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2009.11.26
ルアンパバーンから1泊2日でファイサイまで船の旅
ラオス北部のルアンパバーンからファイサイまで、陸路と水路でいくつかの行き方があるが陸路は時間がかかるし荷物が多い今回はふさわしくないと却下、水路ではファイサイまで8時時間、バリバリという轟音と水しぶきと転覆の恐怖に耐えるのは性に合わないとスピードボートは却下して、残る交通手段のスローボートで行く事にした。スローなのでパークベンで1泊して丸2日かけて行くことになる。
夜市の出る辺りに宿泊していたので、バックパッカーならボート乗り場までは歩いていくだろうが、荷物が重いのでトゥクトゥクに声をかけた。郊外のミニバスステーションからここまで一人Kip10000だったのでスローボート乗り場まではKip3000くらいが妥当だろうと思っていた。ところが、言い値は2人でKip20000=US$2.4。荷物もあるので、一人Kip5000、合計Kip10000に値切ったら交渉成立した。まぁまぁかな。
チケットは当日朝にスローボートの出発場所の窓口で購入。パークベンまで一人Kip100,000(=US$12)だ。
事前に下見していたのでわかっていた事だが、乾期の今、ボート乗り場は階段を40段ほど降りなければならない。スーツケースは1つずつ2人で運んでようやく下まで到達。更に岸からボートにかかっている頼りない木の板は使わずに岸から夫が荷物を持ち上げて、私が甲板で引き上げた。
荷物運びの人もいたが、自力で行けそうだったのでお断り。 |
ボートから見上げる。40段くらいあったな、この階段。 |
岸から渡した板のはしご。スーツケースが転がせない幅の狭さ。 |
このボートの場合は船倉に荷物を収納。 |
客席前半は車のシート。この部分を確保せよ! |
最後部はダイニングになっている。というか寝場所になっていた。 |
下見に来た時に客席の前半16席だけがソフトな車のシートなのを確認。更に、予想していた程には乗客がいないことも確認。ということで、出発の45分前にボートに乗り込むくらいに到着したら3番目だった。というか、この日の乗客は15人しかいなかったので全員がソフトシートに座れたことになる。
ファイサイから逆流してきたアメリカ人から80人定員の船に100人も乗せていて、大半がオーストラリア人を中心とした白人の若者で、酒を買い込んで宴会状態になると聞いていたのに全くそんな気配がなかった。15人中外国人客は7人でみんな物静かであまりに退屈なので後半にビールを買って飲んでいる人はいたが、持ち込む人もなし。どうやらファイサイから下るボートが若者のトレンドらしい。
ボートは乗客が集まらないので待っていたのか予定を20分過ぎた8時50分に静かに岸を離れた。
出発時に朝靄が立ち込める暗い感じだったメコン川は、すぐに明るい青空を映して気分の良いクルーズになった。スローボートとはいえ屋根をかけただけのスカスカの船体なので温まっていない空気を浴びているとどんどん体が冷えてくる。半袖Tシャツにソフトシェルを着ていたがそれでもソフトシートは日陰が寒くて、後ろの固い木のシートで陽の当たる場所に移動して船旅を続けることになった。
今日のハイライトはメコン川が支流と交わる場所。そこにルアンパバーンから日帰りツアーでも訪れる人が多いパークウー洞窟があり、洞窟の中がお寺になっている。
通り過ぎるだけだが洞窟がちらっと見られたらいいなぁと朝から楽しみにしていたのだった。やがてメコン川の前方に立ふさがるように大きな岩山が見えてきた。きっとあの山に違いない。右手から支流が流れ込んでいる場所で、メコン川はここで大きく左手に折れ曲がっている。どこだ、どこだと岩山に目を凝らしていたら、左手の別の岩山下にボートが集まっていて、実はパークウーは左手だったということが判明。都合よくボートからも洞窟が見えて、今日のハイライトを楽しむ事ができた。
ここから先は川の両側に岩が突き出す風景が楽しめた。乾期なので出てきてしまっているのだろうが、案外岩が多い。最初は上空をヘリコプターが飛んでいるのかと思ったが、屏風のようになった岩の間を通るとバリバリとボートのエンジン音が反響するのだった。悠々と流れる川の向こうに脈々と山が並んでいる景色の雄大さはここに来た者でないと感じられないだろう。世界から取り残されたような虚無を感じるのか、魂が洗われるような穏やかさを感じるかは人それぞれだろうが、私は・・・。
気づくと居眠り。天気もいいし、風もそよそよしてくるし、とーにかく気持ちよく眠った。
