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2013年
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3月:1,2,3,4
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11月:1,2

2012年
1-1,1-2,1-3,1-4
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3-1,3-2, 3-3
5月:1,2,3,4
6月:1,2,3,4
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10月:1,2,3,4
11月:1
2013.6.10(月) イタリア(フィレンツェ)
今日からお掃除ローテーション開始

 これが私の手作りローテーション表だ。

 毎週月木、家の共有部をキッチンと大バスルームと小トイレルーム・廊下の3ヶ所に区分して3人が掃除することにした。

 まぁ厳密に月木というわけでなく、その前後の手の空いた時間にやろうというわけだ。

 ルーマニア人の奥さんにも英語で説明していたのだが、もしかして彼女は実は英語がわからないのかもしれない。今日、イタリア人女性にイタリア語で説明してもらって、やっとしくみがわかったようだ。これからは、彼女にはイタリア語で話すことにする。

 で、担当者が掃除し終えたらサインと終了時の日付けと時間を書き込むことにした。

 今日、初日の担当者はイタリア人女性、ルーマニア人旦那、私。ルーマニア人旦那は外に働きに出ているから奥さんがやることになっている。イタリア人女性はよっぽど掃除がしたかったようで朝からものすごい勢いでキッチンと取り組んでいる。今午後7時近いがまだ終わらない。その根性には頭が下がる。

 で、私は午前中とウォーキング後の午後にわけて一番乗りで終了。サインを入れた。

 で、ルーマニア夫人はまだ始まってもいない。さっき、「いつ始めるつもりですか?」とイタリア語で聞いたら「ちょっと病院に行ってそれから始めるわ」とおっしゃっていた。この人、本当に掃除するんだろうか?でも、イタリア人女性のキッチンでの勢いを見せつけられたらやらざるを得ないのが普通の感覚だと思うのだが。

 さぁ、どうなる?

 そして、こっちはゴミ出し当番のしくみ。

 自分のゴミ出しが終わったら次の人の名前に洗濯バサミを移動させるというもの。これ、結構、自分的にはクールだと思っているのだが夫を含め誰も「ジーニアス!」とは言ってくれない。

 ま、中華留学生もちゃんとルールを守ってゴミ出しするようになり問題は解決したからいいんだけどね。





2013.6.11(火) イタリア(フィレンツェ)
カッシーネ、お買いもの、ボイラー問題

 昨日の夜からルーマニア夫人も担当する大バスルームの掃除を始め、どうやら掃除ローテーションの一巡目は正しく機能した。まぁ、あれほど「きれい好き」みたいな大演説した割にはバスタブ内のビニールマットの裏側に発生しているカビがそのままなのは、どうなんだろうとは思うが、年下の東洋人からそんな事言われてへそを曲げられても面倒だから、黙っておくことにした。

 そんなわけで掃除ローテーション、ゴミコーテーションが機能し始めた火曜日の今日は、カッシーネでのメルカート。一昨日、中華女子を誘ったら「行く行く、学校をさぼっても行く」とものすごい勢いだったが、昨日聞いたら「やっぱり授業はさぼれない」との事で私と夫の二人で行くことにした。

 朝9時前のメルカートではパン屋が品出しを始める中、既に洋服店では女たちの熱い戦いが始まっていた。先週は1ユーロ均一が多かったが、今日は2.5や5ユーロ均一が多い。業者の顔ぶれは同じなので日によって出る商品の仕入れ値が違うみたいだ。でも一斉に値上がっているってことは、ここに出ている製品の仕入れ元は同じという可能性が高いな。最初の1ユーロ均一の店で長袖Tシャツなど3枚、3ユーロ均一で1枚、2枚5ユーロ均一で5枚、最後に3ユーロ均一で1枚。10アイテムで22ユーロなり。

