> 詳細内容
2014年
1月:1,
2月:1,2
3月:1,2,3,4
4月:1,2,3,4
5月:1,2,3,4,5
6月:1,2,3,4


2013年
1月:1,2,3
2月:1,2,3,4
3月:1,2,3,4
4月:1,2,3,4
5月:1,2,3,4,5
6月:1,2,3,4
7月:1,2,3,4
8月:1,2,3,4,5
9月:1,2,3,4
10月:1,2,3,4
11月:1,2

2012年
1-1,1-2,1-3,1-4
2-1,2-2,2-3,2-4
3-1,3-2, 3-3
5月:1,2,3,4
6月:1,2,3,4
7月:1,2,3,4
8月:1,2,3,4
9月:1,2,3,4,5
10月:1,2,3,4
11月:1
2013.9.30(月) イタリア(ローマ)
ローマ最終日は大雨

 ローマ最終日は家を出てから大雨にみまわれて、お昼ご飯を食べに立ち寄ったロッショーリ・アル・フォルノで雨宿りすることになった。

 ご自慢のカプレーゼピザも今日は売れ行きが悪いようで、12時半を過ぎても大量に余っている。生地が湿気を吸っていつものパリパリ感がなくなっていて、「雨の日はカットピザを食べちゃだめなんだなぁ」というのが今日の教訓となった。

 本当は少し散策しようと思ったのだが、そういう気をなくさせる本格的な雨模様だったのでアルゼンティーナの近所ですっかりお気に入りとなって通ったVICEで最後のジェラートを食べてアパートに戻ることにした。

 ジェラートを食べて帰ろうとアルゼンティーナ前でバスを待っていたら、ローマ松の向こうの雲が突然切れて嘘のような青空と入道雲が現れてきた。今日は何と言う天気だろう。

 因みにこの遺跡はあのジュリアス・シーザーが刺殺された歴史的な場所だそうだ。ローマ時代の遺跡が放置されている空き地は、今は野良猫のたまり場になって町中にのどかな空間を作っている場所となっている。





2013.10.1(火) イタリア(ローマ)→(ミラノ)
最後まで期待を裏切らない男

 今日はいよいよミラノへの移動の日だ。

 大家のアシュラフには、昨日の時点で今日の午前10時過ぎに出発することを告げていた。家のカギと引き換えに600ユーロのデポジットを返却してくれるように念も押すと、「またお前は俺が信じられないのか」とうんざりしたような表情で「オーケー、オーケー、ノープロブレム」と言っていた。

 そして今朝9時過ぎ。部屋をノックする音が聞こえてドアを開けるとアシュラフの姿がある。そして「デポジットの事なんだが」と切り出してきた。

 キターーーーーーーー

 いわく、300ユーロの現金はあるのだがあと300ユーロのキャッシュが切れていて今手元にない。数日後には入金があるので、とりあえず郵便局の小切手を切るから300ユーロは小切手で受け取ってもらえないだろうかという話だった。「昨日ノープロブレムと言ったのはどの口だぁーーーーー!」っとこみ上げる気持ちを抑えつつ、自分たちは外国人で小切手にはなじみがないので受け入れられないから全額キャッシュにしてくれと申し出た。

 まぁ、無理だとは思ったけれど相変わらず言い訳三昧。隣の部屋のラウラが今月5日にならないと家賃を入れないというし、フランス人は実家に帰って10日過ぎにならないと帰ってこないから10月の家賃が入らないという。昨日の時点でキャッシュ切れしていたのは明らかだったってことじゃないか。「とにかく君の事情はいいから、今すぐ銀行に行ってキャッシュを引き出してくれ!」と夫が言うと、「銀行に現金があったらとっくに払ってる。ないから小切手にしてくれと言ってるんじゃないか」と逆切れに入ってきた。

 じゃぁ、ラウラに今すぐ100ユーロでもいいから現金をくれるように頼もうとアシュラフとラウラの部屋を訪ねると、ラウラは「今は無理!」とまっこうから否定してドアをガチャっと閉めた。

 その直後にアシュラフは「というわけでラウラから100ユーロくるから、今現金300ユーロと小切手200ユーロを切るってことでいいかなぁ」と、のうのうとのたまった。

 いやいやいやいやいやーーーー。コントか?ギャグか?私がイタリア語が全くわからないとでも思っているのかな?

