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2010.04.28
バヤイベのパブリックビーチ
ドミニカ共和国:バヤイベ

 今回のドミニカ共和国小旅行はプエルト・プラタを出て首都サント・ドミンゴを見てから北上してサマナで海を楽しもうかと計画していた。しかし、ガイドブックを読んでいる北側の大西洋側ではなく南側のカリブ海側の海に行かなくっちゃ意味がないんじゃないか?と思い始めてきた。

 しかも、サント・ドミンゴからバスで2時間東に行ったラ・ロマーナから、更に東にグアグア(ミニバス)で20分東のドミニカスビーチが絶賛されている。「パブリックビーチなのにこのゴージャスさはどうよ」という書き方なのだ。この辺りは交通も発達しているので行く事は難しくない。日程に余裕があるので小旅行部分を引きのばす事は予算が増えちゃうけど可能だ。ということで、当初の予定を変更してバヤイベに行く事にしたのだった。バヤイベはゴージャスビーチのドミニカスの隣村。ドミニカスは宿がめっぽう高いのでバヤイベに宿をとって、そこからは徒歩なりグアグアなりで行けるだろうとふんだのだった。

 サント・ドミンゴからバヤイベに到着したのが昼前。お昼ご飯場所を探しがてらちょっと海沿いに行ってみると、プエルト・プラタのある北側とは全く違う、まさにカリブ海的な水色の海が広がっているのが見えた。おおお、これだ、これだ。ドミニカ共和国に私達が求めていた海がここにあったのだ。


 こうなると俄然、やる気がでてくる。早々にお昼ご飯を済ませて早速ビーチに行こうという計画になった。

 バヤイベは15分もあればぐるっと一周できてしまうような村で、観光客相手に食事を出すレストランが数軒とローカル向けのレストランが2軒。宿の目の前のローカルレストランは昼の定食が一人200ペソ(500円くらい)だという。今までの経験では100ペソが相場だから高い。で、もう少し右手に行くと民家の一角をキッチンに改造して庭木の下にテーブルと椅子を出すローカルレストランがあった。こちらは125ペソとまぁまぁ相場の値段だ。地元民や観光客を連れてきたような運転手はみーんなここで食事をしていた。つまり、こっちで食べるのが正解ってわけ。ということで、私達もここで昼食だ。

 昼食後に早速水着に着替えて、いざパブリックビーチへ。バヤイベという村はお隣のラ・ロマーナやもっと東側にあるプンタ・カナという高級リゾート地からお客さんが押し寄せて、ここからボートに乗って国立公園のサオナ島などに行く発着所になっている。だから村の中心にあるのはこうした発着の港で、パブリックビーチは海を正面にずっと右手にずれた方になるのだった。最初にビーチベッドの並ぶ場所は外国人観光客もちらほら来ているが、その先の方になると本当にパブリックビーチでドミニカ共和国人が9割くらいという場所になる。先ほどのビーチベッドのある所とこのパブリックビーチは何ら違いがないので、私達はパブリックビーチで寛ぐことにした。所々にヤシの木がいい感じにあってパラソルいらずというのも、いかにもパブリックビーチにふさわしい。相変わらずドミニカ共和国人は大人数で料理を作った鍋ごととクーラーボックスを持ちこんで飲めや食えや泳げやの休日を過ごしていた。

 北部もかなり細かくてフワフワした気持ちのいい砂浜だが、ここのもフワフワとして更に砂の色が白いので波で巻きあがる海水もクリーミーな色合いになって美しいのだった。ここは湾になっているので、あまり波が来ないのも私達好みだ。バヤイベ、いいじゃないか。まだドミニカスビーチを知らない私達はバヤイベに大変満足したのだった。

 夕方4時、そろそろ陽も傾いてきたので帰ろうとするとバヤイベの港に大量の人が帰ってきていた。みんなツアーで島にでかけていたようなのだ。もの凄い数の観光客が港に到着しては大型バスに飲み込まれていく。

 バヤイベは朝と夕方のお祭りのような人の出入りが引くと、水を打ったように静けさが戻る、そんな村だとガイドブックに書かれていた。確かにそうかもしれない。

 キッチンがないし、食事も外食するほど食欲がない。ということで、夕飯は近所のスーパーで買ったサラミとレタスとビール。これで十分だ。衛星放送の入るテレビで久しぶりに映画三昧の夜も過ごせそうだと思った時、外から大音響でサルサやらメレンゲの音楽が聞こえてきた。最初は無視してテレビを見ていたのだがテレビの音が聞こえない程の大音響に、ついに外に様子を見に行くことにしたのだった。

 宿から歩いて3分くらいの公園にステージが設けられ、たくさんの食べ物とアクセサリーなどの屋台が出ている。大音響はここから来ていた。何のお祭りだろうか。ステージのスピーカーから大音響が響いているものの誰も踊っている人はいないし、みんな屋台の周りで飲んだり食べたりしながらしゃべっているだけだ。一体これは何なんだ。何のお祭りだ。水を打ったように静かな村なんじゃないのか。

 何もわからないまま宿に戻ってテレビを見るも大音響は止まらず、夜中の1時まで続いた。この日から毎晩大音響、踊らぬ人々を見て帰るという虚しい行為を数日続けた。そしてやっと、これが今行われようとしている選挙キャンペーンの一環で、政治家がミュージシャンを雇ってライブする間を縫って選挙演説をしているのだとわかったのは4日目のことだった。


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