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2010.08.31
ブレンタ運河沿いのヴィッラ
ヴェネツィアから橋を渡って対岸にメストレという町がある。そこから南西にあるパドヴァまで続くのがブレンタ運河で、ローマ時代から歴史を持ちヴェネツィアとパドヴァをつなぐ交通路として、また川遊びの場として栄えてきたそうだ。運河沿いには貴族のヴィッラが点在し、今でもいくつかが一般に公開されている。
今日はその中からヴィッラ・ピサーニとヴィッラ・ヴィッドマンの2つを訪ねる日帰り旅行を行った。
ピサーニ家はヴェネツィアで成功をおさめた一家で、アルヴェージ・ピサーニがヴェネツィア総督に選出された時代の1735年に、この屋敷の建設が始まったというから、ピサーニ家絶頂期のお屋敷ということになる。到着するなり屋敷がまるで宮殿のように大きいことに驚いた。
屋敷正面入り口 |
入口の拡大。柱を担ぐ男のモチーフはシチリア島のアグリジェントの遺跡(ギリシャ時代から古代ローマ時代)でも見られた古典的な物だ。 |
1階は吹き抜けで彫刻などがおいてある。 |
敷地全体の見取り図。手前中央にお屋敷があり、その向こうに広大な庭園、一番奥にあづまやのような建物がある。 |
入場料一人10ユーロを支払ってまずはお屋敷内の見学。一貴族の屋敷というよりは宮殿に近い豪華さのある内装だった。もちろんローマにあるボルゲーゼ家の屋敷のように本格的な美術館が開けるほどのコレクションはないのだが、広くて明るくて気持ちのいい部屋がいくつもあって非常に感じのいい屋敷だった。この頃の流行りだったのだろうか、所々にポンペイで見たような広い壁の中央にぽっちりと絵が描かれるという手法が見られるのが面白い。ハイライトの「祝祭の間」のティエポロの絵は中でもひと際、華やかで明るい作品でゴージャスというよりは温かい幸福感に包まれるような気持ちになる絵だった。
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ポンペイ風テイストの壁絵が面白い |
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ナポレオンが2回宿泊したというベッドルーム |
またしてもポンペイテイスト。流行していのだろうか? |
屋敷の一番の見所、祝祭の間 |
祝祭の間の天井画はアカデミア美術学校の校長も勤めたティエポロの「学問と芸術に取り囲まれたピサーニ家の栄光」 |
ヴィッラ・ピサーニに来たのはヴェネツィア本島で見かけたポスターがきっかけだった。今、ヴィッラ・ピサーニでは「Veneziano
Contemporaneo」と題してヴェネツィアの近代絵画のエキシビションをやっている風な感じだった。ポスターに使われているのは、女性の着替えをしている部屋に誤って男性二人が入ってしまった瞬間をとらえたもので、男性は「うわ、間違えちゃったけど、いい風景だなぁ」という表情をしており、女性の「きゃーっ」という叫び声が聞こえてきそうな臨場感とユーモアにあふれた作品だった。これを見たいと思ってヴィッラ・ピサーニを訪ねることにしたのだった。
エキシビションは「祝祭の間」の次から始まっていて、完全撮影禁止で係員が非常に多く監視していたので一枚も撮影できず。あーあ、いい絵があったのに私の記憶力ではすぐに消えて行ってしまうのは本当に残念だ。せめてリーフレットに印刷されていたものを記録して見た絵画への記憶の手掛かりとしたい。展示されていたのは17世紀、18世紀の絵画で、これまでルネッサンスで見てきたクアトロチェント、つまり15世紀の絵画よりはずっと現代的で素人のイメージの中ではフランス絵画(印象派)に近かった。しかつめらしい表情の肖像画ではなく、もっと日常な内面のにじみ出る絵が多かったように記憶している。
内部の見学終わったので、今度は庭園の見学だ。屋敷の1階吹き抜けの向こう側には素敵な庭園が広がっていた。
正面に見えているのは何だろうとと近づくと、内は廊下のようになった建物で人が住んだりするのではなく、単純に飾りとしてのオブジェ的な建物だった。なんという無駄、何という贅沢だ。
右側の一番奥には熱帯植物を育てる温室、人工の池の真ん中に緑の小山を造ってその上に建てたあづまやなどがある。周囲をギリシャ神の彫刻が取り囲む小庭にはベンチがあってサンドイッチでお昼を食べるのに最適な場所だった。この彫刻の足元にはピグマリオーネとかアステリアとか書かれていて、ギリシャ神話に出てくる神々などの名前に思われた。イタリア人はこういう神話に子供の頃から親しんでいるせいか、風化してよく読めない文字を解読して「これはあのエピソードに出てくる王様じゃない?」などと楽しんでいた。お母さんたちのこういう会話を聞いて子供も大きくなっていくから、詳しくなるんだろうなぁ。