 今、ラウラは「アデッソ、ノー、つまり今は無理ってイタリア語で言ったよね?」と念を押したら「そうだっけ?100ユーロ払うって言ったよ」と言うので、私はすぐにラウラを再び訪ねると「無理なもんは無理って言ったでしょ」とすごい剣幕で言われ、さすがのアシュラフもこの嘘が無理だと悟ったようだった。

 結局、もう100ユーロ現金を出させて400ユーロ現金と200ユーロの小切手を受け取る事で手を打った。アシュラフからしたら2ヶ月前の初日に仕事を休んで私たちを駅まで迎えに行ったことと(私たちはそんな事は頼んでいない)、私たちの友達を空港まで迎えに行ったこと(これもアシュラフが行こうかと言いだしたこと)に対する報酬を全くもらっていないと思っているから(友達は10ユーロ相当のお土産は渡している)、合計で100ユーロくらいは頂きたいと思っているに違いない。すんなりデポジットを返してくれたら、そういう車代支払ってあげようと思っていたのに(といっても30ユーロくらいだけど)そういう気持ちはすっかり失せた。

 不満げな私たちに「もし支払い期日の10月10日に手形が振り出せなかったら銀行振り込みするから口座番号を知らせてくれ」といかにも親切そうにアシュラフが言う。私たちはイタリアに銀行口座など持っていないというと「世界中のどの銀行にでも振り込んでやる」と言うから、国際送金となると手数料が30ユーロとか莫大にかかるんだけれどそれでも振り込むのかと確認すると黙ってしまった。

 そこで私が「もし、手形が振り出せずにイタリア国内への送金を依頼して5日以内に着金が確認できない場合は、あなたが賃貸人募集の広告を出しているサイトに対してこの状況を説明することになる」と言うと、アシュラフは「私の話にifはない。私がこうと言ったら絶対にそうなるのだから、そうならない仮定の話はあり得ない」と言った上で、今回のような事態が起こったのは決して自分のせいではないと語り始めた。皆が自分のように真面目に支払いを起こしてくれたらいいのに、賃貸人は自分に家賃を支払わず、光熱費の会社は自分が支払わないと使用を停止してくる。そんなこんなで私は君にデポジットを返せないのだが、それは「決して」私のせいではないのだと真顔で語った。

 なるほどぉ。と私も真顔で彼の話に聞き入り、「じゃ、着金がなかったらウェブサイトには告知するので」と言いきって話を終えた。完全無欠の平行線。ここまで交わる事がない会話も珍しい。

 試合は10月10日へと持ち越しの形になり、「本当にありがとう、お世話になりました」と形は丁寧にお互いに挨拶を済ませてアパートを出たのだった。本当に最後まで期待を裏切らない男だった。

 アパートから駅まではタクシーで15ユーロほど。目的地まで運んでもらったらメーターの金額を支払う。そこには「もっとくれるはずだろう」とか「今は現金がないから払えない」とかややこしいやりとりはなく、すっきりとした普通の商売の世界だった。

 朝からあんな事があると、普通に金銭のやりとりだけでサービスが得られる世界の簡潔さと素晴らしさに感動すら覚えるのだった。

 ローマからミラノまでは新幹線のような快適な列車で本来なら約3時間。この日は途中で列車がスピードを落としたり停車したりで40分遅れの3時間40分かかった。

 1ヶ月と10日前の8月下旬にネットで購入したチケットの価格は一人39ユーロ。早く買ったお陰で1ランク上の、少し座席幅が広くてお菓子とコーヒーが無料で配られるサービス付きのクラスに乗れた。ローマからミラノまで何とノンストップ。車輛はガラ空きでゆったりと座って景色を楽しめる快適な旅だった。

