> 詳細内容
2014年
1月:1,
2月:1,2
3月:1,2,3,4
4月:1,2,3,4
5月:1,2,3,4,5
6月:1,2,3,4


2013年
1月:1,2,3
2月:1,2,3,4
3月:1,2,3,4
4月:1,2,3,4
5月:1,2,3,4,5
6月:1,2,3,4
7月:1,2,3,4
8月:1,2,3,4,5
9月:1,2,3,4
10月:1,2,3,4
11月:1,2

2012年
1-1,1-2,1-3,1-4
2-1,2-2,2-3,2-4
3-1,3-2, 3-3
5月:1,2,3,4
6月:1,2,3,4
7月:1,2,3,4
8月:1,2,3,4
9月:1,2,3,4,5
10月:1,2,3,4
11月:1
2012.09.10(月) ミラノ(イタリア)
ミラノ最終日

 今日はミラノ最終日。観光案内所で教えてもらったショッピングエリアは全て回ってしまったし、メルカートも行ったし、数十キロ離れたファクトリーアウトレットも訪れて、今回のミラノ滞在は充実のショッピングエリア探索となった。で、最終日はもう特にやる事なし。

 最後にドゥオーモでも拝んでグロムでジェラートでも食べて終了としよう。

 スカラ座に近いグロムでジェラートを食べてガッレリアに戻ると、中国か韓国のスタッフの下でファッション撮影が行われていた。普段はフツーの観光客が徘徊するガレリアだが、美男美女が立つとこんなにも景色が映える場所だったのかとあらためて感心する光景だった。こういうのが見られるのもミラノ。最後の日にこんな風景が楽しめてよかった。

ドゥオーモ

スカラ座。今回は行く機会がなかったけどね。

グロムはフルーツ系が好きだなぁ。

モデルさんとメーキャップさんとカメラマンとディレクター

 今夜は焼き肉。本当はコチジャンが欲しいところだがないので、中華の豆が入ったジャンで代用。うーむ。満足からはちと遠い。












2012.09.11(火) ミラノ(イタリア)→ニース(フランス)
移動の日

 今日はミラノからニースまで一気に移動した。距離にして318km。朝8時44分にミラノのキャンプ場を出て昼の12時半過ぎにニースのキャンプ場に到着。ほとんどの行程を高速道路を使っての移動だ。この道を走るのも既に3回目くらいになる。ジェノヴァを過ぎてからフランスに入ってモナコを通過してニースに入る部分には見慣れた風景が広がり、やれやれ今年も無事に戻ってきたなぁという気がした。

 ガイドブックに掲載されていないニースで唯一のキャンプ場は、相変わらずシエスタをたっぷりと取る体制でレセプションは閉まっていて、ゆっくりと人が少ない穏やかな空気が流れていた。ミラノよりも確実に気温が高くて、地中海を感じた。

 今日はもう、どこにもでかけなくていいように食料も買いこんでいたので、テントを設定してからはゆっくりとネットしたりして時間を過ごした。4時間もの運転をすると疲れるだろうなぁ。お疲れ様。


2012.09.12(水) ニース(フランス)
ニース老舗の食堂でランチ

 ニースに戻ってきてやろうと思っていたのは、これまで何回か挑戦して行けなかった老舗の食堂でランチをする事だった。

 ニースにはミシュラン1つ星を獲得している日本人シェフ松嶋さんのフレンチレストランがある。この松嶋シェフが自身のブログで大絶賛されている老舗の「Restaurant La Meranda」(住所:4 rue Raoul Bosio Nice - 06000)に行きたいと思っていたのだが、最初に行った時が夏休みで閉まっていて、次に隣の店を間違えてやけに空いていると敬遠して別の店に行ってしまい、3回目が日曜日で閉まっていて、今回やっと4回目にして入れるか?という事になっていた。かなり間抜けな話だ。

 今回こそはと朝11時過ぎに店の前まで行って開店している事を確認していたら、中から御主人が出てきて「予約するかい?」という話になり正午に予約を入れる事ができた。とうことで4度目にしてやっと入る事ができるようだ。

