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2008.10.11 コズエさん
キトの新市街にある宿Hostal Huaukiに宿泊していたら、宿のオーナーのお友達のコズエさんが遊びに来て知り合った。キトにある大学で日本語を教えているんだそうだ。おしゃべりしていたら旧市街を案内してくれることになり、彼女の案内で普通のガイドブックにはあまりクローズアップされていない大統領府の見学をしたり、地元のお菓子を買って食べたり、地元民に人気のマリスコス(魚介類)レストランに連れて行ってもらったりして、自分たちだけではできないディープな観光になった。
エクアドルに観光で来てから知人が徐々に増え、日本語教師という職も手に入れた今、将来的ここに居を構えるつもりだと聞いて私たちはその人生の展開に人ごとながら驚くばかりなのだが、語る本人はいたって自然体だ。たくましいです、はい。
2008.10.09 藤友さん
宿近くで宿のスタッフお勧めの定食屋で食事していたら、同じく定食をテイクアウトしに来て知り合った藤友さんは、現在エクアドルでスローウォーターカフェという会社で働いているんだそうだ。
スローウォーターカフェ(有)は、日本とエクアドルで環境運動を展開する環境=文化NGOナマケモノ倶楽部から生まれた企業だそうで、エクアドル産のコーヒーなどを日本に輸出しているようだ。そんな活動があることも知らなかった私たちは、食事の後、藤友さんの友達が経営するカフェを訪ねて色々とお話を聞かせてもらった。フワーッとした感じの藤友さんだが、人に流されずに独自の人生を歩んでいるのが魅力的な人だった。
スローウォーターカフェ
http://www.slowwatercafe.com/cafe-index.html
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2008.10.23 Nick
イザベラ島のコンチャ・ペルラという美しい入り江でシュノーケリングをしようとしていたアメリカ人のニックと出会った。大学で農業を学んだ彼は現在イザベラ島で農家に技術指導を行うとともにイザベラ島の農業人口を増やすボランティア活動を行っている。
彼の紹介で農家を訪問したり、ニックの家を訪ねてバナナデザート(これを食べに来いと2回も誘ってくれたので)をごちそうになったり、通常のガラパゴス観光客とはちょっと違う体験をさせてもらった。ラム酒の香り高くピリピリと舌を刺激するバナナデザートはおいしかったよー!
→Sketch「ひょんな事から農場見学」
(付録)ニックのバナナデザートの作り方
1 フライパンにバターを溶かしす
2 バナナを縦割りにしたものを入れてソテーする
3 バナナに火が通ったら黒砂糖を入れて溶かす
4 黒砂糖が溶けてトロッとするまで火を入れる
5 ラム酒を入れて炎をあげてアルコールを飛ばす
6 器に盛ってガラパゴスのココナッツクッキーを添える
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2008.11.04 加藤さん
メキシコシティの有名日本人宿「サンフェルナンド館」で知り合った加藤さんはもと旅行会社で働いていたのだが、仕事を辞めて再就職する前のリフレッシュ旅行中だそうだ。とても物腰が丁寧な人で、カジュアルな人間関係に慣れていた私は「おお、日本社会というのはこういう対応だった」といたく感動して思い出したのだった。仕事中は添乗員も努めたことがあるという加藤さんは、てきぱきと予定をたててスーツケースをころころと転がして西へ、東へ。メキシコを満喫しているようだった。
2008.11.05 中:横山さん、右:山下夫妻
メキシコシティの有名日本人宿「サンフェルナンド館」で知り合ってルチャリブレに一緒にいったメンバー。横山さんはニューヨークでサックスを学び日本で就職する前の旅行でメキシコにやってきた。私達の知らないジャズの世界について、お勧めのアーティストについて色々と教えてもらった。山下さんご夫婦は世界一周10ヶ月目。この時期にカナダのオーロラツアーに行こうとと計画していたのだが、オーロラツアーのビデオ係をしていた旅行者に「絶対無理です。寒すぎてツアー自体成立していませんから」と言われて急遽予定変更。世界一周していると色々ある。バンフには行けなかったが、カナダの他の場所で紅葉を満喫したようだ。良かったですね。