 ミラノ到着すると今回のアパートを借りるきっかけになった人が駅で待っていてくれた。ミラノのアパート探しは少し苦戦していた。9月に学校などが始まるので9月や10月は長期の同居人を探す人が多い。そんな中で1ヶ月だけ借りたい外国人のしかも中年夫婦なんてプライオリティーが低いにきまっている。イタリア語、日本語、英語のサイトと色んな所をあたっていくうちに、ひょんな事から今回の部屋を紹介してくれる人と知り合うことができたのだった。いやー、ぎりぎり見つかって本当に助かった。

 この親切な人と一緒にアパートまでタクシーで行き、オーナーは仕事で夜帰宅するというので代わりにこの人から家の使い方などの説明を受けた。

 夜になって帰宅してきたオーナーのアンナは50代と思われる女性で、少し話しただけで温かみのある人柄でとてもリラックスできるだった。食事中だった私たちの横でアンナも夕飯を準備して一緒に夕食。私たちが赤ワインとンドゥイヤというプーリア州の豚肉ミンチの辛し漬をふるまうと、プーリア出身の彼女はそれにはこのパンが合うとパンを出してきて、いきなりなごやかにご飯をシェアすることになった。英語が話せないためにオールイタリア語という中で、勘のいい彼女は私の言いたい事をすぐにくみ取ってくれるので、とて話がしやすかった。

 食後、家賃の支払いなどの話になったが、大筋は駅に迎えに来てくれた人に全て説明していて、この人がアンナに話を通していてくれていたのでほとんど問題なく済んだ。しかもアシュラフのややこしい小切手の話もアンナは聞いていて、支払いのうちの200ユーロをその小切手で受け取って10月10日に換金してみてあげるとまで言ってくれた。

 ローマの大家、アシュラフとの終始緊張するやりとりから思えばミラノのアンナは天使に思えてくる。ああ、ありがたや、ありがたや。

 アシュラフは30代半ば。15年前からイタリアにいるということは二十歳でイタリアにやってきた、いわば苦労人かつ野心家だ。お金は取れるところから取っていきたいし、多少人に迷惑をかけても自分の利益を最大限にして、余裕がでたら自分より貧しい人に還元したいとも言っている。彼のそういう前向きな態度を評価したらもっとうまく付き合えたのだろうか、あるいは評価したらもっと甘えられてひどい目にあっていたのだろうか。いずれにしても今年出会った誰よりも強烈なエピソードを与えてくれたという点では、価値ある出会いだった。


2013.10.2(水) イタリア(ミラノ)
ミラノでのウォーキングコース

 ここの所、ウォーキングが滞りがちだったので、ミラノではまた本格的に歩きたいと思っていた。

 昨日到着の疲れもあったが、水曜日は恒例のウォーキングデーでもあるので地図をにらみつつウォーキングコースを決めて歩くことにした。

 アパートの場所は町の中心部やや西寄り。ここから西方面へと歩いてサンシローという日本人にはなじみやすそうな名前の地域にある競馬場まで行き、競馬場の周囲をぐるりとジョギングして歩いて戻ってくるコースで試してみることにした。

 今日のミラノは低気圧に覆われているのか、ローマでは見た事がなかった厚い雲に覆われた灰色の空が広がり、同じ国とは思えない薄暗い陰鬱なヴェールが町を包んで北ヨーロッパの雰囲気を出していた。ああ、違う町に来たなぁ。唯一花屋が明るさを出そうとがんばっている。

 ミラノにも他の町の例にもれず周囲10kmほどの、かつて城壁があったであろう場所が環状線道路になっている。下町の雰囲気があるアパートを出て環状線の西端までくるとパッと雰囲気が変わって華やかな高級店が並ぶ通りに出る。ブティックもブランド、カフェもスタイリッシュ、歩いている犬までお洒落な通りで、中心部にある観光客も多いドゥオーモ近くのモンテナポレオーネなどとは一味違う、地元ミラネーゼが闊歩する場所だった。こういうのは面白い。この高級通りを抜けると大きなローターリーの中央に銅像が見えてくる。銅像の人物は何とヴェルディ―で、このローターリーの一角にヴェルディ―財団と書かれた建物があってどうやら音楽学校のようだった。ヴェルディ―の生家などはどちらかというと北の方だからヴェルディ―財団の拠点がローマではなくミラノというのもわからなくないが、予期せぬ場所でヴェルディ―を見かけるとやはり彼は特にイタリアで偉大な存在なのだと実感する。

