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2010.08.22
世界遺産のウルビーノとロッシーニの生家
フィレンツェのウフィッツィ美術館でピエロ・デッラ・フランチェスカ作「ウルビーノ公夫妻の肖像」を見てから、いつかウルビーノを訪れる日が来るんだと楽しみにしていた。14〜15世紀の典型的なルネッサンスの町の外観を今も保ち、世界遺産にも登録されていると町ウルビーノ。今回のイタリア旅行でのハイライトがフィレンツェで出会ったルネッサンス芸術とローマのバロックになるだろうから、しばらく南イタリアでそうしたものから遠ざかっていて再びルネッサンスの文化に触れられるというのは、旅先で知り合った人に再会するような喜びと興奮を感じた。
今滞在している町は、作曲家ロッシーニが生まれ育った町。ウルビーノへの日帰り観光と絡めてロッシーニの生家も見学ようという予定だったので、まず朝からペーザロの町のロッシーニの生家を訪ねた。ところがあいにく日曜日は午後4時半からしか開館しないというので、先にウルビーノに行く事にした。ペーザロの町はこれといった目玉の見所もないので観光客の姿もあまり見ない北イタリアの普通な町の普通の日曜日という雰囲気の所だった。しかし、歴史としては紀元前184年に古代ローマ帝国の植民地となってから、様々な為政者がこの町に入ってきていて色々な文化を残していき、突如として古い城塞があったりする。中心部の広場の歩道に第二次世界大戦時のナチスドイツが行った強制収容所への書類や新聞の切り抜きのコピーが埋め込まれている。大戦で大被害を被ったこの町ではこうして悲劇を忘れないようにしているのだろう。この抒情的な抗議の仕方がイタリア的で、ドイツ人観光客が見たら非難されるよりもいたたまれない気分になるだろう。
夕方にペーザロに戻る事にして、もう一度車に乗り込んでウルビーノを目指した。そうそう、日曜日のペーザロは路上の駐車料金が無料だったので、この足止めは何の被害にもならなかったのがちょい嬉しい。
ウルビーノまでは40分くらい。時折小さな村を通過する以外はだんだんと山の中に入って行くような道でドライブが楽しい道のりだった。最後にウルビーノの町に入るには急な坂をぐんぐんと上がって行くようになる。城壁に囲まれて旧市街の中には入れないので城壁のすぐ外に駐車した。残念ながら世界遺産の町の駐車場は日曜日でも無料じゃぁなかった。
私達が車を停めたのは町の北東にあるラヴァーニャ門の目の前だった。南北約1kmの縦長楕円形のウルビーノの町は真ん中あたりの広場が中心でそこから南に向けて見所が広がっている。北東のこんな所まから入る人はあまりいないようで、裏口というか勝手口のようなひっそりしたらヴぁpラヴァーニャ門をくぐると、おおーーっというような上り坂道が目の前に続いていた。
ま、上りましょう。
坂を上りきった所が中心部のレップブリカ広場で、広場に入る手前左手にラファエッロ大学がある。そう、あのラファエッロはこの町出身なのだ。広場には噴水があり、カフェがあり、人がたくさんいる。ガイドブックを手にしている人が多いので観光客のようだ。やっぱりウルビーノは人気のある町なのだ。
この広場とつながっている道はどれ一つとして平たんではない。北東側、つまり私達の駐車場に続く道は下り坂だが、北西に行く道、南に行く道、南西に行く2本の道は全て上り坂になっている。普通、どれか一本くらいは平坦な道があってそれがメインストリートになっているってもんだ。ここにはそれがない。というのもこの町は2つのお丘の上に発達しているからだ。今日はちょっと運動することになりそうだ。
まず向かったのは南にあるドゥオーモとドゥカーレ宮殿が面している南北に細長い広場、リナシメント広場だ。ドゥオーモはガイドブックの写真よりもきれいで最近修復されたのかもしれない。18世紀後半から19世紀初頭に建てられたネオクラシック様式だそうだ。
この隣のドゥカーレ宮殿の内部にある国立マルケ美術館が、今日、私が楽しみにしていたハイライトの絵画がある場所だった。入場料金一人4ユーロながら内容の濃い美術館。特にピエロ・デッラ・フランチェスカの「セニガッリアの聖母」を見たいと思っていたので良かったなぁ。違法撮影防止と絵画保護を兼ねてなのかガラスケースに入れられていて、肉眼でみる場合も反射でよく見えないのが本当に残念。ここに掲載した他にも、もちろんこの町出身のラファエッロの作品やティツィアーノの作品も見られて入場料金と併せて考えても、かなり満足度の高い美術館だった。
ロッビア作「聖母と聖人達」 |
ピエロ・デッラ・フランチェスカ作「セニガッリアの聖母」 |
ピエロ・デッラ・フランチェスカ作「キリストの笞刑 |
