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2010.03.05
メリダからカンペチェへ移動途中にウシュマル遺跡観光
通常は大きなスーツケースを抱えて旅をしている私達は、移動途中で荷物を預けて観光するなんて事は滅多にない。しかし、今回のメキシコ小旅行では大きな荷物はカンクンの日本人宿に置かせてもらって、本来の意味でのバックパッカー旅行なので、気軽に移動途中で遺跡観光をしてみようって事になったのだった。
メリダからウシュマル遺跡までは2等バスターミナルから一人41ペソ(287円)で1時間半。ウシュマル遺跡の入場料金は一人116ペソ(812円)、ウシュマル遺跡からカンペチェまでは2等バスで一人94ペソ(658円)で3時間25分という行程だった。ウシュマル遺跡のチケット販売所でカンペチェ行きのバスの時刻と値段がわかり、荷物は同じ場所で無料で預かってくれた。メリダから遺跡経由でカンペチェに行く人が多いせいか、なかなかスムーズに情報が得られて良かった。予想外だったのは遺跡からカンペチェまでが距離の割にとても時間がかかった事だった。この路線は近郊の村に細かく立ち寄って、近所のおばちゃんや高校生などを運ぶ市バスの役割も兼ねているために、とても時間がかかったのだ。それでも日が暮れる前にカンペチェに到着できたので良しとしよう。
この日は朝から快晴だった。朝9時のバスに乗るためにソカロ目の前の宿を8時15分に出る。バスターミナルまでは徒歩12分で到着し、当日券を購入して余裕で待合室でバスを待つことになった。朝の涼しい空気の中、バスは快調に遺跡前まで進み10時20分にウシュマル遺跡前に到着した。といっても遺跡前の幹線道路で降ろされるのでここからチケット売り場までは300m歩かなくてはならない。
「観光で潤っているユカタンなのにどーして遺跡目の前まで行かないかなぁ。」
普段はスーツケースを引くだけでバックパックを背負うことのない私は、思わず口をとがらせてしまう。300m歩くだけでも荷物を背負っているとなかなか大変なんだなぁ。
文句を言いながらも、入口に到着。カンペチェに向かうバスは7:20、10:25、11:50、13:20、18:20の5本。遺跡見学には2時間はかかるだろうし、明るいうちにカンペチェに到着したい。どうやら私達には13:20という選択肢しかないということが判明した。素敵なのはここでは荷物を無料で預かってくれるということだった。チケット売り場の部屋の中に2段組みの棚が用意してあって12人くらいの荷物が置けるようになっていた。つまり、このくらいの人数くらいしか、ここに大きな荷物で訪れることはないということらしい。確かにメリダからツアーで訪れる人数の方がずっと多いだろう。その理由がこの後のバスの長時間乗車にあるのだろうことは、今は知る由もない私達だった。
今日はメリダの宿で一緒だった女子大生の桐子さんと3人で行動している。遺跡への道を歩いて行くと正面に見えるのが「魔法使いのピラミッド」と宮崎駿もびっくりなネーミングのピラミッドが見える。「小人が一夜のうちに造り上げたという伝説から」(「地球の歩き方」より)このネーミングがついたのだそうだ。ピラミッドの足元で大きなトカゲがお出迎えしてくれた。このピラミッドの前の丁度いい場所で柏手を打つと鳴き龍現象で音が反響するようだ。メキシコ人中学生が団体で来ていて、先生の説明の後に皆で柏手を打つのだが一向に揃わない。先生が「ウノ、ドス、トレス」と掛け声をかけるのに揃わない。バラバラと拍手のようになるのでウワーンという反響がうまく聞こえなくて、なんだかなーという情況になっているのがいかにもメキシコ的だった。
実はこのピラミッドの正面は反対側になる。反対側に回り込むと「一体誰が登るんじゃい!」と激昂したくなる急斜面の階段が中央に作られ、その両脇に段々になって雨の神様、チャックの顔が並んでいる。そんなに大きくはないが美しくなで肩な優雅なピラミッドだった。雨が少ないこの地域の事、この遺跡には至る所にチャック様が登場するのが特徴だが、それにしてもこのピラミッドの中央階段両脇のチャック様段重ねが他を押しのけて一番の景色だと思われた。
お次の尼僧院と呼ばれる広場を取り囲む宮殿は、建物上部の装飾が見事だった。全体のバランスからすると頭が重すぎるだろうと思われるほど装飾だらけで、それがまたチャック様やら蛇やらが幾何学模様の上に立体的についているのでアンバランスを通り越して素朴な力強さになっている。良く見ると妙な装飾もあって飽きないし、妙だからといって後期マヤ文明のトルテカ文化と融合した後に見られるオドロオドロシサがないので明るい感じがした。
この尼僧院を左手に抜けると、マヤ文明でお馴染みの競技場が見られる。