 ヴェルディ―のいるローターリーから競馬場までは住宅比率がぐんと高くなり、歩いている人も別にお洒落でもなんでもなくて、いきなり郊外に来たという感じになった。競馬場は細長い楕円形の敷地で、中には入れないが周囲を囲む道路をジョギングしたら丁度いい感じ。そう思う人は多いようでジョギングしている人を何人か見かけた。

住宅街

フェンスの向こうに競馬場が見える場所があった

 競馬場をぐるりと囲む道をジョギングしたらいいと思っていたが、走ってみたら想像以上に競馬場は広かった。ちょっと道を誤ったのもあるが半周するのに20分。いままで10分くらいしかジョギングしていなかったので20分はやりすぎだ。競馬場の西側に回り込むと長い塀が続いて歩道も広く東側よりも歩きやすい。次回からは西側に回り込んでUターンして戻ってこよう。歩いていくうちに競馬場の入口もあり立派な建物も見えた。こっち側が正面だったのね。正面玄関を通り越してなおも続く塀沿いを歩いていくと競馬場を巡り始めた最初の場所に戻ってきた。あとは来た道を引き返すだけ。

競馬場。わかりやすい彫刻。

全ての壁に落書き。レベルが高いからアートといってもいい感じ

 帰りにスーパーに立ち寄ってアパートに到着。今日は3時間半もかかってしまった。

 あまりに寒々しいので久しぶりに野菜スープを作った。たっぷりのオリーブオイルとパルミジャーノをかけて食べるとめちゃくちゃおいしくて身体が温まるのだが、高カロリーなのでダイエットにはならないことを翌朝気付いたのだった。










2013.10.3(木) イタリア(ミラノ)
ミラノのおいしい店〜シーフードとジェラート

 今回のミラノ滞在でのランチ第一弾は、ミラノ在住の日本人ブログで知った「トラットリア・デル・ペスカトーレ」Trattoria del Pescatore。シーフードのお店で、前菜、揚げもの、パスタからメインまで様々なシーフードをサルディーニャ料理として出してくれる店だ。特に伊勢海老のマリネ風Astice alla Catalanaが人気だというのでそれをメインに野菜のグリルを前菜に、他にパスタ2種類とワインを注文した。

 ここでの伊勢海老は茹でたか蒸したものにたっぷりのトマトと玉ねぎとオリーブオイルが絡めてある。トマトの酸味や生の玉ねぎの辛みが甲殻類のきんきんする刺激を抑えておいしく食べさせてくれるのがサルディーニャ島のカタラーナ風らしい。この食べ方はなかなか気に入った。パスタは私のボンゴレが冷凍物の状態があまりよくない物で貝の味も薄くてちょっと残念。夫のシーフードパスタは同じく冷凍物とは思うがアルミホイルに包まれて香りもよくおいしかった。

 サルディーニャではシーフードを食べたら仕上げにサルディーニャ産のペコリーノチーズを食べるそうだ。食事が終わったお客様には小さな樽型のチーズを持ったウェイターが現れては、チーズをスプーンですくって手の平に乗せてくれる。甲殻類やシーフードの後味が残った口の中で別のコクのペコリーノがやってきて共演するという趣向は、海にも山にも恵まれた島ならではの発想で面白くもおいしかった。最後にエスプレッソを注文していると、今度はサルディーニャ産の食後酒のビンを手にした老人が店をまわって私たちにもついでくれた。これもサービス。イタリアにはアマロという甘くて薬草の香りがするアルコール度数25%くらいの食後酒があるが、つがれたお酒はこの類のものだった。