山下夫妻のブログ
http://ka2.blog.so-net.ne.jp/
2008.11.05 中:藤田さん
以前ドミニカ共和国の海外青年協力隊員だった藤田さんはもちろんスペイン語ペラペラ。今は作業療法士occupation
therapyを目指しながら大学院に通っているのだそうだ。再来年明けに大学院のフィールドワークでドミニカを訪れるという情報をキャッチし、加えてドミニカには美しいビーチが山ほどあると魅力を聞かされまくった私達は是非合流されてもらいたいと決意。再会が楽しみだ。
2008.11.05 左:辻井さん
元タレントマネージャーをしていたという辻井さんもルチャリブレに一緒にいったメンバーの一人だ。ブログを見ると自主制作映画や自主制作コントを作ったりしてクリエーター魂のある人だったんだとわかった。2009年1月に帰国しているが、旅先で出会った人一人一人に出会いの感謝の言葉を残していて、彼らしいなと思った。
辻井さんのブログ
http://blog.livedoor.jp/hironori2z/
2008.11.12 左:ラーメンマン、中:流一郎君
ラーメンマンと流一郎君はオーストラリアで知り合って偶然にもメキシコ・シティで再会したそうだ。カナダのワーホリの冬季休暇中のラーメンマンは私が感動する大阪つっこみを毎日披露してくれた。芸術家を目指す流一郎君はNYの路上で絵を売っていたら隣の古参の黒人より売れちゃってどっか行ってくれと言われたり、オーストラリアのスーパーの買い物カートから飛び降りて鎖骨折ったり、豚の首を切る仕事で精神不安になり仲良し外国人3人組みがバラバラになった話などやっぱりゲージツ家らしく一味違うエピソード満載。この2人がいると笑いが絶えない日々だった。
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2008.11.16 アキモトさんご夫婦
メキシコ・シティからのフライトはチリのサンティアゴに朝5時過ぎに到着。市内へのシャトルバスが出るまでの2時間ほどをカフェで過ごすことにした。そこで出会ったのがアキモトさんご夫婦。アキモトさんはニカラグアでJAICAの仕事をされて4ヶ月目。チリ人の旦那さんと休暇で旦那さんの家族を訪ねるためにやってきたのだそうだ。
二人は中央バスターミナルまで行って実家へのバスに乗り継ぐのだが、私達は市内のホステルに直接連れて行ってくれるシャトルバス(乗り合いタクシーのようなもの)を利用する。そういうと旦那さんはシャトルバスの人と話をしてくれて通常一人5500ペソを4500ペソに負けさせてくれた。チリ人マジックだ。どうしてそうなったのかは不明だがとにかくお陰で安くシャトルバスに乗ることができた。本当にありがとうございました。
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2008.11.28 市川さん、柴田さん
イースター島で同じ宿だったカップル。サンティアゴでは柴田さんが好きな作家の著書に出てきたホテルに宿泊したり、チリに移民してきた人を訪ねてその人の紹介のイースター島内のホテルに宿泊したりと、通常のバックパッカーとは一味異なるこだわりの旅をしている人たちだった。この後、アルゼンチンのエル・カラファテやウシュアイアではアパートを借りて大満足していた。そういう体験も羨ましいけど、私達の予算だとちょっと厳しいかな。
2008.11.29 とおる君
ミニスーパーの前で出会ったとおる君はフレンチシェフをめざして日本のフレンチレストランで働いていた。職場を変えるのをきっかけにフレンチの影響を受けたポリネシアのタヒチ旅行を計画し、ついでにイースター島にも来たという。ご飯を作ってもらおうと約束していたら3日間行方不明。もしかしてもうタヒチに行ってしまったのかと思ったら、4日後に同じミニスーパー前で遭遇した。何と人と馬しか行けないトレッキングパスに自転車で挑んでやや遭難。やしの木の下で一泊野宿するという誰も行わないアドベンチャーを行ってしまっていたのだそうだ。いやー、味のアドベンチャーにもこれから期待が高まるなぁ。
2008.12.02 Labat夫妻、Stalder夫妻