正面に見えていた建物 |
内部はこんな風に空っぽ。 |
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人工池に浮かぶ人口島の上にあづまや。 |
彫刻が並ぶ小さい庭 |
神話の神々だろうか、それらしい名前が足元に彫られた彫刻 |
ちょっとうなだれ犬の彫刻 |
爽やかな緑のトンネルの回廊 |
そして、この庭園のハイライトは「迷路」だった。日本でも時々見られる、生垣で造った迷路でゴールは真ん中の塔。これが半端でなく難しくて、本気の大人の迷路だった。行きつ戻りつ可能性を1つ1つ確かめて歩かないと、出る事すらできない。最後の3分の1くらいは塔の上にいる女性のヘルプに従ってやっとゴールにたどりつく事ができた。塔の上の女性も最初のうちは教えてくれない。いよいよとなったら教えてくれるという厳しさがまたゲームを楽しくしていた。塔にたどり着いた者たちは同士の気分でどこが難しかった、あそこがポイントだと話し合える雰囲気になってしまうのも、このゲームの素晴らしい所。コミュニケーションの達人であるイタリア人らしいなぁ。
ああ、こういうのよくあるよね、と気軽に入る。 |
なかなか難しいことに気づき、本気になる。 |
結局、出られなくなって塔の係員にヘルプしてもらう。 |
上から見るとわかるんだけどなぁ。 |
思わぬ面白いゲームに参加できて、ご機嫌にヴィッラ観光を終了。次はヴィッラ・ヴィッドマンだ。ピサーニに比べて明らかに規模が小さい屋敷の写真。見つかるかなぁと不安に思っていたら案の定近くまで来て迷い、3往復くらいしてやっと見つかった。それにしも、この辺りのブレンタ運河沿いの景色はのびやかで気持ちがいい。川の水は清流というわけにはいかないが、土手に生ごみとかペットボトルが落ちているインドやエジプトや、あるいは日本とはえらく違う。そんな国と比べるなって?そうでした。失礼しました。でもね、やたらにゴミが散らかっていない事がこんなに素晴らしいっていうのを実感したと言いたかったのだ。
ヴィッドマンという名前がドイツっぽいなぁと思っていたら、やはりオーストリアの絨毯商人で1740年にここを購入してロココ調に改装したのだそうだ。そもそもは1710年に建てられ、何度か持ち主を変えている。小さな屋敷といってもそれなりの規模の家で敷地も広いし、ちゃんと屋敷とは別の建物にマネージメントオフィスもあった。屋敷よりも広いんじゃないかと思われるこの建物は、かつての使用人部屋の棟だったそうだ。一人5.5ユーロの入場料金を支払ったら、係の若い女性が「それでは、ここから屋敷に行ってください。私の同僚がご案内します」と真面目な顔で言われたので、「はい、了解いたしました」と私達も神妙に答えた。同僚という女性も若くて真面目そうな人で、自由見学はさせてくれなくてつきっきりで説明してくれたが、それは案内というよりは置いてあるヴェネツィアングラスの置物を盗らないか、ロココ調の壁に自分のイニシャルを彫ったりしないか監視されているような気分だった。
お屋敷はそんなに大きくない。最初の持ち主の依頼でアンドレ・ティラーリが設計。 |
でもヴェネツィアングラスのシャンデリアや壁布、カーテン、椅子など調度品が凝っていてやはり普通のお宅ではない。 |
こういうのロココ調っていうんですか。「ベルサイユの薔薇」っぽい。 |
使用人の建物。 |
お屋敷から見える庭 |
円周上に配置された彫刻が面白かった。 |
庭はお屋敷から見えている部分はよく手入れされていたが、奥にいったら案外ぼさぼさと草が伸びたり、彫刻が崩れたりして良く言えば歴史の風にさらされるままになっていた。池に白鳥が浮かんでいるのは貴族的だと思ったけどね。
というわけで2めのヴィッラはやっと探し当てた割にはあっさりと見学が終わってしまった。他にもまだヴィッラはあるのだが、キャンプ場にも近い場所で里心が出たってわけじゃないけど帰りたくなったので、午後2時で終了。そう、あまりに多くを見過ぎると印象が薄れるからこの辺でやめておくので丁度よかった。
午後はスーパーでゆっくり食材調達し、夕方はビールとピーナッツで夕涼み。貴族のお屋敷を見た日は、こちらもちょっと貴族気分でゆったり過したってわけです。
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