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2011.04.18
ハバナに到着したのにお迎えがいない!
今日はトリニダ―からハバナに移動の日。
トリニダ―からハバナへは外国人用のバスが2社から出ている。1つは知名度の高いヴィアスールViazul。これはハバナの旧市街から遠いバスターミナルに到着する。もう一つはトランスツールTranstur。こちらはハバナの旧市街のパルケ・セントラルのイングラテッラホテルの前に到着する。いずれもバス代金は同じ25CUCだった。ハバナで旧市街に宿泊しようと考えていた私たちは、それならトランスツールが便利だとこちらの会社のチケットを買ったのだった。
さて、ハバナに戻ったら以前に宿泊していた宿でも訪ねてみようかと考えていたのだが、トリニダ―にいる時にバリバリと次の宿が決まってしまった。それは、こんないきさつだった。
私達がトリニダ―で宿泊しているのは、サンティアゴ・デ・クーバで滞在した宿に紹介されたルイサの妹の宿だった。ルイサの家が満室だったので妹のネルバの家になったのだ。ネルバの家に滞在しながらトリニダを散策していたら、「あら、元気?」と声をかけてきたのは数日前にトリニダ―に到着した時に妹のネルバと迎えに来てくれていたルイサだった。私たちの散策路が偶然にもルイサの家の前通ったのだった。
まぁ、入ってお茶でも飲んでいきなさいよ。と招かれるままにルイサの家の中に入り、トリニダ―の印象やらどうやって毎日過しているかなんて話をしていたのだが、ふとルイサが「そういえば、次はどこに行くの?なに?ハバナ?宿は決まっているの?」と切りだしてきた。
後から他の旅人と情報交換してわかったのだが、キューバのカサ・パルティクラル(民家宿泊)では民家同士がかなり連携してお客さんを紹介し合っているようなのだ。だから、1つのカサに行けば後は芋づる式に次の民家を紹介されるケースが多い。
ルイサは、連携しているハバナのカサはホテル・イングラテッラからまぁまぁ近い場所で、家はコロニアル調で他の旅人から評判もいいと語った。で、気になるお値段は?と聞くと一部屋30CUCだという。以前に宿泊したカサが25CUC、日本人旅行者が多く行くドミトリーのある部屋なら二人で20CUCで済むので、「二人で20CUCの場所に行こうと思っているんだけど」というと、すぐに「じゃぁ15CUCで話をつけるわ」ということになった。ハバナの宿は軒並み値段が高くて20は下らないと思っていたのに、そんなうまい話があっていいのだろうかとかなりいぶかしい気持になったのだが、ルイサはもうハバナの友達のマリアに電話して話をまとめに入っている。私の未熟なスペイン語能力では電話の会話で料金の話をちゃんとしてくれたのかどうか判断できなかった。
まぁ、トランスツールのバスが到着する場所に迎えに来てくれるというし、部屋を見て気に入らなければ断ってもいいとルイサも言っているので、気軽な気持ちで行ってみることになった。そんなわけで、ハバナに到着したら宿からお迎えがくるという事になったのだった。
トランスツールのバスというのはヴィアスールのようにバスターミナルを経由するのではなく、いくつかの高級ホテルを拠点に客を拾って行くシステムのバスだった。私たちはトリニダ―のセスペデス公園に面した高級ホテル前でピックアップされ、同じくトリニダ―の丘の上のモーテル・ラス・クエバスという高級ホテルで他の客をピックアップして、トリニダ―郊外の農家に立ち寄ってちょっとフルーツを買ったりして、観光バスみたいな感じのバスだった。そこからもう一ヵ所シエンフエゴス郊外のリゾートホテルに寄ってからハバナに向かった。
昼時は昼時で外国人しか立ち寄らないドライブインで食事。20円や40円でピザを食べていたトリニダ―での昼食と比べると、一気に割高なサンドイッチの値段にギョッとしたのだが、よく考えてみたら200円くらいしかしていない。そして、値段の割にはかなりおいしい厚いパンを使って、具もちゃんとしたチーズやチョリソーを使ったホットサンド。あまりにもおいしくて、びっくりしてしまった。人民ペソが使える店ばかりで食事しているから、あまりわかっていなかったが、観光立国のキューバでは完全に外国人観光客向けの店ではかなり先進国に近いレベルの物を出しているのかもしれなかった。ま、そういう店ばかりだと心地いいかもしれないが、キューバに来ているという醍醐味は少ない。
それにしても、こんな殿様のような移動方法で果たして時間通りにハバナに到着するのだろうか?とかなり不安になっていたら、やはり不安通りハバナに入るのが言われていた時間よりも30分は遅い時間になった。
