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2009.01.25
パイネ国立公園トレッキング第五日目
今日は楽ちん。イタリアーノ・キャンプ場から3時間くらい歩いてペオエ湖のフェリー乗り場まで戻って、フェリーに乗ってバスに乗ってプエルト・ナタレスに帰る。
朝のここの氷河は硬く、青く、暗い。昨日の明るく光った輝きの残像を思い起こしながら、朝8時45分にキャンプ場を出発した。
キャンプ場を出てから湖まで足場が悪い。ぬかるみを避けながら歩くのはストックがなければ難しい所だった。ストックはここでも大活躍だ。2日前に見事な鏡面で山を映し出していた湖は、今日は鉛色に濁り山も雲に隠れて見えない。この天気の移り変わりが激しいのもこの地方の特徴ではあるが、奇跡のように美しい景色を見られて今回は本当にラッキーだった。
鉛色のスコッツバーグ湖に比べると、やや晴れ間も出ているペオエ湖は相変わらず驚くような美しいエメラルドグリーン。今日こちらからフランセス谷に向かって歩く人はちょっとがっかりかもしれない。
湖のふちをぐるっと歩いたらもう終点のフェリー乗り場だ。
行く時は2時間45分かかった道のりは帰ってくる時は2時間20分。やや早く帰ってこられた。フェリーの時間は12時半なので1時間半近くあり、その間はペオエ湖沿いの素敵なレストランで贅沢にもビールで乾杯だ。ここのビール1缶はグレイ氷河の2000ペソ(=US$3.17)よりも安い1500ペソ(=US$2.38)なので、トレッキング終了記念の思いもこめて一人1缶で乾杯した。
オナ族をモチーフにした現代アートがレストランの壁を飾る。 |
オナ族は戦闘体制時に全裸にペインティングして仮面をかぶる |
12時頃にフェリー乗り場にいってみると少し列ができている。ってことで私達も移動だ。目の前に見えている船は警備用かなにかの船。私達が乗る船はもっと大きい。
12時半過ぎに乗船開始だが、かなり人数が多くてフェリーが岸を離れたのは1時近かった。
今朝私達が歩いてきたフランセス谷、それを取り囲むように左にパイネ・グランデとその氷河、右手にくっきりとパイネの角が天を指していた。
フェリーを降りると500mくらい離れた場所にバスが待機して乗客を待っていた。バスからフェリー乗り場に向かう時に始めて担いだバックパックの重さに暗澹たる気持ちが起こったのは、ほんの5日前のことだったとは思えないほど背中にバックパックが馴染んで歩くのが苦痛でなくなっている。人間ってのは鍛えるとたった数日で進化していくんだなぁとあらためて驚くのだった。
バスに乗り込んで、最後のパイネ国立公園の姿をまぶたに焼付け、やがて公園も小さく遠のいて道端にグアナコが・・・と思った瞬間にがっくりと眠気が襲ってきて、気が付いたらバスはプエルト・ナタレスの町中を走っていた。来る時は宿でピックアップしてくれたのに、帰りは全員町外れのバス会社付近で無理やりおろされた。帰りこそ送ってほしいのにね。
宿に戻ると愛犬のアヤックスとオーナーのオマールがベッドを確保して待っていてくれた。「山はどうだった?」というオマールに「天気が良くって最高に良かったよー!」というとニッコリとウィンクを返してきた。
レンタルした荷物を手早くまとめて返しに行く。ストック以外を借りたBranco
Encalada通り沿いのレンタルショップではバックパックを見積もりに入れるのを忘れていたことが発覚したのだが、「もういいや、無料で」という大盤振る舞い。支払いの32000ペソもお釣りがないとかで30000ペソに負けてくれて、よっ、太っ腹!ストックを借りた店は日曜日のためか店が閉まっていたので翌日返却することにした。まぁ、これには後日談があって、先のレンタル屋では4泊5日で1日あたりのレンタルコストに4をかけた金額を支払ったのみだったのに、月曜日にストックを返しにいった店では6をかけるという。店いわく4泊5日なので5日分プラス昨日返却しにこなかったので6日分になるというのだ。店を閉めていたのはそっちの都合なので承服できないというと夜の8時から10時までは開けていたという。そんな表示は店頭に全くないのに平気でそういう事をいうんだな、この店は。もう少し食い下がって、初日は夕方から借りに来たのでカウントされないはずだというと、それではと5日分の請求に下がった。それにしてもこの店の商売は他よりも高飛車で気に食わなかった。
レンタル用品を返却したらお楽しみのお食事。トレッキング直後の食事ってのは一番の楽しみだ。庶民的な地元の人もよく来るレストランに再び赴き、さっそくビール、そして夫はメルルーサのグリルセット、私は豚肉のアサド(炭火焼)セットを注文した。豚肉は私の大好きなスペアリブの部分でこれもグッド!
ビールのラベルについたパイネの角は今朝まで見ていた景色。「ここは楽しかったねぇ」などと言いながら飲むビールも最高に旨かった。
4泊5日のトレッキングは最初はどうなることかと不安が一杯だし、途中も大変だったが終わってしまえば甘い記憶だけが残るのは常のこと。私達の山歩きの記録に大きな一歩を残した今回のトレッキングは、私達としては大金星だった。
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