 私のヒットはMax & Coのデニムスカート3ユーロ。夫はヒットはないそうだがそこそこ名前の通った所のを見つけている。買わなかったけどヴァレンチノの白いジーンズ(太い、型が古い)、ジル・サンダーのスカート(面白くない)なんてのもみかけた。しかし、ここに出ている製品はかなり古い製品なので最新の流行を追いたい人には向かないだろうね。だからこそセグメント化されて、このマーケットが成り立つんだろう。

ここにいるとグイグイと押される。時につかんだスカートも持っていかれる。

本日の購入商品。一度でも着ればもとが取れる。

 昼過ぎに戦いの後の心地よい疲労感と共に宿に戻って昼食。冷凍餃子をゆでてジェノベーゼとシチリア産のツナのオレンジ風味とツナのバルサミコ・黒オリーブ・玉ねぎ混ぜペーストなどをつけて食べた。中華とイタリアンの合体はかなり優秀な味を出してくれる。

 午後からはお買い物。Camperで夫の靴、そしてサンティッシマ・アンヌンツィアータ薬局で化粧水など。

 前回も思ったのだがCamperの靴は1つ1つ本当によく作られていると感心する。欲しかったのはフォーマルにもカジュアルにも使えて軽くて履き心地のいい靴。そういう意味では軽くて履き心地のいいのは専売特許だし、前から見るとフォーマルの形なのにソールがカジュアルだったり、紐の部分がブーツ風だったりとカジュアル要素を入れたフォーマルのバリエーションがいくつかあるので選ぶのも楽しい。結局、先がスクエアーカットになった横から見るとカジュアル、正面はフォーマルな靴を購入。

 お次に言ったのは創業1561年というサンティッシマ・アンヌンツィアータ薬局。シエスタがあって堂々の午後4時からの再営業。前回来た時は閉まっていたので2度目の訪問だ。

 私の目的は化粧水。旦那は顔用クリームと日本の冬に乾燥する頭髪を守るクリーム。

 化粧水は14ユーロ、顔クリーム29、頭髪クリーム14と思ったよりもリーズナブルな価格だった。サンタ・ノヴェッラ教会の薬局の狂った値段に比べたら手が届く。さぁ、明日から使うのが楽しみだ。


 アパートに戻ってシャワーを浴びようとしたらお湯が出ない。ルーマニア夫人に聞いたら昨夜から調子が悪くてボイラーが動かず、今朝の段階でたまっていたお湯が枯渇したんだそうだ。

 んで?どーするの?

 と聞いたら私に「オーナーに電話して欲しい」という。携帯を持っていないというと「じゃ、私の携帯を使って話していいから」という。イタリア語が話せないしオーナーは英語が話せないじゃないかというと、ようやく自分の携帯で電話をし始めた。

 で、昨夜にこの宿の管理をしているミケーラが連れてきたイタリア人技術者が、ボイラーが壊れたので交換する必要があり、1500ユーロかかるし1ヵ月かかると言ったらしい。それを受けてルーマニア夫人の知り合いでもありオーナーの知り合いでもあるルーマニア人男性が今夜様子を見る事になった。ルーマニア夫人の予測ではイタリア人技術者が新しいボイラーを売りつけようとしている可能性があるというのだ。

 夜11時にルーマニア人の知り合いニコラがやってきて、ミケーラも再び来て、二人で検討した結果、明日部品を買って修繕すればいけるだろうという判断になったのだった。じゃぁ、昨日の判断はなんだったのか?どうして今朝のうちに電話して今日のうちに事が終わらなかったのか?

 2週間目の課題は「アパートの老朽化とそれに伴う問題への対処方法」ということになるかもれない。

 とりあえず私達はネパールでも体験済みの「寒さの中での冷水シャワー」で済ませた。何事も先に経験しておけば問題ない。

 明日はお湯のシャワーを浴びられるのだろうか?