 予約まで1時間くらいあるので近くの市場を見たり、高級ブティックを冷やかしたりして時間を過ごした。そんな短い時間だったが、誰でも使える自転車システムがあったり、電気自動車のシステムがあったりしてニースもなかなか発展しているのが見られた。

電気自動車

自転車

観光客のおばちゃんたち集団。

ビシーっとした作りが造り物のような植物


これが一番気に入ったいわしのファルシ。
 12時。レストランに入るとまだ一人もお客さんはいないが何かがいい香りを立てていて、お花も飾られたテーブルがきっちりと並んでいて、ご夫婦らしいオーナーさんたちと青年の3人が迎えてくれた。

 メニューが書かれた看板をテーブルに持ってきて、英語で説明してくれて注文をする。前菜にいわしのファルシを二人で一皿、メインに夫はオックステールの煮込みオレンジ風味(Fauve de boeuf a l'orange)、私はプロヴァンス風ビーフシチュー(Daube de boeuf Provencal)、お水と私用にグラスワイン一杯、最後にコーヒーを二つ取った。これで59ユーロ。

 ありそうで今まで食べたことがなかったいわしのファルシは絶品だったし、オレンジ風味の斬新さ、プロヴァンス風シチューについてきたひよこ豆の揚げ物もここならではだった。今年リヨンで出会った日本人のフレンチシェフ達の料理は創作的で新しい感覚のフレンチだったが、今日のレストランは伝統的な料理。フランス料理は色々と幅があって楽しい。

 今日のメインイベントであるランチを満足のうちに終えて、町をぶらついてニース終了。


2012.09.13(木) ニース(フランス)
さようならフランス、ってことでBBQ

 いよいよ、明日フランスを出る。今年のフランスでの食事も食べ納めだということで最後の食事はBBQにした。ニース郊外の感動的に巨大なカルフール・プラネットでたっぷり時間をかけて選ぶ。この作業もフランスならではの楽しみだ。

 今日は前菜テリーヌ2種、BBQは鯖、エビ、ホタテ、ズッキーニ、デザートにエポワス・チーズ。ワインは今年お知り合いになったTavel。コート・ドゥ・ローヌ地域のロゼでロゼにしてはものすごく濃い色と見た目からの期待を裏切らないしっかりした味で気に入ったワインだ。

 ここで、ホタテに関するうんちく。

 フランスではホタテ貝をサン・ジャックと呼ぶ。サン・ジャックは英語で言うところの聖ヤコブのことで、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステラ(サンティアゴはスペイン語でヤコブの意味だそうだ)という街にある教会の守護聖人となっている。この聖人のシンボルがホタテ貝なのでホタテをサン・ジャックと呼ぶそうなのだ。

 なぜ聖ヤコブのシンボルがホタテなのかをネットで調べたら、彼が漁師の息子だったからという説や、サンティアゴ・デ・コンポステラで聖ヤコブの遺体が見つかって引き揚げる時に海に入った兵士が海から出てきたら体にびっしりとホタテが張りついていたという説など諸説あるようだ。ま、とにかく聖ヤコブのシンボルはホタテってことで、フランスの4ヶ所から始まってサンティアゴ・デ・コンポステラで終わる巡礼路を歩く人々はホタテ貝の殻をペンダントとして首から下げて歩くことになっている。私たちもサンティアゴ・デ・コンポステラの街を訪れた時に多くの巡礼者を見たのでフランスでホタテガイをサン・ジャックと呼ぶという事を大変に面白いと思った。

 デザートのエポワスはブルゴーニュ地方のエポワス村で生産されるウォッシュタイプのチーズで、原料は牛の乳で、これに塩とマール(ブドウの搾りカスから蒸留したこの地方の地酒)で洗って熟成させたもの。

 表面はオレンジ色でねっとりと湿った感じで、中はコクのある濃い味のチーズになっている。ここニースのキャンプ場では氷が手に入らないのでテント内の涼しそうな場所に置いておいたのだが、それでもスーパーから帰ってきて3時間でここまでトロトロな状態になってしまった。