長方形の競技場の長い辺には石垣があって一辺の石垣に石の輪が突き出ている。マヤのサッカーは腰でボールを蹴って(?)この輪っかに通すという競技で、同じユカタンのチチェンイツァー遺跡にもこの競技場がある。丁度、アメリカ人相手の観光ガイドが英語で解説していたが、この前期マヤ文明でさえ競技で優勝したチームの主将はその命を神への生贄に捧げられたそうだ。うーむ。残酷性が少ないと思われた前期マヤでもそうだったのか。
この解説を聞いたアメリカ人は口々に「そんなんだったら、絶対に手抜きして勝たないようにするなぁ」。私も同感である。そうすると競技が停滞して成り立たなくなるはずなのに、なぜか競技は成り立っていたようだ。神に捧げられるという名誉が存命よりも素晴らしく思えるというメンタリティーがどうしても理解できなかった。
ウシュマル遺跡の南側にある一番大きなピラミッド、グラン・ピラミッドには登る事ができる。ここもかなり急な段なので登って下を見ると、下から登ってくる人々がとても小さく見える。額に汗して登り切った頂上では、ユカタンの森を渡る風が額を涼しく横切り古の遺跡が眼下に白く輝いて見え、登ってきた苦労が報われる景色が広がっている。頂上にも装飾が多くあるが、ここも良く見ると変な顔の彫刻があったりして面白い。メキシコの近代芸術家にブスタメンテという気になる人がいる。彼の作品は一抱えもある石にリアルな顔を描いたり、妙に人間くさい顔の猫が曲芸の玉乗りをしていたり、一度見たらそのインパクトで夜寝られなくなるような作品が多いのだが、あのブスタメンテの作品の顔に似ている彫刻がここにあった。もしかして、こんな所がヒントになっているのかもしれないと思うと面白い。
こうして2時間ほどで遺跡を見てまわり、メリダに戻るためにもう少し遅いバスに乗る桐子さんと別れて、私達は昼食でも摂ろうと遺跡を後にした。遺跡館内にはレストランがあるのだが予想通りバカ高い。困ったなぁとチケット売り場の外に出ると、場外土産物屋の屋台に交じってサンドイッチを売る店があったので助かった。そんなにおいしいとは言えないので、できればお弁当持参かもう少しましなサンドイッチ持参でくるべきだった。
さて、荷物を受け取って300m歩いて幹線道路に出てバスを待つ。朝到着した時よりもずっと陽が高くなって木陰じゃないと耐えられないことになっていた。私達以外にも2組の白人カップルがそれぞれの木陰でバスを待つ。待つ。待つ。
先進国の我々が「おおーい、大丈夫か?本当にバスは来るのか?」と不安になる20分後にバスはやってきた。
既に地元メキシコ人をぎっしり乗せた2等バスは、恐ろしく音だけが大きいクーラーを積んでいて前から2列目くらいまでしか涼しくない。うだるような暑さで溶けてしまいそうになりながら、頻繁な乗り降りで前の方が開くたびに辛抱強くじりじりと席を移動していった。このバスは本当によく停車する。途中では大半の人が降りて、物売りまで入って休憩時間のようになった。氷の入った容器に使い古しのペットボトルに赤い液体が入ったジュース売りがやってきたので、買って一気に飲んだ。想像通り、これはハマイカという甘酸っぱいよくあるジュースで、飲んだ途端に喉の渇きが癒えた。メキシコ万歳。もちろん白人バックパッカーは用心深いのでこういうのは買わない。案外、大丈夫なのにね。
やっとクーラーが利く席に来た頃にはあまりクーラーも必要ではない夕刻になっていた。
午後5時、バスに乗っていただけなのにクタクタになってカンペチェに到着。急いでタクシーに乗って宿に向かってしまったのだが、この2等バスターミナルではカンペチェから次のパレンケに向かう1等バスのチケットを事前購入できるのだった。到着時に手配しておけば良かったのだが数日後に翌日のチケットを手配しようとしたら満席で、カンペチェ滞在が1日伸びてしまった。カンペチェからパレンケに向かう1等バスは昼間運行が1本しかなく、3本くらいは夜行になる。私達のように昼間にいパレンケに向かいたい場合は早めのチケット手配が必要なようだ。
予約なしでタクシーで向かったのはソカロ沿いにあるモンキー・ホステル。メリダで会ったアメリカ人女性から可もなく不可もない宿だが3軒見た中では一番ましだったという評価を受けた宿で、行ってみるとこのアメリカ人の評価が的確だったことがわかる宿だった。ま、事前に知っておけば落胆もそんなにない。ただ、聞いていないプラス評価が1つあった。それは宿のロビーテラスから見えるカテドラルの夜景。
この景色はすばらしい。まるで一流ホテルのパンフレットみたいじゃないか。
お陰で、共同シャワーの排水溝からあがる下水道の臭いも、朝8時からというのに8時から始まったことがないシャビーな朝食も、何を聞いても「俺はちょっと知らないなぁ」としか答えないアホなフロントも、ちょっと許してもいいかなという気分に・・・いや、それはそれで許しがたい。
ということで、今日はこれにて終了。充実した日だった。
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