2013.6.12(水) イタリア(フィレンツェ)
ウォーキング、他雑用、バレエ

 今朝からアンヌンツィアータ薬局の化粧水を使い始めた。ニベアの600円くらいの化粧水を使っていたので差は歴然。肌への吸収力が全く違った。ま、比べる対象が低すぎるのかもしれない。香りはもすくのようなのを選んだ。きついかと思ったが使ってみると、そんなに気にならない。まぁ、初日はいい感じだ。続けて使ってみよう。

 今日はウォーキングの日。完全に晴れて夏のひざしとなった今日は、いつもよりも汗をかいたせいかウォーキング前の体重と比べて、通常400-500gの減少が700gの減少となっていた。まぁ水分だから減ったって感じじゃないが、ちょっと嬉しい。

 ボイラーは予想通りに午後4時現在で全く誰も手をつけておらず、今日も水シャワーデーとなった。じょじょに体が冷えて何だか喉がいたいような・・・。やばい、風邪か?今、いそいでダウンジャケットと中綿パンツを着こんで日記を書いている。

 同時に次なる場所、ローマのアパート探しも始めているのだが、日本語で日本人がやっているアパート紹介に値段を問い合わせたら目を疑う金額を提示された。「当方一泊100ユーロですが、一ヵ月(28泊)ですと1800ユーロにさせて頂いております」だって。まずどうして一ヵ月が28泊かという疑問はさておき、2800ユーロのところ1000ユーロ引きで1800って安いでしょ?」というニュアンスがおそろしい。現在家賃500ユーロの3倍以上ということになる。かんっぜんに無理。しかし、この値段には笑った。

 さて、そろそろ夜のコンサートの支度をしようと思ったら部屋の外が賑やかだ。どうやら中華女子が友達を呼んで夕食会をするようだ。私たちの部屋の前のベランダから階下のアパートの建物の外にいる友達と叫びながら話すという大陸的なコミュニケーションを取っているから賑やかだったのだ。それで、顔をあげてどんな友達が来ているのかみたら、なんと、なんと。去年、滞在していたアパートで一緒に過ごしたガガちゃんがいた。

 おおおおおーーーーー!

 まぁ、中国人留学生でしかもデザイナー志望だから、現在一緒のファッション業界ラグジュアスマーケティングの勉強をしている中華女子と友達でもおかしくない。「是非、今から作るご飯を一緒に!」と言ってくれたが時間がない。再会を約束して私達はコンサートに向かった。

 今夜は4人の異なる振付師によるモダンバレエ。この中の3番目の演目Jiri Kylian振付の「Secks Tanze」はモーツァルトの曲に合わせてコミカルな動きをするダンスなのだが、実は2007年毎夏ウィーンの市庁舎前で行われるフィルムフェスティバルで見たのが初めてだった。

 あまりに面白かったのでDVDも買ってみたし、数年前にはブダペストの日本人宿アンダンテに出入りしているバレリーナ学生やオペラ学生とこの作品の話になりYoutubeでもう一回見て記憶を新たにしている。

 遂に今日、その作品を生で見られちゃった。いやー、これは素晴らしい。

 他の振り付けもとても変わっていた。

 2作品目のウィリアム・フォーサイス振り付けのSTEPTEXTではバッハの曲を使っているのだが、時々曲がぷっつりと途切れて無伴奏で踊ったり、照明が舞台袖から当てられてダンサーの筋肉がはっきりと陰影を見せる演出があり、腕だけを動かして表情豊かに会話するように見える振り付けがあったりして、こんなダンスは見た事がないという奇抜かつ心に残る作品だった。

 この作品に今回ゲストダンサーとして呼ばれたのがエトワール(パリ・オペラ座バレエ団のダンサーの最高位)の称号を受けているシルヴィ・ギエム(Sylvie Guillem、1965年フランス生まれ)という女性だった。全く無駄のない肉体が驚くほど柔軟にかつ力強く舞台を席巻する様は、派手に飾り立てられた舞台よりも華やかでゴージャスだった。ダンサーはわずか4名。この作品へのカーテンコールがこの日は一番多くて7回くらいはカーテンが開いただろうか。次の作品までの休憩時間20分のほとんどがカーテンコールに費やされたほどだった。