同じ宿に宿泊していたフランス人カップルとスイス人カップル。レンタルした自転車故障でレンタル業者とトラブルになった時に最初にオーナーと私の間にスペイン語通訳として立ってくれた。結局、私達が押し切られる形になったと報告すると「ビジネスだと日本人は交渉に強いなぁ」と言っていた。お世話になりました。スイス人カップルは世界一周中。地元ルツェルンの祭りの話が面白くて色々と聞いていたが時期が極寒の2月だという。是非、と言ってくれたが2月にスイスかぁ。ま、いつか行ってみるのも面白い。
2008.12.03 ユミさん
同じ宿に宿泊していたユミさんは助産師さんだ。看護師さんもそうだが助産師さんも引く手あまたで、一度仕事をやめて長期旅行しやすい環境にあるんだそうだ。面白かったのはダイビングの話。オーストラリアでライセンスを取ったのはいいが、自分が船酔いしやすいことがライセンス取得後に判明。船で沖合いのポイントに行く間に船酔いし、ダイビングするために海底にもぐった途端にオエー。海の中で。一度口からレギュレーターをはずすと、再度口に入れる時に息を吐かなくちゃいけないのに吐く息がもうない。く、苦しい、死ぬ。という思いをしたそうだ。悲惨な話なのに周囲は大爆笑。悲惨な体験を爆笑に変えて語れるってのは素晴らしいキャラクターだと思う。
2008.12.03 INESさん
同じ宿に宿泊していたスペイン人のイネス。フランスとの国境境に住んでいる彼女はフランス語で授業を行う学校に通っているのでフランス語がペラペラ。加えて英語も教養課程として話せるし、ドイツで働いていたからドイツ語も仕事ができるレベル。つまり4ヶ国語を普通に操れる人だった。私がレンタル自転車で業者ともめた時にメインの通訳をかってくれたのだった。途中、私の気持ちを汲んだうまい翻訳をしてくれたりして何気なく加勢してくれたりと本当にお世話になった。
INESさんのブログ「Aines en ruta(http://www.ainesenruta.blogspot.com/)」
2008.12.05 ANDREさん
超人ハルクのような鍛えぬいた屈強な体なのにノーマンロックウェウルに出てくるいたずらっ子の小学生のようなあどけない顔の表情がとーっても魅力的だったアンドレとは、イースター島で同じ宿だった。医師であるお父さんの仕事の関係で生まれて数年はフィジー、それからケニアで育ち18歳の時に初めて祖国オランダに行き、今はオランダで獣医をしている。祖国だけれど自分にとってはケニアがより近しいと語るアンドレは育った環境のせいか許容量とユーモアが感じられて、話していてとても楽しかった。
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《プエルト・ナタレス》 Puerto Natales
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2009.01.27 石原さん
パイネ国立公園のトレッキングから帰ってくると、宿に日本人カップルがいた。話しかけてみると2007年6月から旅に出ているご夫妻。サイトを教えてもらってチェックすると「餃子が得意」とある。早速お願いして作ってもらったのだが、この皮作りが3時間かかるなんて知らなかったー!ごめんなさい。でもすこぶるおいしい餃子ができあがったのは言うまでもない。残った生地で作ったうどんも最高に本物でした。ごちそう様でした。
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2008.12.28 コウイチさん
会社からMBA取得を命じられてアメリカ留学中のコウイチさん。年末年始の短い休暇を利用してパタゴニアを訪れて同じ宿になった。毎日観光で忙しい(当たり前)のだが、合間を縫ってのおしゃべりは今、まさに日本の社会で働き、これから日本の社会を推進していくエネルギーに満ちていて、長期旅行者とはかなり違った視点での会話が面白かった。
2008.12.28 新津夫妻
2008年5月に中国の四川省州都、成都で出あって四川料理三昧の日々を一緒に送り、約半年後に地球の裏側で再会。同じ南米にいることはお互いにわかっていたので、どこで会えるかなぁと楽しみにしていたのだが、藤旅館というかなり居心地のいい場所で会えてよかったー!
今回は一緒に年末年始も過ごせてまた一つ思い出ができました。今度はどこで会えるかな?
