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2010.07.23
灼熱のポンペイ遺跡で6時間半観光 Vol.1
イタリア:ポンペイ

 ポンペイ遺跡のマリーナ門まで徒歩3分という場所にあるキャンプ場に昨日移動した。遺跡に近いキャンプ場だとは思っていたが、ここまで近いとは!

 開門は朝8時半だというので時間ぴったりに行くと既に6人くらいの人が待っていた。ここで一人11ユーロのチケットを買い、左手の壁沿いにあるインフォメーションカウンターがあるので、そこでチケットを見せるとかなり詳しい遺跡の解説小冊子と地図をくれる。

 チケットを買う窓口でこの小冊子をくれるのではなく、別の窓口で配るというのがトリッキーだ。昨日のうちにこの窓口に来て観察していたからわかったことで、そうでなかったらもらわずに中に入る所だった。
 

 まず、もらった地図を広げて、今日一日をどうやって歩こうか計画を立てた。

 遺跡は南北600m、東西800mくらいの広さの中にあるがほとんどの見所は西側と南側に集まっている。

 内部には大手チェーンのファストフード店が1ヶ所だけある。この店は高速道路のドライブインに店を展開しているチェーン店で、サンドイッチやカットピザなどの軽食からパスタなども出している。同時に飲み物、スナックなども販売している。きれいなトイレも備えている。

 水飲み場はかなり頻繁にあるので心配しなくてもいいようだ。空のペットボトルがあると水を継ぎ足しできるので便利だ。

 まぁ、ざっとこれだけチェックして、マリーナ門からまず北上して見学し、北西に少し離れた秘儀荘を見てから、門の右側へと見学するコースを自分なりに作った。決められた見学コースというのはなくて、地図を見ながら自分で勝手に歩く事になるから、ちゃんと計画しておかないと重複したり見残したりする可能性があるようだった。

 ということで、いよいよ見学スタート。
○フォロ周辺(下の写真右の6番がフォロ)

 マリーナ門をくぐって右手に神殿やバシリカを見ながらフォロまで進み周辺を見学。

マリーナ門。紀元前6世紀にはここに作られていたという門。城壁は3200mもあってポンペイがローマの勢力下に置かれるまではポンペイの前線基地として活躍した。しかしローマ勢力下となって守備の必要が薄れたため城壁の石は内部の家を作るのに持ち去られてしまったそうだ。

敷地の端に建てられたヴィーナスの神殿。大理石でできた神殿は外からも非常に見えやすい場所に立っていたために盗賊のターゲットとなり多くが盗まれてしまった。(上の地図3)

バシリカ。2世紀後半に建造。裁判や通商会議の場として使われた。(上の地図5)

アポロ神殿。ポンペイで一番古い聖域で紀元前575-550年に建てられた。(上の地図4)

神殿左側にあるアポロの嫁のディアナの像

神殿右側に立つアポロの像

フォロ。(上の地図6)

フォロの入り口

Eumachiaの建物。解説には女性聖職者だったEumachiaの建物とあり紀元14−37に建造。ここには階段をちょっと上って用をたす場所、つまり公衆トイレがあった。ヴェスパシアーノ帝は、羊毛の洗浄に際してこの尿を使う際に税金をかけた。(上の地図8)

保護のケースが光を反射して見えにくいのだが、柱の装飾が見事に残っている。こんな細かい装飾が2000年以上も前に作れたのだろうか。その技術の高さに驚く。

ヴェスパシアーノ神殿。(上の地図9)

ヴェスパシアーノ神殿の中央祭壇の彫刻。左側は雄牛をいけにえに捧げる様子を示している。右側は儀式の道具の彫刻。

市場。魚や肉が売られていたそうな。(上の地図11)

奥の屋根のかかっている場所には2体の犠牲者の石膏が置いてあった。溶岩が人間を固めてしまい、中の人体は朽ちて外側だけが残っている。

ジュピター神殿。(上の地図12)

かつての穀物倉庫は現在はポンペイからの出土品の倉庫になっているというが、真ん中のあれ、あれって人では?そう、ここにも犠牲者が置いてある。

座ったまま固まってしまった犠牲者の石膏もあった。

市場近くのアポロ神殿の東側の壁には穀物の重さと容量を量る場所がある。テーブルの窪んだ部分に穀物を入れて量り、測り終えたら窪みの中央の穴から下に落とすようにしていた。窪みの大きさが左に行くほど小さくなっている。

