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2010.08.15
大人気の「イタリアの踵」で見つけた超格安キャンプ場
イタリアの踵部分にあたるプーリア州はアドリア海を渡ってクロアチア、ギリシャ、トルコへと船の出る港がいくつかある南イタリアの玄関口。この州の中でも最南端の本当に踵の部分がサレント半島だ。手持ちのロンリープラネットに掲載されているトッレ・デル・ピッツォTolle
del Pizzoの海の写真がとても魅力的でどうしてもここに行きたくなり、はるばるやってきた。
ロンプラの美しい写真は読者からの投稿記事で「4月のトッレ・デル・ピッツォTolle
del Pizzoは誰も人がいなくて海を一人占めできた」というような内容が書いてあった。こんなにイタリアの端に来たらさぞや田舎だろう、夏とはいえ人は少ないんだろうなぁ。あんなに美しい海を一人占めなんて素晴らしい!
と、妄想で頭を膨らませながらトッレ・デル・ピッツォTolle del Pizzoに一番近いキャンプ場に向かったら、未舗装の細い道路は長蛇の列。こんな野原の真ん中でそれはとても異常な光景だった。原因はもちろん目指しているキャンプ場。ここに大勢の人がつめかけてチェックインするために車の列ができていたのだった。とりあえず私達も列に並ぶ。するとあと2-3台で私達の番という時に係員がやってきて「君たちぃ〜、今の時期は最低5泊じゃないと受け付けないんだけど大丈夫かなぁ?」と料金表を片手にやってきた。その料金たるや一泊50ユーロとかしていたと思う。そもそも5泊もする気はないし、そこまで値上がっているとも思っていなかったので当然無理。あえなく敗退して別のキャンプ場をめざすことになった。
それにしても集まってきているのはお洒落系のイタリア人若者が多く、流行りの曲が大音響でかかっていて、スタッフのしゃべり方もキャンプ場という感じではない。全体的に「クラブ」に来たかのようなノリの場所で思い描いていたトッレ・デル・ピッツォのイメージがガラガラと崩れて行った。
とにかくも今夜寝る場所を確保しなくては。
手持ちのキャンピングガイドを見て次に向かったのはトッレ・デル・ピッツォの北にある比較的大きな町ガリポリGallipoliにあるキャンプ場だった。値段を聞いてみると割とリーズナブルだったが問題は電源ポストがないということだった。今の私達のキャンプ生活に電気は必需品になりつつある。1日くらいは電気なしでも耐えられるが、ここを拠点に2-3日はいようと思っているので「電気なし生活」は厳しいと断念。
キャンピングガイドで紹介されているキャンプ場はあと1軒しかない。今度はトッレ・デル・ピッツォの南側にあるウジェントという町を目指した。実際はウジェントの町を出てトッレ・サン・ジョヴァンニという海沿いの町に向かっていたのだが、その途中で夫が「今、キャンピングってサインが出ていなかったか?」というので引き返してみるとガイドブックには掲載されていないキャンプ場が見つかった。
広大な農家の庭のような場所には混雑したビーチ並みにテントが並んで難民キャンプかと思うほどだった。それもそのはず、レセプションの小屋に張り出された料金表に「一人10ユーロ」と書かれているのだった。この時期、この人気の海水浴場で一人10ユーロというのは破格の料金設定だ。ざっと敷地内を見ると1ヶ所だけ私達が持っているサイズのテントがはれる場所がみつかり、シャワーもトイレも一応掃除されてきれいなものがある。電源はレセプション小屋から超ロングコードを引っ張ってきて、それもまたロングコードで分岐してキャンプ場内に巡らせてある。もともとの電気容量は60A。全員で容量オーバーしたら全員の電源が落ちるし、鬼のようにタコ足配線だし、まずないと思うが雨が降ったらと考えると恐ろしい状況だったが、自分の頭の中の結論としては「うううん、よし、電気あり」と片付けることにした。
で、到着したのが12時半なんだけどレセプションの扉に鍵がかかっていてノックしても誰も出ない。レセプションの中に宿泊客共用の冷凍庫があって飲み物を取りだしたい人が入れ替わり立ち替わり訪れるのだが、皆困っていた。ああ、これが一人10ユーロの実態なのね。
そのうち、宿泊客の一人で事情通の人がきて午後2時までシエスタで担当者は目の前の一人用テントの中で昼寝中だと教えてくれた。テントの中をのぞくと高いびきの男が一人。その風貌を見て、今無理やり起こしてもつむじを曲げられそうな感じだったので、おとなしく午後2時まで待つことにした。
待っている間に他の宿泊客と話をして、周囲の見所情報も収集できたしそれなりに有効な時間だったからよしとしよう。ミラノから来たというダンススクール経営者夫妻は「自分たちの教え子にも日本人がいて、日本人ってのは金持ちかと思っていたがこんな場所に宿泊するのか」とか言ってきて面白い。
午後2時にピタッといびきが止まり、男がテントから出てきてお仕事再開。真面目は真面目らしい。
パスポートを人質に取られ、書類に必要事項を書いてチェックイン終了。こうしてようやくサレント半島での滞在場所が確保できたのだった。
サレント半島はギリシャ文明に始まり、ローマ帝国、イスラム支配、ノルマン、ドイツとシチリアとも似た様々な文明からの支配を受け複雑な独自文化を作っている場所だそうだ。言葉もギリシャ語なまりのイタリア語らしい。そういう文化背景と美しい海で国内の格好のバカンス先になっているようだった。
ミラノから来たダンススクールの夫妻を始め、隣のテントのおそらくフランスで働いていると思われる(車がフランスナンバーで会社名が入ったもの)イタリア人家族や陽気なツーリングのイタリア人カップルなど、密集している故の仲間意識のような連帯感が漂う面白い場所だった。
キャンプ場の名前はAzienda Agrituristica Palese。ウジェントからトッレ・サン・ジョヴァンニに向かう道沿いの左手にある。なんとウェブサイトもあって、見るとアグリツーリズモで部屋貸しているようだが、夏の時期はとにかくキャンパーだらけだった。車がないとアクセスできない場所だがこの値段でキャンプ場を提供してくれるのは本当にありがたかった。
http://www.agriturismopalese.it/
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