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2010.07.04 Vol.1
ローマ観光(7)〜ヴァティカン博物館、一本勝負(その1)
イタリア:ローマ

 ローマ観光7日目。

 一昨日の日曜日、ヴァティカン博物館が休館にも関わらず勇んででかけて敗退。ということで、昨日一日はキャンプ場でおとなしくサイト更新作業などを行ってパワーを養い、今日あらたにヴァティカン博物館に挑むことになった。

 ヴァティカン博物館の入り口は一般客用と団体客用に別れていて、一般客は入口から東に向かってレオーネ4世通りへと入場待ちの行列ができるようなので、レオーネ4世通りに向かうと、朝8時54分の時点で既にレオーネ4世通りに回り込んで50mくらいの列ができていた。私達の前にはお揃いの黄色いTシャツを着たブラジル人のカナリア軍団が旗を持った人を先頭に並んでいた。団体はこっちじゃないんだけど一般客扱いなのだろうか?と思っていたら30分後くらいに間違いに気づいてどっといなくなった。うーん、ブラジル的だ。


 入場できたのが9時47分なので、53分待って入場ということになる。世界に名だたるヴァティカン博物館。予約なしで1時間弱で入れたら上出来じゃないだろうか。

 7月初頭とはいえ、ローマのひざしは強く凍った水1ユーロ、扇子、日傘などの売り子がたくさん出ていて利用している人も多かった。時折、「待ち時間なしで今すぐ入れるガイドツアーはいかがですか?」という売り込みがやってきた。入場料金とは別に料金を支払ってガイド付きツアーに参加するというシステムらしい。列に並ぶのは嫌だが、料金をと聞いてみんな即効拒否していたから、かなり高い金額なんじゃないかしら?私達の所にもやってきたが「ノー、ノー、イングリッシュ、ノー」とか言って避けていたので正式な料金はわからない。並んでいた1時間弱の間、このツアーに参加すると手を挙げたのはたった1組のカップルだけだった。別途料金を支払うのも気に入らないし、ガイド付きツアーで勝手に見学コースを決められるのも気に入らないなぁ。

 こんな風物詩を見ながら待っているのも観光のうちだと思えば面白い。ただし麦わら帽子をかぶって、水を持参していったのは本当に正解だった。

 さて、結論から言うと全てを見終わったのが午後4時13分。博物館での滞在時間は6時間26分だった。ウフィッツィ美術館の時のように日本語の詳細な解説本を買って回ったらもっと時間がかかっただろう。今回は「地球の歩き方」を参考に、このガイドブックに解説のない部屋も全て見て回った時間だ。入場料金一人15ユーロ、たっぷりと1日楽しめる「世界有数の博物館」の名にふさわしい素晴らしい所だった。

 それでは、入口の混雑ぶりから中の様子まで写真でスケッチ!

ネット予約してきた人は(予約料金一人4ユーロ必要)列に関係なくすぐに入場できていた。

入口の混雑ぶり。

チケット裏面は博物館収蔵作品からラファエッロの「アテネの学堂」の一部を拡大したものだった。左がレオナルド・ダ・ヴィンチふんするプラトン、右がアリストテレス。絵画の中央部分だ。

館内はとても広く、見学時間に合わせて行きたいセクションを取捨選択できる。逆に言うと1つの順路しかない美術館と違って自分なりの見学計画が必要ってことになる。

 私達はエネルギーのある限り見学しようと思っていたので、まずはエジプト美術館から。エジプト美術館を含め4つの古代彫刻のセクションをまずは見学した。

エジプト的な出口装飾。ヨーロッパで見るエジプト美術は、正直エジプトの美術館で見るよりも素敵に配置されている。

大人気の本物ミイラ。

女神イシス(左)と神オシリス(右)の彫刻。イシスはローマ帝国ハドリアヌス帝のティボリの別荘にあったものだそうだ。

これはエジプトじゃなくてたぶんローマで造られたんだろうなぁ。でも右下にエジプト風味が入っている。

これは本当にエジプト文明時代。紀元前2010年から1998年のメントゥホテプ王の頭部。うひゃや、まさに4000年前って、すごい。

女神セクメットの彫刻(左)は紀元前1390から1352年、トゥイア女王(右)はラムセス2世の母親で彫刻は紀元前1279年から1213年。


鳥やら魚やら人面サソリの頭に冠乗っけたエジプトの神様は日本のヤオロズの神を連想させる。それにしてもキッチュだ。

キアラモンティ美術館はピウス7世が収集した約1000体の古代彫刻のオリジナルと模刻の陳列。

全てキアラモンティ美術館収蔵の彫刻。どれがオリジナルの古代彫刻でどれが模刻かわからないが、いずれにしても現代に及ぶまでの彫刻のレベルと比べてひけをとらない自然な表情やポーズに驚かされる。

このふざけた顔はギリシャ時代の喜劇の面だと思われる。この手の顔は彫刻のみならず、後の時代の絵画の中にも描かれたりしている。

「秋の擬人化Personification of autumn」というタイトルの紀元前2世紀半ばの作品。頭飾りや手にブドウの房がたくさんあって実りの秋を感じさせる。女性の顔がとても優雅で印象に深かった。

