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2009.11.01 Vol.2
年に一度のタートルアンのお祭り
ビエンチャンに到着して空港から町中に向かうタクシーから、ピックアップトラックに花飾りした塔に金紙を貼ってお札をびらびらとはためかせて走る車を数台見かけた。
昨日は宿の目の前のワット・ミーサイというお寺で同じような塔を先頭に親族一同らしき団体がお寺の周りを練り歩いていた。
宿の近くでサンドイッチを売っている女性が教えてくれたのだが、この時期はラオスで一番大きなお祭り、タートルアンのお祭りなんだそうだ。
今朝は国中からお坊さんがタートルアンに集まって大托鉢大会が行われていたはずだが、午前中に壊れたスーツケースを空港に持っていく約束をしてしまって見に行けなかった。そのかわりに、お昼ちょっと手前から行ってみることにした。宿のある町の中心部からタートルアンまでは約3.5kmの道のり。宿の人に「歩いていこうかと思うのだが」というと遠いからトゥクトゥクに乗った方がいいと言われた。しかし、同宿のフランス人男性が「いや、僕は昨日歩いて行ったよ」と言っている。旅人というのはどこの国でもよく歩く。私もここに住んでいたら歩かないだろうが、日頃の運動不足解消の意味も含めて旅人らしく歩いてみることにした。フランス人の男性から立ち寄った方がいいポイントを2、3教えてもらって、いざ出発。
まず立ち寄ったのが中心部の北東にあるタートダムという苔むした塔。町中に取り残されたようにぽつんとロータリーとして残されているものでガイドブックによれば16世紀に建てられたそうだ。
これがなかなかいい味を出している。いい感じに古ぼけて苔むしている塔が突如として町中に残っている意外性がとても面白かった。
ここからタートルアンまで一直線に続くラーンサーン通りの始まり右手にはタラートサオ(タラートは「市場」の意味なのでサオ市場ということになる)がある。半分は新しい3階建のショッピングモールになっていて1階は服飾店、2階が貴金属店、3階が服飾とDVD店とフードコートになっていた。ここでお昼ご飯。
フードコートは入り口で食券を買ってから各店で買うというシステムが社会主義っぽい。ぐるっと周って買うものを決めて値段を聞いて必要な分だけ食券を買ったが、当日中ならば余った食券は買い戻してくれるというのでそんなに神経質になる必要はないらしい。
本当の市場に比べると清潔度が高いせいか、白人旅行者の数もちらほら見られるし、中にはすっかりとラオス社会に溶け込んでローカルの奥さんと子供と一家になっている白人おっさんが数人いたりする。でも大半はローカルの人たちだ。麺類のお店、ご飯にお惣菜を選んで乗せてくれるぶっかけ飯の店、バゲットラオス風サンドイッチの店、ハンバーガーらしき物を売る店もあって若者にも人気がある。
私達はフーというソウメンのようなスープ麺とぶっかけ飯にした。フーには違った部位の茹でた内臓スライスが入っていて面白い。
さて、腹ごしらえも済んでラーンサーン通りを更にまっすぐ歩いて行くと、道の真ん中に巨大な塔が見えてくる。これがパトゥーサイ。「戦死した兵士の霊を慰めるために1960年代から建てられた戦没者慰霊塔。(「地球の歩き方」より)」だそうだ。現在も未完成らしい。
パトゥーサイの界隈には大使館も多く、美しい庭の大きな建物が多くて人が少ない。ラーンサーン通りをタートルアンに向かってパトゥーサイの左前あたりにフランス料理がおいしい「ナーダーオ」という店がある。
以前に同じくフランス領だったマダガスカルを訪れた時、やはり手軽な値段で本格的なフランス料理が楽しめてとても良かった。特にマダガスカルは世界でも有名なバニラビーンズの生産地で、サーモンのバニラビーンズソースをメインにした前菜とデザート付セットが700円くらいで食べられた。ここラオスも期待が高まったのだが、何せ現地料理が十分においしくてもっと安いので行く気が失せてしまい行かずじまいだった。
パトゥーサイを過ぎた頃から道端に花飾りを売る店が出始めた。バナナの葉を美しく畳んで小さな塔を作って、そこにオレンジ色の花を挿している飾りはとてもきれい。これを銀色の大きな碗に入れて抱えて歩いている現地の人の姿もだんだんと多くなってきた。
ラオスの女性は普段着でも民族衣装のシンと呼ばれる布のスカートをはいている人が多いが、今日はシン姿の人が特に多く、肩にはやはりシンに使う布を斜め掛けにして正装の構え。途中には高校生一団によるパレードと遭遇した。ラオスの各部族の衣装を身につけて伝統舞踊を踊りながら少しずつ進んでいる。この暑さの中、このスピードで練り歩くのは大変だなぁ。タートルアンエリアに入ってくると、両脇は炭火の煙をモクモクとさせた屋台レストランが軒を連ね辺りにいい香りを漂わせているし、正装して花を持つ人がたくさん歩いている。なんだかワクワクしてきたぞー!