左の横長絵画がピエロ・デッラ・フランチェスカ作「理想の都市」とされてきたが現在はピエロの作じゃないという説もある作品。 |
気持ちのいい裏庭で丁度お弁当タイム |
美しい回廊のある中庭 |
ラファエッロの生家のチケットはラファエッロの自画像だった。 |
さて、次はどこに行ってみようかとガイドブックを開くと、ラファエッロの生家が日曜日の今日は午後1時で閉館じゃないか。やばい。ラファエッロの生家は初めに到達したレプッブリカ広場から急な坂を上る途中の左手にある。ヒーヒーと坂道を上って12時半前になんとか滑りこみセーフで入れた。入場料金一人3ユーロ。複雑な造りの3階建の家は中庭を囲むように大小様々の部屋があってかなり大きな家だった。ラファエッロは裕福なお家のお坊ちゃまだったようだ。確かに彼の自画像からは貧困なイメージはしない。
見学を終えて出ようとすると既に扉は閉じられて、新しい入場者は入れないようにしていた。本当にぎりぎり間に合って良かった。
ここから更にラファエッロ通り(生家が面した通り)を上がっていくとラファエッロの記念碑のあるローマ広場になる。これだけ上ったのだからさぞや眺望が開けているかと思いきやそうでもなくてちょっとがっかりした場所だった。ここからラファエッロ通りの1本裏通りの迷路のような細道を伝ってサン・ジョヴァンニ祈祷堂とサン・ジュゼッペ祈祷堂のある場所に行った。途中の脇道からドゥカーレ宮殿が垣間見えて素敵な風景の楽しめる道だ。
日曜日はいずれも12時半に閉館とあるので外観だけみようかと行ってみたのだが、サン・ジョヴァンニ祈祷堂は幸いにも開いていて中を見せてくれるという。一人2.5ユーロを支払って小さな祈祷堂の中に入ってみると、あっと息を飲む。びっしりと壁一面にフレスコ画が描かれているのだった。15世紀初めの作日院でサリンベーニ兄弟による「サン・ジョヴァンニの生涯」だそうだ。
ラファエッロの記念碑 |
ラファエッロ通りには素敵なお店も多い。 |
祈祷堂への裏道もそのまた脇道もどこを見てもアップダウンだらけ |
サン・ジョヴァンニ祈祷堂のチケット |
祈祷堂内部 |
祈祷堂内部 |
祈祷堂内部 |
祈祷堂内部からドゥカーレ宮殿がばっちり見える |
祈祷堂のある場所からウルビーノの城壁内の西側に来るとドゥカーレ宮殿の朝見た側の反対に出る。こちらから見た方がお城という雰囲気を出しているのだが、ここには前庭がない。ちょっと変わった造りだなぁ。
こうしてぐるっとウルビーノの城壁内を一周してもとのレップブリカ広場に戻ってきてジェラートで休憩。坂道が多いといってもエリアが狭いので思ったほど疲れなかった。
それにしてもウルビーノは美術館だけが面白いのかと思っていたが、街全体が雰囲気があってとても良かった。見学には3時間を費やし、だいたい主要な部分がそんなに大急ぎでなく見学できた。
時刻は午後2時近く。このまま戻るとロッシーニの生家の開館には早すぎるのだが、だんだんと日曜日のシエスタで人通りが消えていくウルビーノにいても仕方ないので一度キャンプ場に戻って出なおすことにした。
もう一度キャンプ場目の前のビーチに行ってみる。日曜日とあって昨日にも増して多くの人でにぎわっているが海はとても入る気になれないレベルだった。北部イタリアはまぁチンクエテッラやポルトフィーノからフランス寄りはどうかわからないが、フィレンツェ辺りは東側も西側も灰色の海になっている。文化は素晴らしいものがあるのだが、海は駄目だなぁ。
それでも日本の湘南などと同じように皆身近な海に遊びに来ている。潮風は気持ちいいし日焼けにはもってこいの場所だからね。
さて、午後4時半をめざしてロッシーニの生家を再び訪れた。今度は開いている。以前、同じくイタリアの大作曲家ヴェルディーの生家に行った時には、管理人の女性がとてもやる気のある人でヴェルディーの子供時代のエピソードを語ってくれたりして、ヴェルディーを生身の人間として感じられた。少しでも作曲家の事を知ると、曲を聞く時の感じ方も変わってくるという体験が大変に良かったので、ロッシーニにも同じような期待をしていたのだが、この生家にきても今一つロッシーニを生身の人間として感じられる要素がなかった。もちろん本人の肖像写真なども飾られているが、あまり伝わってくるものない。ショップに置いてある音楽CDも種類が少なくてこちらの望むようなものがなかった。
ってなわけで、今回のイタリア旅行で期待の高かったロッシーニの生家見物はちょっとがっかりな結果となった。ウルビーノの町が良かったから今日一日として見れば楽しかったと言えるけどね。
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