 イタリアの大都市ではシーフードは決して安くはない。このお店でも今日は二人で80ユーロくらいを支払った。しかし、そのうちの32ユーロが伊勢海老だったから、これをやめてパスタだけにしたら半額くらいになるだろう。気さくな店員さんの対応や、チーズや食後酒のふるまいがリッチな気分にさせてくれるいい感じのお店だ。

 この店から徒歩で40分くらい散策しながら次に向かったのは、同じ日本人在住者のブログで知ったジェラートの店。どういうコンテストかわからないが地元新聞にコンテストで第一位を取ったと紹介されたようだ。因みに第二位があのGROMだというのだから興味がわくではないか。

 ジェラテリア・デッラ・ムジカGelateria della Musicaはピスタチオが得意な店だと紹介されていたので、私も夫もピスタチオ2種類プラス別の1種類で挑んでみた。夫が選んだピスタチオは普通の味違いだが、私のはクリームの代わりに米から作ったミルクを使用したものとトウガラシが入ったピスタチオ。トウガラシは刺激が強すぎてピスタチオの味を消してしまいそうでNGだし、米のミルクの方もぴんとこない。夫のピスタチオの方が本来の味がしておいしかった。それにしても、ここのピスタチオは少し味が変わっていて抹茶のような味にも感じられた。

 別の一種類として選択した塩入チョコレートはかなり気に入った。ピスタチオで有名なお店かもしれないが、私としては他の店にない変わり種にこの店の価値を見出した。

 てなわけで、今回のミラノ滞在のレストラン真剣勝負の第一弾は成功だったといえる。

 今日はここから路面電車でドゥオーモまで移動し、ドゥオーモ裏手のエノテカ「Signorvino」でワインを購入。ZARAで服をチェックをしてから、Camperで私のシューズを購入。明後日から1週間のウィーン滞在でオペラ観劇中に履く靴が必要だとずーーーーっと感じていた。夏の期間は10ユーロで買ったサンダルでごまかしていたのだが10月ともなるとサンダルは無理そうで、どうしようかと悩んでいたのだが結局購入。ヒールのある靴を買うのは10年ぶりくらいか?


2013.10.4(金) イタリア(ミラノ)
ポルタ・ロマーナの市

 金曜日はポルタ・ロマーナに市が立つ日。昨日ZARAでみつけたショートコートが気に入って、それに似たものが見つからないかというのが今日の主眼だった。相変わらず灰色の空が広がる重苦しい天気だったが、市に到着するとおおぜいの人が来ていてそれだけで楽しく活気のある雰囲気になっていた。

 ローマ門から一番遠い場所から見て歩くことになったのだが、一番遠い所にいきなり10ユーロ均一のコートを出している店が見つかった。

 MANGO、Kookai、Espritなどのブランドも見られて古着だがまだ着られそうな状態のコートも多い。しかし、思い描いているコートはなかったので何も買わずに次々と店を変えて見ているうちにニットが何点か見つかって購入。

 こうして全ての店を見てしまったが、欲しいタイプのコートは見つからなかった。こんな日もあるのねぇと帰ろうとしたのだが、寒空のミラノを歩き回っていると、あらためて明日から訪れるウィーンの寒さが想像された。そこで、最初に見た店で2枚のコートを買ってしまった。うち1枚はボタンが半分は取れてなくなっている。日本に帰ってボタンを全て買いなおしたら、それだけで10ユーロを超えるだろうな。



 昼過ぎに一度アパートに戻り、昼抜きで午後からはウォーキングにでかけた。先日訪れた競馬場だが西側のみをジョギングしたら10分程度。競馬場の塀沿いは走りやすい。午前中に買った3.5ユーロの黒いトレーニングパンツはすぐに役立った。(写真)










2013.10.5(土) イタリア(ミラノ)→オーストリア(ウィーン)
ウィーンへゴー!