 4番目のアンドニス・フォニアダキス(Andonis Foniadakis)のストラヴィンスキーの曲を使ったLes Nocesは逆に30人くらいの白と黒の無機質な衣装をまとった男女が舞台中央に固まって器械的な動きを繰り広げるダンスだった。曲調もあいまって旧共産主義的な感じがした。無機質なダンスの途中で時にはじけるように不揃いで情熱的な動きが入る。まるで人間の感情を押し殺して社会生活を送らされている人々が、それでも湧き出てくる人間的な感情を抑えきれずにいるような、そんな感じをうけた。

 とにかく4作品とも現代バレエの新進気鋭の振付師の作品だったと思われる。いやー、すごい夜だった。


2013.6.13(木) イタリア(フィレンツェ)
トスカーナならではの料理

 午前中は部屋で作業、昼前からアパートを出てちょっと事務処理、ローマのアパート3軒に電話したが1軒はシングルしかなく、2軒は留守電になり不発。

 先日訪れたアンヌンツィアータ薬局でもらったアフターシェ―ブのクリームがかなりよかったので買いたいと夫が申し、薬局でアフターシェーブクリーム、それから私と同じ化粧水のバラの香りを夫用に、石鹸1つを購入。更にカンペールがドイツの靴のお手入れメーカーとコラボして作ったというナノテクノロジーを使った防水スプレーを15ユーロで購入。



 で、今日のメインイベントはチブレオでのランチ。チブレオはリストランテ、トラットリア、カフェと3軒を経営するお店で、オーナーはラジオ番組などにも出演して知名度が高く、かつ研究熱心なオーナーの料理はトスカーナ料理を基本にフレンチの要素なども取り入れた伝統と革新のミックスのようだ。

 数日前にトラットリアの手書きのメニューを撮影して帰り、辞書をひきながら予習して今日のメニューをほぼ決めてのぞんだ。数日前と少しメニューは変わっていたが、ほぼ予定通りの物を食べることができた。前菜はポレンタのオリーブオイルとパルミジャーノ、そして魚のパッサート(濃厚なポタージュだった)。メインに鶏の首にレバーを中心にパンや香草などで練ったパテを詰めてオーブン焼きした料理とイカの墨煮。デザートには甘くないマーマレードソースがたっぷり乗ったチーズケーキ。水半リットルとグラスワイン2杯も注文してしめて70ユーロだった。

 どの皿も先日訪れたI due Gなどのもっと気楽なトラットリアに比べると少なめだが、メインにはミニサラダとレンズ豆の煮物がついてくるのでお腹一杯になった。

 タラのカッシ風(グラタンみたいな感じ)とか、うさぎの詰め物したのとか、牛の尻肉のタルタルのアルバ風とか試してみたい料理がまだある。もう一回試してみたい。

 食後はザラで夫がパンツを試着しまくり。7種類検討して絞りこんだ結果、その商品にボールペンのインクが付いていることが判明して買わず。なかなかうまくいかない。

 宿に戻ったらまだボイラーが壊れたままで、再び冷水シャワーを浴びた。今日は私と中華女子が掃除の日。キッチン担当のサブちゃんが掃除し始めている。ちゃんと言えばやるじゃないか。よしよし。


2013.6.14(金) イタリア(フィレンツェ)
スーパーの高級魚はなんだ?

 今日も昼前からウォーキング。要塞跡ではそろそろファッションメッセの準備が始まっていて、今日は大型トラックが何台も来ていた。ファッション業界人の名刺を持っていないと入れないこのメッセは世界的にも有名だそうで、来週はフィレンツェがお洒落人であふれるに違いない。

 ミケランジェロ広場ではフェラーリが停めてあった。試乗できるらしい。フェラーリとその背後にミケランジェロのダビデの尻というツーショットはなかなか撮れない。

 ウォーキング帰りに立ち寄ったスーパーの魚売り場で今日目撃するのが二度目となる深海魚っぽい魚を発見。

 何とこの魚は1kgあたり33.5ユーロもする。トスカーナで有名なキアナ牛のフィレでさえ24ユーロ程度なのにそれよりも高い魚とは何なんだろうか?

