エミリアのバジリカ。紀元前179年、エミリア一族によって建造。床の大理石が少し残っていて410年の西ゴート族の侵入で焼けた時に溶けた銅貨の跡ってのを探したが見つからず。 |
クーリア。元老院が決定を下す場所。天井がとても高い。 |
クーリア内展示の床 |
クーリア内展示の彫刻 |
クーリア内展示の石棺 |
聖なる道から。右手奥にセヴェルスの凱旋門、正面奥に市庁舎 |
セヴェルスの凱旋門。203年にセヴェルス帝を記念して建立。 |
フォカスの記念柱。東ローマ帝国皇帝フォカスの像が乗せられていたそうだ。608年建造。 |
ラクス・クルティウス。「フォロの最後の沼地。ローマが窮地に立ったとき、時に、ここにい深い淵ができ、鎧に身を固めた英雄クルティウスが馬もろともこの淵に身を投げてローマを救ったという。」(「地球の歩き方より」)。その様子の石板が置いてある。
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聖なる道から、サトゥルヌスの神殿(左)とその右手奥に名前がわからない3本の柱、一番奥が市庁舎。 |
サトゥルヌスの神殿。紀元前42年には建てなおされ、その時の基壇が残っている。 |
セヴェルスの凱旋門、再び。
門の裏側にまでびっしりと模様が彫り込まれている。 |
セヴェルスの凱旋門。セヴェルス帝が行ったパルティアとの戦いの彫刻もよく残っている。 |
手前の茶色の塊がロストリ(演壇)。高さ約3m、長さ12mもある。演説者はこの演壇に立ってフォロに集まった市民に話したそうな。拡声器とかあったのだろうか? |
市庁舎側から見た聖なる道。両脇の大きな柱の跡を見ていると建物があったらさぞや見栄えのする立派な道だったろうと想像に難くない。 |
ヴェスタの神殿(左)とカストルとポルックスの神殿(右)。ヴェスタの神殿は4人後に6人の巫女が聖なる火を守っていた。巫女の任期30年、任期中に純潔を汚したら生き埋めだったそうだ。厳しすぎる。カストルとポルックスは双子神の名だそうだ。残っている3本の柱は紀元前6年にアウグストゥス帝が修復した時のものだって。 |
アントニヌスとファウスティーナの神殿。アントニヌス・ピウス帝が皇后ファウスティーナの死後141年に彼女のために建てた神殿。11世紀に神殿を利用して教会が建てられ、現在のファサードは17世紀初めに改修されたものなので、しっかりと残っている。 |
手前の芝生部分がヴェスタの巫女の家。修復中で入れなかったのでフェンスからのぞいて撮影。巫女たちの像は撮影している入口の左手にあって見えなかった。後ろはパラティーノの丘に建つ建物。 |