両側はうっそうと茂った森林でそれも岸から離れるごとに高さを増して遠くまで続いているのだが、忽然と斜面に村が現れる。電線のない所を見ると電気も引いていない村だ。それ故か村はおとぎ話に出てくるように見えるのだった。しかし、村の周辺では乾期に出没する砂浜に畑を作る人がいて、近くに牛を放し飼いにしているし、突き出た岩には魚捕獲の網が引っ掛けられて人々が生活しているという雰囲気を出していた。ふと見ると崖からターザンよろしく天然のロープにぶらさがってブラーンとぶら下がって遊んでいる。子供はどんな環境でも楽しい事を見つける天才だ。
お昼ご飯はボート内でサンドイッチを販売しているが、大抵の人は外から買って持ち込んでいた。私達もルアンパバーンの行きつけの朝市の店で赤米(赤い色のもち米)とジャックフルーツとお花の漬物、デザートにココナッツミルク煮のもち米を買っていた。デザートは行きつけのお店のお母さんからのプレゼントだ。さらに数時間、村があり牛がいて岩のある風景を見続ける。だんだん陽が傾いてきて岩がオレンジ色になる頃、一体いつまで乗っているんだろうと少し不安になった。ガイドブックではメコン川を登ってパークベンまでは8時間となっている。
目的地のパークベンが見えてきたのは辺りが薄暗くなってきた頃だった。そして午後6時に到着。所要時間9時間10分だった。
パークベンの広くない船着場は既に他のボートに占領されていて、私達のボートは建築資材の積み出しを行っている大型の船の向こう側に停泊するしかない。気づくとボートには地元の大人と子供が荷運びの仕事を狙って薄暗い中にわんわんと入り込んできており、盗難の危険も感じられて今までゆったりとしていた船旅がにわかに緊張したものになった。お小遣いの欲しい少年たちはわれ先に人の荷物を引っ張り出す。しかし、勝手に持っていかれても困るので一旦全部断って、手荷物だけ岸に降ろして私は荷物番、夫がスーツケース2つを持ってくる役目になった。ところが隣の大型の船まではどうにか持ってこられたものの、朝の場合よりも更に長い距離の細い木の板で岸まで降りてこなくてはならない。結局、スーツケース2つを大型船から岸に降ろすのだけは少年達の手を借りざるを得なくなった。
10歳くらいの少年だろうか。ヒョイと20kgのスーツケースを肩に乗せて上手くバランスを取りながらあっという間に岸まで到着。スーツケースは2つで働いた少年は2人なのだが、夫との取り決めは一人Kip5000=US$0.6だったのでKip15000を手渡した。更に「ここから坂道を上がって宿までUS$3で持っていくよ!」と少年は売り込んだが、ここからは自力で運ぶ事にした。
坂はほんの50mくらい。上がりきると左右に走るメインロードがあり右手に少し進むと両脇に宿が並んでいた。1軒目のパークベン・ゲストハウスからKip70000=US$8.4と声がかかったので見たらホットシャワー、トイレットペーパーなど一応の設備はあるしお湯もでる。掃除もまぁまぁしてある。暗くなっていたし、乗り場から一番近い宿なのでここに決定した。
パークベンの町に夕飯を探しに出た。町といってもメインストリートが100mくらいあって宿の1階がレストランになっているような場所がほとんどだ。そうしたレストランは地元の人が食べる食堂ではないので、私達がのぞむ食事ではない。
結局、宿の右斜め前の雑貨屋の並びで食堂をやっている、誰も客が入っていない店で朝から焼いていたと思われるすかすかになったソーセージと高菜の漬物とカオニャオ2つ。2人で300円くらいだった。どうせ期待できない村なら安いにこした事はない。少なくとも漬物とご飯はおいしかった。
翌日、朝お粥でもないかと歩いたが時間が早いのか出ていない。そこで小奇麗なベーカリーで朝食用にオムレツサンド、昼用にハムサンドを作ってもらった。オムレツサンドは作りたてなのでなかなかおいしかった。
宿の主人に朝8時までにボートに行くように言われて、7時半に行ってみる。
昨日とは違う船に乗るようで岸からすぐの場所にあるのだが、その岸が道路からずっと階段を下った先にある。自力でも行けるけど疲れそうだなぁと思っていたら、地元青年がスーツケース1つKip5000で船まで持っていってくれるという。昨日の子供達よりも多い仕事なのに同じ値段とはありがたい。ということで、お世話になった。
彼らの荷物の扱いは丁寧で値段もいい所をついてくるし、いいサービスだった。
ボートには昨日も一緒だったおばあちゃんと若夫婦と子供2人の5人家族がすでに乗り込んでいて、私達は2番手。8時までに昨日乗っていた白人全員とここから乗るローカルの人が加わって、結局12人になった。3艘向こうに停泊しているルアンパバーン行きは硬い木の席も埋まるほどに白人の若者がどんどん乗り込んでいて、アメリカ人旅行者に聞いた情報通りのようだった。あの混雑で長時間、しかもあのメンバーは嫌だな。
朝靄たなびくパークベンを後にしたのはきっかり8時半。予定通りの出発だ。