 午前中に荷造りをして、午前11時すぎにウィーンへ向かうべくアパートを出た。

 ウィーン行きを決めたのはかれこれ3ヵ月前の7月の初旬の事だった。ミラノにあるスカラ座で何か音楽を楽しめないかと探っていたら、スカラ座のチケットがとても高価でかつ催しもそんなに頻繁に行われていいるわけではないと知った。ミラノ滞在の間にオペラやコンサートに行くとしてもせいぜい3-4回という感じ。毎回50ユーロ前後の出費、しかも最低価格だと舞台もよく見えないだろうと考えると、ウィーンまで行って4ユーロの立ち見オペラを連日見て帰ってくるのと費用が変わらないんじゃないかと思ってウィーンに行くことにしたのだった。

 3ヵ月前にネットで予約したライアンエアーはイギリスのLCC(格安航空会社)で二人で往復106.64ユーロ。一人片道26.66ユーロ。15kgの荷物をひとつ預けると30ユーロ増しの料金になるので二人で一つだけ預けることにして、支払った合計金額は136.64ユーロとなった。

 ライアンエアーはLCCなので空港はミラノはベルガモの空港を利用する。中央駅からベルガモ空港へはバスで5ユーロ。ウィーンへは隣国のスロヴァキアのブラチスラバ空港に到着する。ウィーン市内へはバスで7.7あるいは10ユーロ(バス会社によって異なる)。計算すると往路(5+5+7.7.+7.7)復路(10+10+5+5)で、この部分の二人分の往復費用は54.4ユーロとなった。

 宿は8人部屋のドミトリーで一人一泊16-17ユーロ。二人で6泊の合計は194ユーロだった。

 オペラは立ち見券が4ユーロで滞在中の5日間通いつめて二人で40ユーロ。

 しめて425.04ユーロ。ミラノで1回一人50ユーロ相当のオペラやコンサートに5回行ったと思えば費用的には同じくらい。ウィーンの立ち見席の方が確実にステージを近くに見られるし、スター歌手が毎日出てくるオペラが日替わりで見られるし、ウィーンに行ったついでにおいしいケーキも食べられるしでウィーン行きを決めてよかったということになる。


牧歌的な雰囲気のブラチスラバ空港。
 午後3時半の便だがミラノ中央駅から小1時間離れたベルガモ空港へ行くことを考慮して午前11時にアパートを出た。トラム、地下鉄で中央駅に行き、駅の建物の右側奥から発車するベルガモ行きのシャトルバスに乗り、ライアンエアーに乗ってブラチスラバへ到着したのは午後5時だった。

 ここからウィーン行きのバスに2時間弱乗って、地下鉄に乗り換えて宿に到着したのが午後7時半過ぎ。ミラノからウィーンまでドアツードアで7時間半は悪くなかった。

 部屋はブラジル人留学生4人組と中国人でドイツに移民して15年というアウディの会社員とイギリス人の若者と同室。ホステルに来るといきなり旅気分になるから面白い。

 荷ほどきはさておき、荷物を置いてすぐに駅に引き返し構内の簡単に食事ができる場所で、フライドチキンとフライドポテトとビールで夕食。

 このフライドチキンはパン粉をつけて揚げてあり、バックヘンデルというオーストリア名がついたオーストリア料理でもある。が、いたってファストフードの味だった。

 宿に戻ってシャワーを浴びたら、もう何もする気力がなくて就寝。さぁ、明日から怒涛の立ち見観劇が始まる。



2013.10.6(日) オーストリア(ウィーン)
シュニッツェルと「セビリアの理髪師」ロッシーニ

 ウィーンの西駅構内にあるフランス風のパン屋さんLe Crobag。ここのクロワッサンがなかなか本格的で気に入っている。

 先月リヨンで本場のクロワッサンを味わってしまった舌では評価はなかなか厳しくなってしまうのだが、ウィーンでこのレベルと考えれば上出来。ということで滞在中は毎朝ここに通うことになった。

 さて、これから5日間は全てオペラの上演時間に合わせて行動する。オペラの上演時間の80分前から立ち見チケットが発売されるのだが、一階立ち見席の第一列目で観劇するには更に2-4時間前から並ぶ必要があった。

