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2010.07.13
ローマ郊外観光(3)〜ポンペイに匹敵の保存状態、古代都市のオスティア・アンティカ
イタリア:ローマ

 ローマ市街の南西、フィウミチーノ国際空港の近くに紀元前4世紀に城塞都市として栄えたのだがテヴェレ川の土砂に埋まり800年で幕を閉じたオスティア・アンティカという古代都市がある。1909年に発掘作業が始まるまで土砂に覆われていたというから保存状態がいいはずだ。

 駐車場に車を停めて、すぐ近くのチケット売り場で一人6.5ユーロの入場料金を支払うと簡単なパンフレットをくれる。右の地図の右端の一番から始まって、東にやく1.4km、南北約600mの敷地内にちらばる様々な遺跡を見ていくのだ。



 オスティア・アンティカは貿易港として栄えた。テヴェレ川側の入り口は今自分たちが立っている見学コースの入り口とはまったく逆の西端になる。つまり玄関口が西端だったということになるから、この東の端にお墓の集合であるネクロポリスがあるのは当然だろう。お墓といっても中には大きなアーチの門を付けたものもあり、なかなか立派だった。

 ネクロポリスが終了した場所に最初の門であるローマ門があるのだが、これはやや厳しかった。解説パネルの元の姿を見せられても、どこがどーなってこの形になるのか想像が難しいくらいに損傷が激しいかった。こういう場所もまぁあるだろう。





(左)「勝利の女神の広場」にある勝利の女神の彫刻、(中)食料倉庫に見られる床のモザイク、(右)遺跡中央を東西に走るデクマーノ・マッシモ

 メインストリートの右手にまず出てくるのが「地方の浴場」とでも訳そうかTerme delle Provinceとその後ろにある「消防士の宿舎」だ。どちらも美しいモザイクが残っていた。下の左の写真は解説パネルにあったモザイクの解説図だが、モザイクと同じ高さからの見学になるのでイルカの部分はよく撮影できなかった。

Terme delle Provinceと呼ばれるものの浴場として使われた形跡はないようだ。Provinceの名がつくのはイルカの左右に描かれた人物がスペイン、シチリア、北エジプト、アフリカなどの地方を示すため。ローマ帝国がこれらの町まで一地方とみなすほどに拡大していたことを意味している壮大なモザイク。

 「消防士の宿舎」は壁面の色が残っている部分があり、またモノクロの細かいモザイクがよく残っていた。この宿舎には常時400名からの消防士が待機していて、ピストンとシリンダーでジェット噴流を作って消火にあたっていたそうだ。

 お次のネプチューンの浴場は高台から見る事ができるのでモザイクがより楽しめた。

解説パネルより。浴場周辺の俯瞰図と浴場場所のクローズアップとモザイクの更にクローズアップ。ここは20世紀に入って修復作業が行われたので全体的によくわかる。

幻想的な図柄が面白い。

 ネプチューンの浴場の隣は劇場になっている。今では夏の催しをしているのか座席部分もきれいに修復されて舞台上には近代的な設備が準備されていた。見下ろすとそんなに大きく見えないが、ステージ下に立って見上げるとかなりの急こう配。このせいで一番後ろの席の人もステージの声がよく聞こえるとヴェローナのアレーナでオペラを見た時に実感した。あれと同じ造りだ。

舞台裏手にはギリシャの芝居に使われる仮面の彫刻

ステージの側面の細かい彫刻がなかなか素敵だった。

 劇場の裏手は広場のようななにもない場所の真ん中に神殿があり、広場の周囲をかつては商店などがぐるりと取り囲んでいた同業者組合広場と呼ばれる場所。店を識別するためか、アクセントなのか各店の前に異なるモザイクがあってそれを1つ1つ見て、何を販売する店なのかを想像したりするのは楽しかった。

真ん中には収穫の神ケレスの神殿

神殿のある広場を取り囲むように2列の柱が並んでいた

 劇場の隣にはアプレイウスの家(当時の邸宅)と続いてミトラ教の礼拝堂と続く。


 今まで大通りの右側ばかりを見てきたが、左側はこの辺りは住宅街になっていたらしい。特に解説されていないのだが、フラフラと細い路地を歩いて見ていくと床にモザイクが残っている場所が多数見つかった。今でも通用するようなモダンな模様は見ていてとても面白い。あ、最後のだけちょっとおどろおどろしいような場面だが。