二人のサイト「タビゴコローズ」(http://tabigokoros.com/)
2008.12.28 青木夫妻
タンデムという二人乗り自転車で旅を続けている青木夫妻とは、エル・カラファテの藤旅館で出会った。2004年7月〜2005年1月にパート1太平洋一周編をテスト走行として成し遂げて、2007年4月から世界一周にチャレンジ。私達が出会った南米カラファテはほぼ最後の部分で、南米のあとはハワイに飛んでフィナーレという予定になっているらしい。
苦しい時ほどふざけた格好で乗り切りたいという旦那さんはうさちゃんの被り物を持参している。本当は全身着ぐるみを持ち歩きたいのだそうだが、奥さんに堅く禁じられている。カラファテは休息の時だったので、同じくゆっくりしている私達はよく相手になってもらって楽しかった。
二人のサイト「タンデムトラベラーズ」、「CYCLE CARAVAN blog」
2009.1.15 海外青年協力隊員の皆さん
藤旅館にやってきたちょっと日本人離れしたメイクで艶やかな雰囲気の二人(右から2人)。いつも出会う旅行者と雰囲気が違うなあぁと思っていたらメキシコの海外青年協力隊員だった。そして数日後、旅慣れた雰囲気の男女がやってきてドミニカ共和国の協力隊員だという。こうして協力隊同期の偶然の再会に立ち会うことになった。4人とも大変だった2年間の任期終了間近で、卒業旅行ともいえる最初で最後の長期旅行を楽しんでいる所だったのだ。
今回の旅でドミニカ絡みの人に会うのは2度目だ。これも何かの縁。いつかドミニカに行ってみようと思う。
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2009.1.11 ユミコさんとヒデコさん
エル・チャルテンの宿で一緒だったこの2人。翌日から別の宿に移ってしまってもう会えないかと思っていたらトレッキングの途中で偶然の再会で写真撮影となった。この日から2泊3日で国立公園内をキャンプしながらトレッキングするという。テント、寝袋、マット、食料など一切を担いで歩くのはさぞや大変だろうと思いきや、「いつものバッグパックよりも軽いから大丈夫!」という元気な答えが返ってきて目から鱗だった。そうか、いつもより軽いのか。
ワーホリで知り合ってから4年。オーストラリアとニュージーランドと国は違えどもオセアニア暮らしとなった二人はやっぱり日本で普通にOLしている人より何倍もたくましいのかもしれない!
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2009.2.16 左から中村夫妻、ヤマケンさん、アサコさん
エル・チャルテンの藤旅館でも一緒だったこの4人とブエノス・アイレスの日本人宿「上野山荘ブエノス別館」にて再会することができた。藤旅館はみんな観光で忙しかったからゆっくりできなかったんだけど、ここでは一緒にご飯を食べたりして比較的ゆっくり。30歳前後のこの4人は特に気が合っているみたい。この年齢で世界一周している人たちはそれなりに落ち着いているし、話も面白いから、私達も一緒に仲間に入れてもらって楽しかったなぁ
2009.2.24 シューヘイさん、フミ子さん
30代世界一周カップルでエル・チャルテンの藤旅館で知りあったもう一組がこの2人。この2人とはエル・チャルテンでも話す機会があったのだが写真を撮影できたのがブエノス・アイレスだったのでここで紹介する。この2人はなんとベジタリアン。牛肉大国アルゼンチンを旅するベジタリアンというのは肉食の人がインドを旅するのと同じくらい大変な事だろうと思う。何たってレストランも宿のキッチンもダイニングもみーんな肉を喰らっているからだ。
それでも飲食に関する職場にいた2人と私達は食べ物の話をしょっちゅうして盛り上がった。おいしいベジタリアンメニューを発見したらお互いに連絡しようってことになっている。
2009.2.24 玲子さん、寛子さん
高校の同級生だった玲子さんと寛子さんはお互いに仕事を辞めたのを機に南米旅行に来た。玲子さんは社会福祉士の資格があり次の職場も決まっているし、寛子さんは獣医さんだったのだが大きくキャリアチェンジして大手新聞社の記者としての採用が決まっている。数ヶ月に渡る長期旅行で社会人というと後のキャリアが決まっていない人が多い中、珍しいタイプの人たちだった。
人材の流動性が高まる中、キャリアを積み上げつつも途中で数ヶ月の休暇が取れる社会というのはある意味、先進国の理想的な姿だと思う。彼女達のような人が増えてくるといいのになぁ。
2009.3.05 田代夫妻
オーストラリア在住の田代夫妻。旦那さんはダイビングののインストラクターで奥さんは旅行代理店勤務なのだが、2人とも現職維持したままの2ヶ月休暇で南米にやってきた。やっぱりオーストラリアって勤務形態が違うなぁ。
2人ともダイビングはかなり経験しているし、東南アジアとオセアニアの海にも詳しい。今年ボルネオ島に行こうと思っている私達は周辺の美しいシュノーケリングに向いた海の情報などを色々と教えてもらって助かった。南米にいながらこういう情報が得られるってのが旅の醍醐味だ。
2009.3.08 シンゾーさん
シンゾーさんに初めて出会ったのは2006年エジプトのルクソール。あれから2年、シンゾーさんは時々私達のブログに書き込みをしてくれて交流が続いていた。そんな中、最近になってブエノス・アイレスに来るというメール。しかもこの宿に!