 ここでレストランポイントまで到達。朝10時前なので準備中だったが、トイレは使わせてもらえた。外観は遺跡の雰囲気をそこねないような感じにしているが、店内は非常に近代的で明るく快適な空間だった。

 さて、ここから北西に進路をとって見ていこう。



○フォロの北西方向

 まずはレストランの裏手にある上の地図15番の浴場から。浴場は男女別に脱衣所、冷水浴場、温水浴場、ホットルーム(サウナか?)に別れているそうだ。入浴時間は午後の早い時間が多かったそうで、そういう習慣がシエスタにつながっているのかなぁという気もする。

これは何の部屋かわからないが脱衣所かなぁ?

浴槽

今でもミラノ市内の建物にこういう柱を背負う男のモチーフの彫刻が見られる。紀元80年に建てられたというから、昔からあるモチーフなんだねぇ。

 引き続き見いていく。

温かい飲み物を出す店。(上の地図68)

温かい飲み物を出す店。店の奥から撮影。(上の地図68)
記念門。帝国一族を祝して建てられた門。(上の地図69)
悲劇の詩人の家。家の名前は、演劇シーンのリハーサル場面のモザイクがあったことからきている。(上の地図22)

「悲劇の詩人の家」はむしろ、この建物入り口の床の犬のモザイクが有名だそうだ。犬の下には「犬に注意」と書かれている。ポンペイの他の家でもよく見られるモザイク。このモザイクのアイディアは後に文学作品でも使われていて、ペルトニウス作「Satyricon」では主役が大きな籐(あるは杖?)の絵画に驚いて死ぬという場面がある。(上の地図22)

「小さな噴水のある家」の中庭。フレスコ画の壁と中央にモザイクと彫刻で飾られた噴水がある。(上の地図18)

「小さな噴水のある家」の玄関を入った場所はアトリウムになっていて、各部屋はこのアトリウムに向いて扉がある。アトリウムをつけるスタイルは客人にこの家の持ち主の社会的ステータスも示す意味で、よく使われたそうだ。屋根はアトリウム中央に向けて傾斜し、雨が降ると屋根の水はアトリウム中央の池に落ち、そこから貯水槽に貯められて利用できるようになっていた。(上の地図18)

パンサの家。これもアトリウムスタイルの家だが、先ほどの「小さな噴水のある家」と比べるとかなり広い敷地を使っている。(上の地図23)

「温かい飲み物を出す店」と「水飲み場」はこの後も頻繁に見られた。「ちょっと一杯いかが?」のポーズで楽しみましょう。水飲み場には大変に助けられた。最終的には飲むだけでなく頭から水をかぶって頭を冷やしながら観光を続けた。

パン屋さん。大きな石臼が並び、今でもピッツェリアで見られるような石窯が見られる。(上の地図24)

石窯。こんな立派な石窯ならさぞや内部温度が高くなるだろう。

サルスティオSallustioの家。そう呼ばれているのはファサードにその名前があったからだが、1806年にA.Cossius Libanusの名の入ったリングが発見されてリバヌス氏の家だったと今では考えられている。紀元前3世紀建設。この家は後に上の階も増築されて宿屋になったようだ。(上の地図25)

サルスティオSallustioの家の裏手の中庭の壁に描かれているのは「アクタエオンが女神ディアナの犬に攻撃されている図」だそうだ。

この界隈は住宅街という感じで、道の両側に家が並んでいる。この道にわだちがある。何度も重い荷物を荷車で運んで石に溝ができているのだ。

外科医の家。この家から検査用精密機器、婦人科系ピンセット、カテーテル、外科用メスなどが出土したことからこう呼ばれている。紀元前3世紀建築。(上の地図26)

エルコラーノ門

 8時40分ごろ遺跡に入ってここまでで1時間半。ふむふむ、なかなかいいペースだ。お次はエルコラーノ門を出て、ポンペイ的に言うと少し郊外に出た場所にある秘儀荘まで行く。写真が多くなってきたので次のページに移動。

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