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2010.05.04
サマナ半島ラス・テレナスの町と西側ビーチ
ドミニカ共和国:ラス・テレナス

 昨日の移動の途中、サント・ドミンゴで少し雨に降られたが今日はまずまずの快晴だ。ドミニカ共和国は5月から5ヵ月も続く雨季に入るとガイドブックに書かれていたので、そろそろ兆候があらわれているのかもしれない。天気のいい日はなるべくビーチに通ってしまわなくては。

 ということで、今日は早速ラス・テレナスの西側を探索してみることにした。ラス・テレナスのメインロードが海に突き当たった両側にビーチが続いているが、町が面しているビーチはその名もプラヤ・ラス・テレナスと呼ばれている。そこから左手(西側)に進むと緩やかな岬を経て西側にはプラヤ・バジェナスという別のビーチが続いているのだった。

 今日、西側を探索してみようと思い立ったのは昨日出会ったアメリカ人の情報がある。ラス・テレナスに住み始めて数週間になるというアメリカ人のジョージとはサント・ドミンゴから同じバスに乗る事になった。彼は話しているうちに「そうそう、僕も数回行った事があるヨットクラブに日本人の女性が働いてるよ」というのだった。そのヨットクラブがプラヤ・バジェナスの入り口にあるというから訪ねてみようというのも目的だったのだ。

 とはいえ、まずは朝ごはん、そして町のスーパーで食糧の調達、西側ビーチへの散策はその後だ。朝ごはんには昨日町でみかけたパン屋にバゲットを買いに行くことにした。朝7時には焼き上がっているというからだ。フランス人2000人が在住するというラス・テレナスにこんなパン屋が存在するのも当たり前なんだろうなぁ。

 もっとも在住者に聞いたら、このパン屋さんのバゲットは今一つでスーパーマーケット「リンド」に入っている細いバゲット型のパンの方がおいしいということだった。実際に食べ比べたら確かにそうだった。

 パン屋に行きがけ、ちょっとビーチに出てみた。生活区域に面している割には水がきれいなビーチで、さすが人気のラス・テレナスだけあると思わせる。砂は昨日まで滞在していたバヤイベやドミニカス・アメリカナスの真っ白な砂浜に比べるとベージュがかった色合いだった。平日の午前10時前の海にはまだ人の姿はなく、静かで気持ちのいい朝のビーチ風景が広がっていた。


 ラス・テレナスの町は内陸から海岸へ続く1本の道Calle Principal沿いに発達している町だ。Calle Principalは内陸から走ってきて、海から500mくらい手前でCalle del Carmenと分岐している。このCalle del CarmenとCalle Principalが作りだす3角形の土地近辺が観光客も多い割合洒落たショッピングモールや食料品店のある界隈になっている。分岐点から内陸に行くに従って、昔からの漁村の面影を残した古い建物が多くなり、店もローカルになっていくのだった。

 大型スーパーは分岐点から更に250m内陸に入ったショッピングモールの一番奥にあった。プエルト・プラタの大型チェーンスーパーSirenaと比べると規模は小さいのだが、フランス製品が多くアジア食品も充実してキッコーマンはもちろん、わさびや海苔やパン粉、豆腐、春雨、中華卵麺まで売っている。

 もちろんヨーロッパのオリーブの実の缶詰、オリーブオイル、各種パテ、肉売り場ではソーセージにサワークラウトまで売られていてビックリした。このスーパーはドミニカ共和国の紀伊国屋だ。

 こうして食料調達も無事に済ませて、さて西側ビーチに向かおうとする頃には空に雲が広がり始めていた。でもま、行ってみますか。

 Calle PrincipalとCalle del Carmenが海に到達して道は海沿いに左右へ伸びていくのだが、左へ伸びていく西側の道は途中から未舗装道路になってしまう。右手にはヤシの木と海、左手には豪邸と豪華なプチホテルが続いて高級別荘地に来たような感じの場所だった。この人気のないプライベートな感じが受けているのだろうか。豪華なプチホテルはどこも閑散としていてシーズンオフの雰囲気だった。そんな中でホテルが設けたバレーコートがやけに騒がしい。見ると面積の少ない水着を着たお姉ちゃんがお尻をフリフリさせながらバレーをしている光景をビデオ撮影している現場だった。一体何のビデオ何だ?もっと先にはプールもあってリゾートマンションなんだけれど、フランス語の子供たちが通学から帰ってきて入る所を見ると、完全に住んでいる人がいるマンションがあった。こんな場所で子供時代を送るってのはいいなぁ。

 それにしても、すでにプラヤ・バジェナスに入って随分になるのにヨットクラブが見つからない。ジョージの勘違いだったのかもしれない。天気も時々雨がぱらついて海に入る天候ではなくなっていた。プラヤ・バジェナスは最終的に岬に突き当たってそれ以上は行けないように見えるので、そこまで行って引き返して来ようと進んでいくと、ビーチの端、岬のほんの手前にヨットクラブが見つかり、その中庭のテーブルで本を読みながらお昼ご飯を食べている日本人女性を発見。

 おおおお、こんな所に日本人が!