 細かい路地を歩いて家を見て歩いていると、本当に町を歩いているような気分になってくる。広い邸宅もあれば狭い家もある。それにしても古代の住宅の路地は狭い。この狭さと家の材質が原因で火災が起きると大きな被害になる。そのために多数の消防団員がいたとさっきの「消防士の宿舎」のパネルに解説されていて、歩いてみると納得する。



 住宅街の奥、都市の南端にはラウレンティーナ門があるのだが、その手前にアッティス神の神殿とベッローナの神殿が並んでいた。1つの神殿の前には女性が優雅に横たわる彫刻があり、もう1つの神殿は門の所に大きな2体の彫刻がある。この辺りになると草ぼうぼうで修復の手も入っていないような場所だった。
 

 再び邸宅見学などしながら大通りに戻る。大きな家は床にモザイクがあり中庭があって風呂場がある。なかなか気持ち良さそうな造りの家だ。大通りに面して右側に今度は居酒屋が出てきた。幅の広いバーカウンターがあってここで飲み物などを受け取って立ち飲みしたり、奥に着席したりするようで、今のイタリアのバールと同じような造りになっている。

中庭の広い邸宅

モザイクもリッチな感じ

浴槽のある邸宅もある

バーカウンター。背後の段々に食べ物を置いたようだ

居酒屋の壁にかかっている食べ物のモザイクが可愛い

この居酒屋は店内が広い。がやがやと活気のある人声が聞こえてくるようだ。


スイカはスーパーで1kgあたり100円くらい。ここではこの8分の1
くらいの塊で4ユーロだが冷たい甘い誘惑に勝てなかった。
 ここまでで、だいたい半分くらい見終わった感じ。もうすぐ12時ということと、体がかっかと熱いので駐車脇のレストハウスで休憩することにした。ちょっと座って休むだけにしようと思っていたら、カフェテリアのスイカにぐぐーっと引き寄せられて思わず買って食べてしまった。この時のスイカは今回のイタリア旅行中食べたスイカの中で一番おいしく感じられた。

 ここのカフェテリアではピザやパスタなどちゃんとした食事ができる。ちょっと割高だけどね。

 スイカでかなり元気を回復したので引き続き見学開始。オスティアの真ん中辺りは大きな建物やフォロが配置され、町の中心という趣を出している場所だった。

オスティアで一番大きな神殿カピトリウム。ジュピター、ユノ、ミネルヴァの3神にささげられた。

カピトリウムの大通りをはさんで目の前は公共広場フォロ。彫刻は「勝利者ローマの像」。

フォロの端にある1世紀のアウグストゥスの神殿。

円形神殿。湾曲する壁が残っているので、ああ円形だなぁ。というくらいで原型はよくわからない。

 この中心部から先でメインストリートは左に大きく曲がって行く。途中はもうくずれた遺跡がたくさんあって、丁寧に見ていけば面白いのかもしれないが炎天下で体力も消耗しているので「七賢人の浴場」と呼ばれる狩りのシーンのモザイクがある場所くらい見て見学を終了しようと思った。

 今は天井がなくなって中庭のように見える場所にとても繊細で美しい模様のモザイクがある。これが「狩りのシーン」だと思われた。また屋根が残っている建物内部にも、オスティアで初めてちゃんとした絵画らしい壁絵が残っている場所があり、これを見ただけでアドレナリンが出てきた。

 よーし、最後まで行ってみよう。メインストリートの最終地点には海浜門とガイドブックで訳されているポルタ・マリーナがある。この門の左側に居酒屋から後に宿に発展した建物が残っていて、そこの床のモザイクがこれまた面白い。解説パネルにはその中から「アレクサンダーとへリックス」と題されたモザイクについての説明が詳しくされていた。「アレクサンダーとヘリックス」はその髪型と手にはめたグローブからボクサーだと思われ、他のポッツォーリのヴィッラのモザイクにも登場していることから、当時の有名なアスリートだったと推測されると書かれていた。

アレクサンダーとヘリックス

これについては解説がないが、これもアスリートか?

これも解説なし。ファンタジックなモチーフ。

こんな風に床にバラバラとモザイクが散りばめられている。

 こうして最初のネクロポリスから始まって一番海に近い海浜門まで到達した。ここまで来たら思い残すこともない。満足して見学を終了した。見学時間4時間半、うち休憩回数多数。冬場の見学なら、もっと短い時間かあるいはもっと多くの場所を見学できるかもしれない。期待以上に広くて見所の多い場所だった。


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