しかも、同乗の南アフリカ人カップルが「民宿を体験したい!」と言ったら、ハバナ市内の民宿の前に大型バスを停車して、車掌さんが民宿まで同行するという親切な行為。しかし、私達にとっては時間がずれこむばかりで困った状況だった。
そして、やっとマレコン通りというハバナ旧市街の海沿いの道に入った所で、突然バスが路肩で停車した。どうしたことかと思っていたら、車掌さんが「すみません、ガソリンがなくなってしまったので、ここで終了とさせていただきます」と神妙に発表」したのだった。「ここで」ってここは一体どこなんだ?地図上で確かめたら、目的の最終地点、イングラテッラホテルまで1kmの地点だった。そこで次の宿の人と待ち合わせている私たちは仕方ないので徒歩で移動することにした。もう一組残っていた白人の2人子連れ4人家族は「タクシーを拾うしかないな」と渋面で話していた。全く、いくら感じのいいサービスをしても肝心のガソリン不足というのは何ともキューバらしい、というしかない。
結局、予定の午後2時到着から大幅に遅刻して午後2時50分にイングラテッラホテル前に到着したのだが、当然、誰も私たちを待っていない。
仕方がないので、近所の公衆電話からルイサからもらったマリアの家の名刺に記載の電話番号に電話してみることにした。
キューバで初めて公衆電話から電話してみる。
まず、キューバの公衆電話は人民ペソで1ペソでかける。しかも、星のマークがついた人民ペソじゃないと使えないというので、後ろに並んでいる兄ちゃんが親切にも私達の人民ペソと交換してくれたのだった。星マークのついた人民ペソを入れて電話番号のプッシュキーを押したら簡単に電話がかかった。どうにかマリアさんを呼び出したもののスペイン語しか話せないのであまりよくわからない。でも、「とにかく、そこで待っていろ」というような事を言って電話を切られたようなので待つことにした。
因みにこの1ペソで恐ろしく長く市内通話ができるらしく、私の通話も5分は経過していたのに電話の表示では4セントしか減っていなかった。しかも、私達の後ろに並んでいて硬貨を交換してくれた兄ちゃんは、私達が受話器を置いてすぐに引き続き自分がかけたい番号を押している。つまり、私が入れた1ペソがまだ残っているので、引き続き別の番号への通話ができるようなのだ。そんなシステムがわかってしまったのも、バスが遅れたお陰だと思えば面白かった。
電話してから待つ事15分。ここからそんなに遠い宿なのかなぁ?と心配になってきた頃、若いカップルが私達に話しかけてきた。彼らがマリアの差し金で迎えに来てくれた人達だった。二人ともペルー人の国費留学生で医学を勉強しているそうだ。キューバの医療に関する教育はレベルが高いそうで、ペルー人だけでなく中国、ブラジルなど世界各国から留学生が来ているとかいう話を聞きながら宿まで連れて行ってもらった。
イングラテッラホテルからゆっくり歩いたので30分くらいもかかって、宿に到着した。普通に歩いたら10分強の距離だ。
家はまさにコロニアル調で通りに面した建物の入り口を開けると、いきなり広いリビングルームになっている。リビングルームを抜けるとオープンエア―の廊下というか、奥行きのある狭い中庭があり左手に1階建の部屋が3部屋くらい並んでいる。廊下の突き当たりは2階建の建物で、1階がキッチンとダイニング、そして2階がカサ・パティクラルとして使う客室になっていた。旦那さんが船乗りで8ヵ月航海して1年家で休憩するというライフスタイルをもう25年も続けているということで、居間には航海先で買ってきたお土産物がたくさんあった。
明るそうな夫婦だし、一泊15CUCで朝食一人2CUCをつけて二人で19CUCと値段も安かったので宿泊することに決定した。古い建物なので、客室を締め切って外出して帰ってくると、室内にやや排水溝からの臭いがこもっているが窓を開ければ5分くらいで問題が解消する。コストパフォーマンスで考えればとてもCPの高い家だと思われた。
迎えに来てくれていた旦那さんに、バスが遅れた上にガス欠で歩いて来たのだと事情説明。旦那さんが国際船に乗っていて英語ができるのでとてもよかった。
ということで、ルイサが紹介してくれた家は本当に安くて楽しい家庭だった。サンティアゴ・デ・クーバに始まった民家の連携プレーに乗っかったことになるが、サンティアゴ(ジャカリーン)→トリニダ―(ルイサ)→ハバナ(マリア)の流れは悪くなかった。
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