 まぁ、かえって臭いも味も濃厚に感じられておいしかったけどね。世の中にこんなに「くさ(臭)おいしい」ものが納豆以外にあろうか。

<ウィキペディアより>エポワス(Epoisses de Bourgogne)とはウォッシュチーズの代表格である。熟成中は丹念に塩水とマール(ブドウの搾りかすから蒸留したブルゴーニュ地方の地酒)で洗うことで独特の香りと旨みを凝縮させる。フランスのブルゴーニュ地方の同名の村産。エポワスの中身は穏やかな風味であるが、表皮は個性的で強い芳香を持つ。この芳香はフランスでは「神様の御御足」の香り、イギリスでは「豚の足の指の間」のそれであると表現される。


2012.09.14(金) ニース(フランス)→ブダペスト(ハンガリー)
24時間のバス移動開始

 これまで数年間は、ヨーロッパの夏のキャンプが終了すると飛行機でドイツなりハンガリーなりへ飛んでその地で少し過すということを繰り返していた。今年もニースの後にハンガリーのブダペスト行きを決めてはいたものの、例年に比べるととても荷物が多くてヨーロッパ内を飛ぶ格安航空会社の預け入れ荷物重量制限20kgになんて到底おさまらないことになっていた。LCC(格安航空会社)はどこでも、重量オーバーの荷物に対しては非常に高い料金を設定している。

 多くなった荷物のほとんどはイタリアのメルカートで買い集めた1ユーロや3ユーロという安い価格のシャツやスカートなどの衣類。そんな物のために高価な超過料金を払いたくもないが、まだ捨てたくもなし。

 ということで選んだのがヨーロッパ28ヶ国をカバーしているEurolinesというバス会社のバスで移動するという方法だった。ニースからブダペストという路線があり60ユーロで行けることが判明。ただし、所要時間は24時間。3秒くらい迷ったが背に腹は代えられぬ。ネットでさくっと購入したのだった。

 バスは10時45分にニース国際空港近くから出発する。この朝はテントを畳んで捨てる物を捨てて、車を空港で返却して、空港から無料シャトルバスで5分くらいのユーロラインのバス乗り場に行かなくてはならない。ちょっと忙しいぞ。

 右の写真が最後にキャンプ場に置いていった物たち。テント、テーブル、椅子、延長コード、調理器具、食器、BBQセット。これだけあれば、明日から快適なキャンプ生活がすぐに始められる一揃えだ。もったいないことだが、持って行くにも日本に送り返すにもコストが非常にかかるために置いていかざるをえないのだ。

 このキャンプ場の誰かが活用してくれますように。そういう思いを込めて「Free」と段ボールの切れっぱしに書いてキャンプ場を後にした。



 ニースの空港には2つのターミナルがあるのだが、どちらのターミナルにもレンタカーを返却する場所がある。私達は数日前に車を借りているプジョー・オープンヨーロッパのニース空港支店に電話してターミナル2の返却所で待ち合わせることにした。「ターミナル2」と書かれた大きな看板の下にCar Rental Returnと書かれているので迷う事はなかった。ニースはさすがにハブ空港。Avis、Europcarなどのメジャーなレンタカー会社で借りた人が次々にこの場所に返却するためにやってきていた。ここのアルバイトを始めたばかりのお兄ちゃんはプジョー・オープンヨーロッパの存在を知らないらしく、レンタカー会社はどこかと私達に執拗に聞いてきて困っていた所に先輩係員がやってきてすぐにプジョーに電話して担当者を呼んでくれた。

 以前は傷のチェックとか申告があったのだが、今回申告すると「あー、もう、ぜんっぜん大丈夫です。全部保険でカバーされていますから」と話の内容も聞く様子がなかった。タイヤパンクして、横に釘の引っかき傷があって、前面を少しぶつけてフロントグラスの洗浄剤を入れたタンクに穴があいちゃってるんですけど。という内容も聞いてもらえず。ま、いっか。

 そして、とても親切なことに車を返却したこの場所から別の車でユーロラインの出発する場所まで送ってくれたのだった。この部分で体力を使うと予想していたので、これは相当嬉しかった。