 買わずに写真だけ撮って帰って調べたら、あんこうだった。ラナ・ペスカトリーチェRana Pescatriceっていうようだ。因みにラナだけだと蛙。確かに肉質は見た目が似ている。


 2回も目撃したらねぇ。食べてみたくなってきた。


2013.6.15(土) イタリア(フィレンツェ)
古代サッカーのパレードに遭遇

 お楽しみの週末の食事、今日は先日ベルコーレで食べたマグロのたたき風と以前から夫が気になっていたレシピを合体させて、にんにくとニョクマムでマリネしたマグロのたたき。

 お次に先日ミラノで食べた「3つの快楽」というパスタを真似して、「アサリとからすみとウニ」のかわりに「アサリとからすみとセピアというイカ」でパスタを作った。

 実はニョクマムとそっくりの物がシチリア島にあるのをテレビで見たのだが、遠くフィレンツェでは市場の人も知らないという。中華食材店で安くニョクマムが買えるからニョクマムで代用したが、たぶん問題ない。ものすごくおいしくなって大成功だった。

 昼食の成功に気を良くして、デザートにデイネリのジェラートでも食べようと町に出た。夜7時から知り合いの家に呼ばれているので時間がある。ブラブラしてそろそろ帰ろうかと思ったらシニョーリア広場に多くの人が集まって何かが始まろうとしていた。

 あれよあれよと最前列に押し出されて、幸運にも目の前で見る事ができたのは、フィレンツェで毎年この時期に行われる古代サッカーの始まりを告げるパレードだった。両手を横に広げてパレードに観光客が出て行かないように警備している女性警備員が、両手を広げながら後ろの私に向かって「これはカルチョ・ストーリコと呼ばれる競技で、は1500年代に始まったの。だからパレードの衣装はその当時の衣装なのよ。チームは4つ。青と赤と白と緑にわかれているのよ」と説明してくれた。カルチョはサッカー、ストーリコはヒストリカルだから歴史ある、つまり昔のサッカーってことだろうかと聞いたら、「でもルールは大分違って手も足も使うのよ」という話だった。後で調べたら洋服をつかむ、殴る、酷い時は相手の耳を食いちぎるというできごともかつてはあったそうだ。

 それで納得がいった。パレードの途中で各チームの選手も登場したのだが、どうみても各地区の荒くれを集めたとしか思えない集団だったのだ。皆、喧嘩に強そう。

 思わぬ面白いパレードに遭遇して時間をとられたが、今日は知り合いの家に行く日。

 スーパーで手土産のお菓子なぞを買って、夫はシャワーも浴びて10分遅れで家に到着した。ドリスは去年借りたアパートで出会ったカメルーン人。今もそのアパートに住んでいて、現在のアパートから徒歩2分なので先日道端で偶然に再会して、今日のお茶会となったのだった。

 時間があったら食べようと思って買ったスイカだが、全く時間がなかったのでドリスの所に持って来た。去年住んでいたから勝手がわかっている。台所でスイカを切って皿に盛ってドリスとまずはスイカで再会を祝した。こちらの家と今いる私たちの家の違いなんか話して、全くもってご近所レベルの話をしている自分がおかしかった。

 ドリスの旦那はアフリカで仕事が見つかって、今は単身赴任。ドリスは息子とこちらに残って仕事をしている。何よりも息子のジョシュアが成長著しくてびっくりした。相変わらず超可愛い。

 サロンでしゃべっていたら同じく去年から住んでいるジュゼッペも部屋から出てきた。ジュゼッペの兄さんも去年出会っているから、やあやあやあということでご挨拶。何だか面白い。