やがてタートルアンの正門が見えてきて、その向こうにキンキラキンの本堂が。正門の先は食べ物以外を売る屋台が左右に続いてお祭りの雰囲気になっていた。皆が向かっているのは本堂らしい。流れに沿って進んで行くといよいよ本堂が目の前に見えてくる。本堂への入り口へは大行列ができていて、入場制限をしているので一度門が開くと入れ入れの大騒ぎになっている。私達も群集に入り込んで何度か開門を待った。近づいてくると周囲の女性が「クレヨンしんちゃん」のような声で「ウォーーーー」っと声を上げ、他の人もそれに続く。強い日差しとお化粧の匂いと吹き出る汗でクラクラしてきた頃に流れにもまれながら本堂に入ったのだった。
本堂の敷地は真ん中に塔が立っていて、回廊式の中庭には芝がしかれて青々と美しい。中庭を取り囲むように塀が立っているのだが、この塀が幅3〜4mほどの回廊になっている。人々は塔の周囲の中庭を反時計回りに歩くことになっているようだ。国中から集まっているお坊様はこの回廊で寝泊りしているそうで、見ると非番のお坊様が目の前を通り過ぎる民衆をながめながら寛いでいる姿があった。で、このまま歩いてどうなるのか?と思っていたら非番じゃないお坊様が塔側に設置されたテントに座っている。お供え物を持った民衆はここに立ち寄って、お坊様に拝んでもらって、その後に塔の足元に持ってきたお供え物を捧げて祈る。祈っている目の前をお賽銭集め係のお坊様が歩いているのだが、集めている袋がビニール袋というのがちょっと味気ない。
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振り返った景色はなかなか壮観 |
休憩するお坊様 |
休憩するお坊様 |
お化粧までして正装したおしゃまラオスガールズ |
人々の拝観を受けるお坊様 |
お供え物を捧げる民衆とお賽銭を集めるお坊様 |
こうして華やかな本堂一周を終えて私達は終了。人々はそのまま本堂敷地内に残って座っている。このまま夕方に向かって本堂内に座り込む人がどんどん増えて、それからどうなるのかは気になる所だったが、もうとにかく暑くてやりきれないので退散した。本堂内では無料のお水やジュースを配っていてくれて助かったが、本堂から出てみると暑さのせいか人いきれのせいか貧血で倒れた女性が日陰に担ぎこまれていたりした。ラオスの人にとっても今日は特別に暑いのかもしれない。
私達が本堂巡りを終えて外に出た頃に、高校生一団がやっと本堂前に到着して踊りを披露していた。縦3列の行列だが列ごとに衣装が異なっていて、左側は北ベトナムのサパで見た少数民族の衣装に似ているのでその辺り、真ん中はタイの民族衣装に似ているのでタイと国境を接している辺りから来ているようだ。右側は中国雲南省の少数民族村で見たことがある。多くの国と国境を接しているラオスは周辺の国と様々な文化を共有しているのが、この行列一つ見ただけでわかる。
中国の昆明にある少数民族村で見たような衣装 |
タイ風の衣装 |
北ベトナム風の衣装 |
おばちゃん軍団のシンのスカートがラオスオリジナルな感じ |
帰り道、午後4時になろうとする屋台レストランはますます炭火の煙を高くしてお客さんを待っているようだ。地鶏、魚、豚肉などどれもおいしそう。中には鶏の腸専門で焼いている店もあった。宿で会ったフランス人の兄ちゃんに祭り会場でも出会ったのだが、彼はそのまま夜中までここにいたそうだ。フランスから初めて東南アジアに来た彼にとっては見るもの聞くものが楽しくて仕方ないらしい。
町の中心地に向かって歩いていたら素敵な民族衣装を来た青年が歩いていた。そういえば今日はあまり男性の衣装を撮影していない。ということで一緒に写真を撮らせてもらうことにした。この青年はとても礼儀正しく「It's
my pleasure」とか言って応じてくれる。いいとこのお坊ちゃんなのだろうか、この後ピカピカの新車を運転して去っていった。
炎天下の7kmの散歩はさすがに疲れた。こんな時はフルーツを店頭に飾ったフルーツジュース店でシェイクに限る。注文するとフルーツを切って、ミキサーにフルーツと氷とシロップと水を入れてあわ立つくらいにかき混ぜて出来上がり。シャーベットになった氷を一気に吸い込むと頭がキーンとするくらいに冷たい。化学調味料が入っていない天然のジュースだからとてもおいしいのだ。レモンシェイクはKip5000=US$0.6だった。
たまたま年に一度のお祭りにビエンチャンを訪ねることができたのはラッキーだった。タートルアンまでの道のりは歩いていくのが面白い。ガイドブックに紹介されていない普通の人の暮らしをながめながら歩くとラオスがだんだんと体に染みてくる感じがするからだ。で、帰り道にご機嫌なフレンチでランチっていうのを次回やってみたいな。
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