 彼女はカオリさんといってラス・テレナス在住11年になるそうだ。なぜこんな若い年ですでにドミニカ共和国暮らし11年なのか?どうしてドミニカなのか?と様々な質問が浮かんでどんどん聞いてみた。日本の規律の厳しい高校に通っていた時に交換留学で短期間アメリカに滞在してから全ての価値観がガラっと変わってしまい、学校に帰ってから何のために日本の規律があるのか、なぜ自分はそれを順守しなきゃいけないのかを先生に聞いたのだが、誰も理論的に答えてくれない。そこから、このまま就職して、結婚して、子育てというフツーな人生でいいのかと疑問を感じるようになってしまったのだそうだ。そして縁あってドミニカ共和国に来る事になり、今はケベック出身のカナダ人の旦那さんと暮らしている。このセーリングクラブは非営利団体で趣味人がお金を出し合って運営しているクラブなので、今の仕事もボランティアでやっているのだそうだ。もともと英語ができた上に、ここでの公用語がスペイン語、そして旦那さんの友人との会話はフランス語といつの間にか4ヶ国語も習得して、ここでの生活も満喫しているようだ。高校生の時に受けたカルチャーショックをバネにここまでポーンと飛んできてしまったカオリさんのパワフルな半生を聞いているうちに、あっという間に2時間半が過ぎた。
 

 セーリングクラブのお客さんも夕方になってちらほら増えてきていたし、私たちはお暇することにした。

 いやー、面白い人だったねぇと話しながら歩いていると「プップー」とクラクションが聞こえて、仕事が終わって帰る事になったカオリさんがスクーターで後ろから近づいてきていた。で、「よかったら家に遊びにきませんか?」という嬉しいお誘い。それはもう二つ返事でお誘いに乗ることにした。

 一度宿に戻って、今夜食べようと思っていた食材とワインを持って迎えに来てくれたカオリさんと家に向かった。宿から家までは徒歩圏内だった。裏手の道はすでに農場が広がる牧歌的な風景。そこを抜けると住宅がちらほら並ぶ中にひときわ大きな家があり、そこがカオリさん達が現在建設中の家だった。内装がまだできていないけれど外側ができているので住んでしまっているのだという。地下室から2階まで3フロアーの広々としたお家で地下はエンターテーメントルーム、1階はキッチンとダイニング、2階に3ベッドルーム。内装を仕上げて家具や調度品を決めるまでに何年も楽しめそうな家だ。

 カオリさんが食前酒にパスティス、スーパーマーケット「リンド」のおいしいバゲットとパテなどを出してくれてまずはアンティパスト。パスティスはアニスのお酒で水を入れると白濁する。「プロヴァンスの12ヵ月」という本で何度もパスティスを飲む場面が出てきていたが、初めて飲んだ。そうか、アニスのお酒だったのか。オーストリアでは生のアニスをチコリのようにサラダとして食べる。買ってみたがあまりに強烈な味でアニスが少しトラウマになって避けていたのだが、ドミニカ共和国では意外にもアニスに再開することになった。乗馬をした時に田舎レストランで出されたユカ芋の揚げものにも入っていたし、ここでパスティスもごちそうになった。どちらも強烈すぎずにスムーズにアニスへの道を再開してくれた食品となった。

 やがて旦那さんのフランシスも帰ってきて一緒にメインのスパゲッティーとサラダ。自分たちのワインを飲みほしてカオリさん宅の赤ワイン、ラム酒まで出してもらって大いに語った夜になった。旦那さんは気を使って日本酒を買ってきてくれたのだが、私たちは2人ともあまり日本酒が得意でなく開封しなかったのが申し訳なかった。こうして12時近くまで飲んで食べて、最後はフランシスに車で宿まで送ってもらったのだった。
 

 カオリさんとフランシスに大いに感謝。楽しい時間とおいしい食事をごちそうさまでした。


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