ということで、無事に再会と相成ったのである。
奥様からの羊羹のプレゼントなどを頂き、恐縮した後は無礼講。毎晩のようにワインを傾けて楽しい夜をすごさせてもらった。前回に比べると長く時を過ごしてシンゾーさんのキャラクターもよくわかってきた。次回はどこで再会できるのか?また連絡をお待ちしております。
2009.3.10 マスオさん(中)
南米にはバイヤーとしての買い付けの仕事と旅行を兼ねてやってきたマスオさん。ある時からタンゴのレッスンに通い始めて以来、タンゴの魅力について宿で語る日々が続いていた。あまりに楽しそうなので、とりあえず見学だけ行ってみようとイデアルというマスオさんが通うサロンの見学に行ったのが、私達のタンゴレッスン通いの始まりだった。老若男女を問わず広く人とつきあって巻き込むパワーのある人で、マスオさんがいると宿がつねに一つにまとまって楽しい雰囲気になっていた。楽しいひと時をありがとうございました。
2009.3.22 ひろみさん、けんぽこさん夫妻
宿のフリー食材コーナーに「けんぽこ」と名前が書かれたジャムがあり、毎日食事の用意をする度に気になっていた。そのけんぽこさんが宿に戻ってきた。この人だったのかぁ。以前からの知り合いであるニーツ夫妻と一緒にしばらく旅をしていたということで宿はニーツ夫妻、けんぽこ夫妻を迎えてにわかににぎやかになった。お寿司パーティー、動物園、アサド(BBQ)と一気にイベントが増えて30代、40代パワーをまきちらしていた期間だったなぁ。
二人のサイト「コイタビ」(http://koitabi.com/)
2009.3.22 カズヤさん、アキコさん夫妻
奥さんが私と同名ってことで親近感が沸き、奥さんの性格とうちの旦那の性格、旦那さんと私の性格が似ているってことで更に親近感が沸いたカップルだ。二人の方がずっと美男美女っていう点では親近感が沸かないが・・・。個室生活だった二人は最初はなかなか私達と交わっていなかったが、さすがに2週間も過ぎると巻き込まれざるをえない。夫婦4組が宿に長居している。我々にとっては居心地のいい、他のシングル旅行者にとっては「なんじゃ、この宿は?」という時期だったろうと思う。いやいや、楽しかった。
二人のサイト「世界なかなか」(http://sekai3nakanaka.web.fc2.com/)
2009.3.23 アキヨさん
日本で日本語学校教師をしているアキヨさんは休暇を使ってブエノス・アイレスを訪れていた。毎日アクティブに観光する中でも私達と一緒にタンゴ教室へ行き、その魅力にはまってタンゴシューズも購入。日本に帰ってからもお教室に通うかもしれないと元気よく帰っていった。
日本でも好きで買っていたJuan de Arcoというアルゼンチンブランドのお店を訪ねたり、ドイツ語学校で一緒だったチリ人に会いに行ったりと今までの自分の中で培ってきた南米のつながりを旅に活かしている。ガイドブックだけではない旅の満喫の仕方は多くの人の参考になるんじゃないだろうか。それにしても真っ赤なピンヒールのタンゴシューズは素敵だったなぁ。是非、あれを履いて踊って欲しい。
2009.3.23 ヨリカさん
50年前に日本からアルゼンチンにお嫁に来たヨリカさんはアルゼンチン移民一世ということになる。今はメンドーサのぶどう園の傍ら、時々ブエノス・アイレスに遊びに来る生活を送っているそうだ。移民一世の方と話していて常に思うのは「日本語が美しい」ということ。ヨリカさんも流行語やメディアに汚染されていない美しい発音の美しい単語を使った日本語を話す女性だった。
お料理にいそしむ私達は寿司酢の配合やらアルゼンチンでのおいしい天ぷらの揚げ方などヨリカさんがいつも持っているお料理メモから教えていただいた。ありがとうございました。
2009.3.27 順子さん
「あの人、会ったことあるなぁ」と夫が発見。2年ぶりに再会した順子さんとは2007年にトルコのイスタンブールにある日本人宿「ツリーオブハウス」で会っていた。あの時は日本人が多くてあまり話せなかったのだが、あるエピソードがあって私達は彼女を覚えていた。クレジットカードを持たない旅行者がネットで航空券を買いたいので誰かクレジットカードを貸してくれないかと言った時にみんな引いていたのだが、彼女だけが「いいよ」とすんなりクレジットカードを貸してあげたのだった。太っ腹だ。誰もがそう思ったことだろう。そのエピソードを話すと、順子さんは「そんなこともありましたっけねぇ」とさらりと答えた。