 ここからは新回廊(ブラッチョ・ヌオーヴォBraccio Nuovo)と呼ばれるセクション。長い廊下一本のセクションだが見応えのある彫刻が多かった。

ローマ北部のプリマポルタ付近で発掘された「プリマ・ポルタのアウグストゥス帝」。今滞在しているキャンプ地がプリマ・ポルタの近くなので親近感が沸いた。威風堂々の鎧姿はほれぼれする。


(上)この彫刻に色づけするとこんな風だったのではないかというパネル、(下)顔部分の拡大。こうして見ると若い。


ハドリアヌス帝の霊廟(サンタンジェロ城)にあったと思われる一対の孔雀のブロンズ像。

カノーヴァ作「ピウス7世」。先日、ボルゲーゼ美術館で見て感動したばっかりのカノーヴァの作品だが、ボルゲーゼ婦人の彫刻の方がいいなぁ。

「ナイル川」と題されたとても大きな彫刻。

女性2体。左は「傷ついたアマゾン」の模刻で他の美術館でも見たのでよく模刻される有名なポーズなようだ。右は特別に注目作品ではないが、ドレスのドレープがとても美しくて個人的に注目。

 次はピオ・クレメンティーノ美術館。クレメンス14世とピウス6世のコレクション。目を引くのはクレメンス14世がミケランジェロ・シモネッティに設計を依頼したという八角形の中庭(ベルヴェデーレの中庭)に面した廊下に展示されていた彫刻類だった。

明るく日のさすベルヴェデーレの中庭を取り囲む彫刻が圧巻。

中庭を取り囲むように廊下が巡っていて、そこに作品がある。

棺だろうか、複雑な彫刻が施されている。

少し上を見上げると壁面には不思議な顔の古代彫刻があって、これもインパクトが大きい。

「ベルヴェデーレのアポロ」。アテネのブロンズ像をローマ時代に模刻したものだそうだが、ブロンズよりも石の方が美しさが強調されていいいのではないかと思う。とにかくバランスがよくて気品があって美しさにはため息がでる。

この中庭で一番人を集めていた作品「ラオコーン」。1506年にコロッセオ近くのエスクィリーノの丘で発見されたそうで、ティトゥス帝の要望でロードスのギリシア人がローマに来て彫った。ラオコーンの苦悩の表情、悶絶のために力の入った肉体表現、絡みつく蛇と息子たちの組み合わせの構図などとにかく引き付けられる要素が多い迫力ある作品だった。

 上記の「ベルヴェデーレのアポロ」の特にポーズを真似たカノーヴァの「ペルセウス」という作品。うーん、これも優美。

 しかし、写真に撮影して並べてみると古代彫刻の「ベルヴェデーレのアポロ」の方が素敵に見える。あのカノーヴァをしても越えられない古代彫刻の傑作があるこの美術館の収蔵は素晴らしいとカノーヴァの作品を見て再認識するのだった。

 八角形の中庭の奥にはちょっと変わった「動物の間」と呼ばれるギャラリーがある。名前の通り動物の彫刻だらけ。チンギアーレ(猪)の単独彫刻から狩りの猟犬の活躍ぶりや過去の英雄の彫刻、果てはロブスターやカニの彫刻まで様々な動物ネタのギャラリーでちょっと一息入れられる場所だった。とはいえ、ここの彫刻のレベルも侮れない高さでやっぱり1つ1つじっくりと見てしまう。

 「ミューズの間」Sala delle Museでは一番人気は「ベルヴェデーレのトルソ」と呼ばれる紀元前1世紀の作品。ミケランジェロが称賛してシスティーナ礼拝堂でのフレスコ画を描く際の着想を得たという作品だそうだ。天井画の美しいこの空間の展示物を1つ1つ見ていくうちに「あれ?この顔は!」とはっとする美しい顔立ちのトルソーがあった。アテネで40年間も治世を行ったペリクレスだった。この顔は、イタリア旅行ということで買いためた本の中で塩野七生作「男の肖像」のトップに出てきていたのだった。この顔を見てもう一度、塩野氏の書いた彼の生きざまのエピソードを読むとますます魅力的に見えてくる。はーーーー、それにしてもいい顔だ。

ベルヴェデーレのトルソ

アテネの政治家ペリクレス。

かっこいいから、違う角度でもう一枚、ペリクレス。

 次の円形の間Sala Rotoandaは床のモザイクが面白い部屋だった。注目作品「オトリーコリのジュピター」は前のペリクレスほどには感心せず。
 

 ピオ・クレメンティーノ美術館の最後に見た部屋は「ギリシア十字架の間」。ここにはキリスト教を公認したコンスタンティヌス帝の母、ヘレナの石棺と帝の娘コスタンティアの石棺がある部屋だった。
 

 あまりに写真数が多くなってしまったので、このページはここで打ち切り。次のページに以降の記録を残すことにする。続き→


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