返却場所への看板はわかりやすかった

この兄ちゃんは事情がよくわかってなかった

プジョー担当の兄ちゃんだけと車はVWだった。

無料シャトルバスでも来る事ができる(Gare Lindbergh - 175, Boulevard Rene Cassin)ユーロラインのバス乗り場

 約2ヵ月前、同じくユーロラインのバスでフィレンツェからここに夜明け前に到着した。そして今日またユーロラインで今度はハンガリーのブダペストまで移動する。こういう瞬間、自分が「旅をしている」という実感が沸いてくるのだった。

 出発の午前10時45時を過ぎてもバスが来る気配もなく、どうしたのかと思っていたら離れた場所に座っていた60歳前後の白人カップルの男性がやってきて出発が1時間遅れたと教えてくれた。ついでにおしゃべりしてみたら、彼らは南アフリカからヨーロッパに2週間の予定でバカンスにやってきた御夫婦だとわかった。ドイツに入ってそこから船で地中海にクルージングで出て南仏を少しまわって今から南アまで一気に帰るのだそうだ。ユーロラインのバスでイタリアのジェノバまで行って、そこからピサ行きの普通バスに乗り換えてピサから南ア行きの飛行機に乗るそうだ。

 この男性の情報通り、1時間遅れでやってきたバスはスロヴァキアの首都ブラチスラバ行きだった。運転手に聞いたら、わたし達は1つ手前のオーストリアのウィーンで乗り換えてブダペストに行くそうだ。ウィーン到着は明朝の6時半、ブダペスト行きは7時発予定らしかった。

 明日の朝まではこのバスで移動するとわかったので、とりあえずそれでよし。

 今日は満席なので預け入れ荷物は規定通り2つまでにしてくれと言われ、他に2つの手荷物があった私はバスの中に持ち込むことになった。しかし、追加料金もなくこんなに大量の荷物の持ち込みを許してくれるのだから航空会社よりもずっと感じがいい。幸いにも座席の下の空間が大きくてリュックが1つ入ったのでそんなに辛い体制ではなくなったし、ユーロラインにしてよかった。

 バスは本当に満席だった。半数はスロヴァキア人の若者でニースへの団体ツアーの交通機関としてこのバスを利用しているのだった。朝までクラブで踊ってでもいたのか、数人のスロヴァキア人の女子はバスに乗るなり通路に寝転がって眠ってしまった。

 私達の前の席には南アから来ている夫婦が座ったが、この夫婦の旦那さんは車窓から見える地中海、海へと落ちていく斜面にはりつくように建てられたカラフルな家並み、ハーバーのヨット群などを大興奮で立ちあがって写真撮影していて、彼らの興奮と楽しさでこちらも楽しかった。

 バスはあちこちに止まりながら午後3時過ぎにジェノヴァ着。「母を訪ねて三千里」のマルコ少年が今でもいそうな路地も見える街では、広大な広場の一角が格安バス会社の駐車場になっていた。

ジェノヴァの街

ジェノヴァの街

ジェノヴァの駐車場

ミラノに向かう途中からアルプス山脈の雪山が見える。

 ミラノのバスターミナルは中心地から西側のサン・シローという競馬場に近い場所にあった。私達がほんの数日前まで滞在していたキャンプ場に近いので見慣れた道も少し通ったりする。

 夜になって暗くなると車内映画の放映が始まった。ハリウッド映画なのだが、オリジナルの音声がかなり小さく落され恐らくスロヴァキア語の男性の声が上にかぶさって聞こえるようになっていた。

 最初は映画の概略か何かのナレーションかと思っていたら、何と全編、この男性がナレーションする形式の吹き替えだった。他の国ではオリジナルに即した男性、女性、子供などで吹き替えるのが普通だと思うのに、朗読タイプ。これは初めての経験だった。

 夜10時近くにドライブインで20分の休憩。夕飯には焼き立てのカットピザ。最後にイタリアでピザが食べられると思っていなかったので嬉しい。












2012.09.15(土) ニース(フランス)→ブダペスト(ハンガリー)
日本人宿、アンダンテに到着

 朝6時15分、「ウィーンに到着です」と告げられてバスを降りた。南仏ニースの朝と比べると明らかに気温が低く東側ヨーロッパに向かっているという気がひしひしとしてくる。