昨日は全く言葉を交わしていなかった白人同士、今日は気心がしれたのか朝からおしゃべりが盛んだ。他の土地に比べるとアジアを旅している者同士は警戒しあう傾向があるようだ。交通が便利で物価も安いのであまりに誰もが来られてしまう東南アジアには有象無象の輩が潜んでいるのは本当だと思うから、彼らが警戒しあうのは普通の事だ。ただ、1日一緒に過ごすと警戒も取れてくる。5人家族のお母さんも目が合えばニッコリともう知り合いのような感じになっていた。
今日も陸の孤島のような村をいくつも通過していく。昨日よりも途中からの乗車希望者が多くて、この路線がバスのようになっているのが面白かった。
ただし、私達のボートは少し大きめなせいか、船頭さんが竹の棒を川底に差してみると浅すぎて岸に近づけない。今回の船のリーダーである女将は「無理無理」と船頭に手を振って先を急がせた。ちょっと悲しいような表情で私達のボートを若い夫婦は見守っていたが、別に他の方法を探す気配はない。
次の村も水深がなさ過ぎて近寄れない。この男性も「じゃぁ、こっちから乗らせてくれよ!」などと場所を移動することなく、「あっそう」と無表情で立ち尽くしていた。
パークベンとファイサイの間は私達の乗っているサイズから5人乗りくらいの小型まで往来が頻繁なので、直に次の船に乗れるのだろう。そういう意味で皆焦らないのかもしれない。でもそういう事情を抜きにしてラオスの人は穏やかでノンビリしているようにも見えた。
この様子を見て思い出したのがアフリカでの移動だ。
アフリカの湖を同じように船で移動している時は、岸から大きな船までたくさんのハシケが出ていた。この船は2日〜3日に一度しか出ないので乗りたい人は絶対に乗り込もうとしているのだ。村から離れた湖上に停泊していると岸のあちこちから競争するように何艘ものボートが必死でこちらに近づいてくる。そして船に到着すると、またまた必死で荷物を投げ込み入り口なんて使わずに、欄干をよじ登って人間が乗り込んでくる。カンダダがくもの糸を伝ってくるのを見ている釈迦の気分ってこんなんかもしれない。船底の3等席は早い者勝ちだからそうしているのだとは思うのだが、その必死ぶりがすさまじい。大声を出し合って大騒ぎだ。こうして乗り込んでしまうと次の停泊地では大笑いしながら高みの見物。自分もあの一人だったという自覚が微塵も感じられないのだ。形相は必死でも精神的にはスポーツ大会くらいな気分でやっているのかもしれないが、あの中に入り込んで一緒に競争する気には到底なれなかった。
今日は船の往来が多く、特にスピードボートを何度も見かけた。物凄いスピードだ。ヘルメットと救命胴衣を着用している姿は移動とは思えない。転覆事故で亡くなっている人もいるのでロンプラには「本当に時間がない人だけ利用するように」と書かれていた。怖い。
途中の村でドイツ人若者4人が下船した。ここからまたバスで南下した町にいる友人を訪ねに行くのだそうだ。通り一遍の観光ではできない経験にテンションが上がっている4人はとても楽しそうだった。青春だなぁ。
スピードボートは競艇みたいだ。 |
季節限定の畑にも立派に育つ |
途中下車の人もいた。 |
午後5時半過ぎに到着。この日も9時間10分。昨日と同じだ。 |
こうして午後5時半過ぎに到着。昨日と同じ時間かかっているが出発時間が20分早いのでぎりぎり日のあるうちに到着できた。私達はそこに待機していたトゥクトゥクに乗り込んで2kmほど離れたファイサイの中心近くにある宿を目指した。一人Kip5000。いい値段だ。
目指していた宿サバイディー・ゲストハウスは建物も新しい感じで良かったのだが、団体客が入ったばかりで満室。仕方なく向かいのウドムポン・ホテル2に入った。安い部屋はもう埋まっていてエアコン・テレビ付だが、エアコン使えないようにして扇風機にするからちょっと安くしてKip85000=US$10.2でどうかと言われた。部屋は広かったし、設備も割合きれいだったし、テレビも衛星放送が入って日本のバラエティー番組(タイ語に吹きかえられていたが字幕が多いのでわかる)も楽しめてよかったけど、これだけの金額を支払った宿で前の客からシーツを変えていないってのは怠慢だ。だめになっていくな、この宿。
ファイサイの町もこの宿の周辺は食堂が少ない。というか外国人が入っているレストランが2軒、ローカルのみ入っているビールと炭火焼き鳥の店が1軒しかない。仕方なく外国人が入っているレストランで食事をした。
ということでルアンパバーンからファイサイまで本当に丸々2日かかって移動したが、ボートへの乗り降り以外は横になって寝られるくらい空いているし、歩き回れるし、トイレもついているし、何だったらビールも飲めるし、楽な移動だ。本を読んだり音楽を聴きながらボーっと過ごして目を上げると緑豊かな自然や穏やかな村人の暮らしが見える。これを退屈と言うかどうかは旅人次第だが、私は今回のラオス旅の締めくくりにふさわしい時間の流れだったの良かったと思う。
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