あの時エジプトのダハブでダイビングインストラクターをしていた順子さんはオーストラリアに場所を移してインストラクターをしていた。また場所を変えるにあたって南米旅行を始めたのだそうだ。これからもバッタリとどこかで会いそうな予感がする。
2009.3.29 タクローさん
旅行者同士で出身地の話をする時もしない時もある。ましてやどこの高等学校出身かなんて話になることは珍しい。話題が珍しい上に同じ高校出身だってことがわかっちゃったからびっくりした。こんなこともあるんですねー。かなり年代が離れているので共通の先生など存在するわけもなかったが、それでも懐かしい校舎の様子や名物として今に名を残す先生の話題などでひとしきり盛り上がった。
長旅というのに、お洒落なタクローさんは全く異なる8つの眼鏡を持ち歩いているし、お洋服も様々だ。ブエノス・アイレスにもなかなか洒落たフレームが見つかったそうで、一味違う視点での旅を楽しんでいる。いいぞ、後輩!
2009.4.2 京子さん
同じ宿に宿泊して一緒にタンゴレッスンに行った京子さん。他の人が割合及び腰となるタンゴレッスンにすんなりとやってきたのは、同じラテンの舞踊であるフラメンコを3年も習っているからに他ならない。
この後のお楽しみは4月下旬から5月初旬にセビージャで行われる「春祭り」。フラメンコの本場セビージャのお祭りでは春祭り用の肉厚な衣装をまとった女性が祭り会場を闊歩してステージもあるそうだ。京子さんからのこの貴重な情報を受けて私達もセビージャ行きを決定。向こうでも会えることを期待している。
2009.4.10 クニエさん
この人はねぇ、おとなしいんだけど話し始めると面白い事ばっかり言っていて、表立っては社交的じゃない風なんだけどちょっと薄暗い廊下の隅で色んな人をつかまえちゃぁ話をしていたりする。今まで出会ったことのないタイプだったなぁ。夜ね、こっそりとキッチンのコンロ周りを掃除してくれたりして古式ゆかしい日本女性の面も持ち合わせている。いい感じに旅を続けて欲しいと思います。
タンゴレッスンに何度も誘ったんだけど結局来なかった。で、最後にこんなポーズで。
2009.4.12 ヨーコさん
始めて出会ったのは昨年末のエル・カラファテの藤旅館だった。年末忘年会のクイズ大会をしきってくれた彼女は北京在住で中国語を駆使してコーディネーターをやっていたキャリアウーマン。その仕事を一時中断して世界一周の旅の途中ということだ。
ヨーコさんが来る前から「ヨーコ伝説の女」として前触れは聞いていて伝説を聞かせてもらうのを楽しみにしていたのだが、出あってすぐにイケメン論争(と言うほどのものでもないが)で軽くディスカッションしたのが出鼻をくじいたのか伝説は話してもらえなかった。残念。ブエノスで再会できるのを楽しみにしていたのだが、たった1日だけですれ違い。今度またどこかで会えたらじっくりとおしゃべりしましょうね。
2009.4.13 マナミさん
私たちがブエノスに長居している間に一度小旅行に出て戻ってきたマナミさん。大手企業の総合職を辞めて世界一周の旅に出てきたという、普通の人からみたら「もったいない」ことしている人。でもね、そういう潔さ、気風のよさが彼女の持ち味なんだろうな。ブエノスにやってくる人の少なからずの若い男性はすべからくマナミさんの知り合いか?ってくらい顔が広く人気者。
私たちと同じくらい辛口コメントなのに人気があるのは最後にちゃんとフォローを入れているからかしら。これからも多くのファンを創って目指せ女社長!
※マナミさんのスカートは私も一目ぼれしたアルゼンチンブランドのSanskrit。私たちの出発に合わせて朝7時からシャワー浴びて化粧して撮影にスタンバってくれた。感謝。
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