 乗ってきたバスは引き続きスロヴァキアのブラチスラバを目指して出発していった。途中から2席を使わせてもらって横になってきたので、思ったよりも疲れていない。

 ユーロラインの受付カウンターでここからブダペストまでのボーディングチケットをもらい、新たに入ってきたバスに乗り込んだ。ユーロラインというバス組織はヨーロッパ各国の地元バス会社とも提携を結んで運行しているようで、ここからはBlagussというハンガリーのナンバープレートを付けた会社のバスとなった。このバスがユーロラインの名のもとにこの辺りを走っているようだ。イタリア、フランス、ドイツで利用したバスよりも新しく、座席も感じのいいクッションで、Wifiまで無料で使える。EU経済危機が叫ばれている去年、今年、ハンガリーでこういうバスに出会うといよいよ東欧の時代が来ているのかと思ってしまった。

 ブダペストのネプリゲートというバスターミナルから宿までは地下鉄を2本乗り継いで行くのが一番安価なのだが、地下鉄移動で階段の上り下りがあるんじゃないかと思ったら、地下鉄プラス途中駅から路面電車を使う作戦の方が楽だろうと乗り物チケットを一人2枚購入した。

 ところが地下鉄で目的の駅名がみつからない。似たような名前の駅で降りたら間違っていて、反対向きの地下鉄に乗ろうとしたら逆方向に乗る時はもう一回チケットを買わなくてはならなくて、とくだらない過ちを数回繰り返して、ようやく駅名が変更になっている事実に気付いて正しく路面電車に乗り換えができたのだった。

 到着したアンダンテでは呼び鈴を押して名前を告げると、日本語で「はい、お待ちしておりました」と感動的に親切な対応。ダイニングでは知り合いがお友達を招いてちらし寿司パーティーを開いており、私たちも余りのお寿司を少し頂く事もできた。いやー、来るなりアットホームな宿だ。









2012.09.16(日) ブダペスト(ハンガリー)
一年ぶりのブダペストを散策

 ブダペストを訪れるのはこれで3度目、アンダンテでの宿泊は昨年に引き続き2度目となる。昨年は1度目に訪れた2006年と比べると街が随分と近代化したと驚いたものだった。今年は昨年との比較になるので街にはそんなに変化がないが、日本人留学生のコミュニティーセンターともなっているこの宿を訪れる学生の顔ぶれが変わっていて時間の流れを感じた。

 街に出るとミュージカルが行われるオペレッタ劇場付近の道路が封鎖されてお祭り状態になっていた。オペレッタ劇場前で「ブダペスト、ブロードウェイフェスティバル」と銘打ったステージでダンサーが踊っていた。ミュージカルの有名な場面を綴るガラコンサートのようで、マジャール語がわかったらさぞかし面白いだろうとお思われる。歌も踊りもなかなか見応えのあるものだった。

 アンドラーシ通りをはさんで向かいに続く道沿いでは子供相手のイベントあり、まだ人はいないけど音楽をやりそうなステージあり、アートな椅子ありと楽しくなりそうな雰囲気が漂っていた。

 道沿いには何気なく彫刻が飾られていたりするし、カフェの窓の絵もアーティスティック。塗り直す財力も気力もないビルの壁にこういうアートがあると「旧東」的な空気感を洒落て感じることができる、とも言える。

 ほんの2、3日の滞在ならばそういうイメージの中に遊ぶ事も可能だろうが、3度目の訪問で以前にも1ヵ月滞在していると、こういう一部の洒落た部分じゃない所もたくさん目に入ってくるので、全体として「洒落た」とは言い難いイメージになってしまうのは否めないが、この通りはちょっといい。

 ここ数日は移動で内蔵もお疲れだと思い、夕飯は思いきってピーナツバターをちょっとだけ食べておしまいにしていた。そこに、ここブダペストで寿司店を営む奥山氏からアンダンテ宿泊者へのサプライズ。船型の寿司桶いっぱいに詰まった握りとお赤飯を持ってきてくださったのだ。これにあらがえる日本人がいるだろうか。鯖のバッテラが一番おいしかったなぁ。ご馳走様でした。


Copyright (C) 2008 World Mover All rights reserved