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2010.05.11
ムーニョ村のハイチ人ディスコ
2週間ぶりにプエルト・プラタに戻ってきたのは午後6時過ぎだった。今日は朝から移動してきてやっと宿にたどり着いたので早く休もうと思っていたら、オーナーのディアナから「夜から皆でハイチ人ディスコに行くけど一緒にどう?」というお誘いがあった。
それは行っておかなくっちゃ。
ということで疲れた体に喝を入れて、夜7時半からハイチ人ディスコに出かけることになった。私達が滞在しているムーニョ村はプエルト・プラタから車で30分ほど離れた場所にある田舎の村なのだが、ここには違法、合法のハイチ人が住む居住区がある。宿のオーナーのカナダ人ディアナは宿を経営しながらドミニカ共和国人、及びハイチ人へのボランティア支援を行うオーガニゼーションも作っているのでコミュニティーの人々との付き合いも深く、彼女がいるからこそ、こういうディスコに出入りできるのだった。
ディアナとしては新しい宿泊者が来るたびに何かしらイベントを行って皆が知り合える環境を作ってくれる。ハイチ人ディスコは宿泊者同士が知り合うにも良い機会なのだった。私達がドミニカ共和国に到着した日も宿でパーティーがあって、皆と知り合う事ができてとても楽しかったので、今回も参加することにしたのだった。
2週間前からいるのはカナダ人のディアナ(オーナーとはまた別人)だけになっていて、あとはすっかり別の人々になっていた。ジャマイカ人女性、アメリカ人女性、カナダ人男性が参加者だった。
ハイチ人が多く住む場所で車を降りて、バラックのような小屋に入るとダンスフロアーと部屋の壁際にテーブルとイスのある簡単な作りのディスコがあった。
ジャマイカ人の女性は家族でアメリカ合衆国に移住して彼女は現在、弁護士としてNYで働いているというキャリアウーマンだ。バジャータやメレンゲは踊った事がないといいつつもカリブ海の血がそうさせるのか、すぐに慣れて上手に踊っている。かっこいいなぁ、もう。オーナーのディアナは従業員のレネのお誘いがあってバジャータを踊る。ディアナもノリがいいので楽しそうだ。ディアナのもとにはとても真面目なレネとハンスというハイチ人青年が働いている。彼らは本当にディアナに忠実で私たちは密かに助さん角さんと呼んでいた。その助さんがディアナと踊っているのは微笑ましい光景だった。アメリカ人女性は誘いを受けるも強烈に拒否して見学のみ。踊ってみれば楽しいのにねぇ。カナダ人男性は「日本でもこうやって踊る?」と当然NOという答えを知っていながらちゃかして聞いてくる。こうして、飲んでしゃべって踊っての楽しい時間が過ぎていった。
ジャマイカ人の女性にはすぐに特定のダンサーがついた。
彼女はちょっと当惑気味。 |
オーナーのディアナと従業員のレネ。
レネはなかなかダンスが上手い。 |
場はだんだんと盛り上がり、夫の相手をしてくれるハイチ人もいた。 |
この晩のベストダンサー。ハイチ人同士はやっぱり違うなぁ。 |
ディアナの言うとおり、ここのディスコは早く始って1時間で切り上げて帰れるというのが利点だった。午後10時、ディアナの号令のもとに私たちは帰ることにしてピックアップトラックに乗り込んだ。来る時は見知らぬ同士だったが今ではすっかり仲間の意識。ディアナの交流作戦は大成功だ。ディスコでは本場のバジャータやメレンゲダンスも見られたし、翌日からみんなと顔見知り。このディスコに行っておいて良かった。ディアナ、ありがとう。
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