 そうこうするうちに、ドリスの教会仲間で一人で子育てしているドリスを何かと支援してくれる男性が大量に水を買ってきてくれたので運ぶのを手伝うことになった。ドリスは男性とはフランス語で話す。せっかく水を買ってきてくれたのだから、おしゃべりでもてなさなくてはならない。というわけで、これが潮時と1時間くらいで切り上げて帰ることにした。次回はドリスが料理でもてなしてくれるそうだ。次が楽しみだ。


2013.6.16(日) イタリア(フィレンツェ)
バタバタで出発

 今日は夜7時発の夜行バスでウィーンに発つ。全てはこの出発を中心に計画された日だった。

 まず11時から始まると思っていたGusta Pizzaでお昼ご飯を食べようとしたら始まりが11時半からということで近所のサント・スピリト教会前で行われていたバイオ市場を冷やかして時間つぶしをすることになった。ここで何とイタリア人が作る味噌を売る店に出会った。売っている青年の一人のお父さんがマクロビオティックを研究している人で10年前に日本で修業して今、イタリアで味噌と醤油と梅干を作っているんだって。たまり醤油が試食でおいてあってパンにつけて食べたが、いい味だった。味噌も米からだけでなくひよこ豆や他の素材から作った物もあってユニーク。逆輸入される日もくるかも?

 今日はグスタピッツァGusta Pizzaで昼食の後は4 LeoniやMagaziniというレストランのある一角にひっそりとあるジェラテリアを訪ねた。個人でやっているような小さな店だがメニューが普通じゃないのがたくさんある。普通のバニラやチョコに加えて「ブルネレスキのナイフ」「モナリザ」「7つの香り」「東洋の香り」などいちいち説明を聞きたくなる物ばかりだった。変わった名前のを試したらサフランやらカルダモンやら非常に強い特徴のある味でチョコでさえ甘さが超控えめ。消化を助ける薬膳ジェラートとでも言えるものだった。こんなの初めて。またのぞいてみたい。トリップアドヴァイザーじゃぁ、すでに4.5とハイポイントをマークしている有名店だった。
Gelateria della Passera (住所)Piazza della Passera 15, Florence, Italy

 さぁ、帰ったら午後2時半。6時に宿を出るまで3時間半だ。まず30分休憩して3時から4時までで荷造り。4時からは共有部分の掃除。今日は私がキッチン、夫が小バスルームと廊下。夫は20分くらいで終わらせたが私は1時間半近くかかった。それからシャワーを浴びて15分したらもう出発時間。ひえー、時間がない。しかし、急ピッチでキッチンの壁と床を磨きあげたので汗が噴き出して、相変わらずボイラーが壊れて水シャワーだけど全然辛くなかった。

 午後6時15分にバスターミナルに到着。

 今日のバスはユーロラインと東欧の会社の合弁運行らしくローマ発、リトアニア行き。右の赤線はかなりいい加減だが、下の赤マルがローマで上がリトアニア、ウィーンを通ってこんな感じでいくという雰囲気程度の路線と考えていただきた。

 しかし、一体何カ国を通過するバスなんだろうか。ローマから既に乗っている面々はキリル文字を使う日本人のような顔をした恐らく中央アジアのちょっとお金持ち子女2名、小柄で色の浅黒いジプシー風の男女、大柄でロシア語を話すおばちゃんたちなど。バスはフィレンツェの次に大学町として有名なボローニャから数人の留学生を拾って夜中ぶっとばして走った。

 途中、何箇所が停車していたようだが、空調が心地よいせいか泥のように眠ってしまった。そんなにリクライニングしないけど、まるっきり窮屈でもない。預けた荷物にはバゲッジクレームのふだがついていて、受け渡し時に札との照合もするので盗まれる心配もない。ユーロラインはヨーロッパ28ヶ国をカバーしているが各地の会社と合弁して、ノウハウを共有して安くて快適なサービスを提供しようとしているようだ。今回で4回目の利用になるかなぁ。とにかくフィレンツェからウィーンまで夜行で一人40ユーロという値段は誰にも勝てない。

 さーて、明日からはウィーン生活となる。


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