 今日は日曜日でオペラの上演が午後4時からと通常より早いので、午後12時半くらいから様子見して並ぶ人が多くなったら並ぼうと思っていた。

 従ってお昼ご飯は11時45分開店のフィグルミュラー支店とした。本店は11時半開店だがビールがなくてワインのみ。「やっぱりトンカツにはビールでしょう!」というおやじ的発想から支店に行くことにしたのだった。本来ヴィーナーシュニッツェルは北イタリアから伝わったとも言われて、子牛で作るものだそうだがこの店のは豚肉。まさにトンカツなのだ。

 相変わらず肉と衣がどこも浮いたりはがれることなくぴたーーーっとくっついている完璧さ。肉はあくまで薄くたたかれて繊維が壊れ、歯にあたることのない柔らかさを均一に保っている。やっぱり、おいしいな、ここのは。

 食べ終わってからスタバーでコーヒーを飲みつつ立ち見席を買うための列をうかがっていたら、午後12時45分に人が増えていたので慌てて並び始めて17番目と18番目の購入者になった。

 チケットを買ってからの並び方で運よく左側の第一列目に場所を確保することができた。

 今日の演目はロッシーニ作曲の「セビリアの理髪師」。確か今までにも見たことがあったのだが、今日はフィガロ役のテノールが声量があるだけでなく演技力があって、他の配役の人も非常にちゃめっけのある楽しい話運びに思わず夢中で見入ってしまった。「セビリアの理髪師」がこんなに楽しく感じられたのは、出演者のレベルの高さもあるが、それと同じくらい英語字幕によって台詞の内容がわかった事が大きい。

 幕間にはシュトゥルーデルと白ワインの発砲水割で休憩。ここの軽食はゲルシュトナーという老舗のケーキ屋が出しているのでなかなかおいしい。それにしても昼間にお店で売っているより1ユーロくらい安いのは、売れ残りをここでさばいているのか?という疑問はあるにしても、まぁおいしいからよしとする。

 幕間から戻ると左隣に一幕とは違うカップルが立っていた。フランス人カップルだった。おそらく幕間で誰もいなくなったので第二幕からは最前列を確保して見ようという事らしい。しかし、ここウィーンの劇場では立ち見の場所を確保すると、自分のスカーフなどを目の前の欄干に巻いて自分の場所をキープできるという優雅なシステムになっている。何時間も前から並んだ人にはちゃんとそれなりの労を報いてくれるこのシステムはとてもいいと思っているのだが、そういう事を知らずに後から割り込んでくる人がいるようなのだ。

 一応「この場所は他の人にキープされているからあなた方はここにいる事はできませんよ」と英語で言ってみたのだが、「この欄干に巻きつけてあるリーフレットの紙?これのどこがキープなんだ!」とくってかかってくるので、後は成り行きを見守ることにした。休憩時間が終わる直前に戻ってきたドイツ語圏の若いカップルと案の定、口論が始まった。数時間前から一緒に並んで同志の気分になっている周りの全員がドイツ人カップルに加担していると知るとフランス人カップルの二人は全く無視を決め込んだ。そこで、若いカップルの男性が係員の女性を呼んできた。背が高く背中まである金髪をさらっと流しているこの女性はきちっとした英語で説明し、反論して「自分たちは最初からここにいた」と言い始めたフランス人カップルに対し、毅然とした態度で「私はこの若いカップルがここに立っていたのを覚えていますから!」と言い放った。ここまで言われたらもうアウトだった。フランス人カップルは周囲の注目を浴びながら退散したのだった。

 後ろに並んでいるスペイン人音楽学生たちは手をたたいて喜び、反対隣のアメリカ人カップルは「グッジョブ!」と親指を突き立てた。

 幕間のこんなエピソードもはさみつつ、大盛り上がりのステージを楽しんだのだった。

指揮者:Michael Guttler

アルマヴィーヴァ伯爵:Juan Francisco Gatell
バルトロ医師:Alfred Sramek
ロジーナ:Roxana Constantinescu
フィガロ:Lucas Meachem
Sorin Coliban | Basilio, Rosinas Musiklehrer
Mihail Dogotari | Fiorello
Donna Ellen | Marcellina
Oleg Zalytskiy | Offizier
N.N. | Ambrogio

Copyright (C) 2008 World Mover All rights reserved