aは知り合いの牧場にいたのだが、そちらに正規のウーファーが大勢来てしまったので、牧場から依頼されて一時この農園で預かるためにやってきたという経緯がある。数日前に牧場主がこの農園を訪れ、ウーファーが去って人手が必要になったのでAを返してもらいたいと要請があったのだ。

 お母さんからしたら、近所付き合いのある牧場からマンパワーを返してくれと言われたのにいつまでも確保しているのは申し訳ないという気持ちがある。また、次に若い男性ウーファーが来てAに彼のエネルギーを吸いつくされたらどうしようという不安もある。更にAのためになかなか肉食を食卓に出せないのも、そろそろ困ってきている。ということで、Aにはやんわりとだが牧場に戻ったらどうかと勧めていた。

 しかし、Aにしてみれば日本でのワーホリ期間があと3ヵ月あり、一番お金がかからなくて一番居心地がいい場所を模索しているので特にはっきりした予定があるわけではない。選択肢としてはここにいるか、稼げるたばこ工場の仕事の話に乗るか、最近お父さんを亡くした友人を慰めるためにフランスに戻るかと考えているが、選択肢に牧場に戻るのは入っていないようだ。牧場では牛乳とヨーグルトと魚肉ソーセージを与えられていて、本当は乳製品もあまり食べた事がなかったAは常にお腹がぐるぐるして不愉快だったらしい。

 ということで、ずるずるとした話し合いがここ数日展開していたのだが、いよいよお母さんが牧場行きを言い渡すと、突然、フランスの実母に電話して相談した結果、明日の便で大阪、1週間後に東京からフランスに戻るという結論になり、その場で航空券も買ってしまった。

 ということで、週末のダッチオーブンとビールの夕飯は図らずもAのお別れパーティーとなった。

 思い返せばなかなかなお騒がせガールだったが、この超ドメスティックな場所であれだけ自己主張するのはたとえフランス人と言えども骨が折れたことだろう。その気骨のある態度は単なる我儘を超えているとは思う。

 最後の夜は、フランスで親しい友人との挨拶は頬にキスをするんだという話題から、Aとお父さんは挨拶の練習になり、「いやー、これはたまらんなぁ」と目じりを下げるお父さんの横で、再び怒るお母さん。最後の最後まで笑わせてくれた。


2014.4.13(日) 日本(沖縄)
A出発

 あっけなく出発が決まったAは、ラオスで買った編み笠に京都でバイトの同僚からもらったという地下足袋風の靴をはいて、ようようとお父さんの車に乗り込んだ。

 とにもかくにも、お母さんにとって再び平穏な日々が戻ってくることになった。

 そういえば、Aがいる時にどうしてベジタリアンになったのかを尋ねたことがあった。

 Aの家ではお父さんが14歳の時に突然「俺は動物を食べるべきではない」と思いついて以来のベジタリアン、お母さんも経緯は知らないが最近まで魚も肉も食べない生活をする人だったそうだ。そんな両親のもとに生まれて来たAは、当然、与えられる食事がベジタリアンだったので、ほとんど肉を食べた事がないという食生活になったというだけで、特に何か信念があってベジタリアンをやっているわけじゃぁないという説明だった。

 そんな経緯もあるのねぇ。だからAはベジタリアンたるべく必要な知識がなかったのか。親元を離れてこれからベジタリアンとしてやっていくのは、栄養素の知識やら料理の技術やら色々面倒な事が多そうだという事が今回のワーホリ体験で身に染みたらしいAは、「これからはもっと肉も食べて行くような気がする」と言っていた。どうみても肉食系女子だからなぁ、それがナチュラルだと思うのよね、私も。


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