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2010.06.29
ローマ観光(1)〜ナヴォーナ広場周辺
イタリア:ローマ

 いよいよイタリアハイライトの1つローマにやってきた。滞在予定期間を3週間くらいとにらんで、今日からバリバリとローマを観光する。

 ローマを観光するにあたって公共の交通機関を使った様々なチケットが発売されている。ローマの郊外線、地内地下鉄、バスは同じ組織で運営されているのか、1日券、3日券、1週間券、1ヵ月券の定期でいずれも乗り放題になる。予定の使用日数が2週間を超えるだろうと思われたのが一番お得なのは30ユーロの1ヵ月定期になった。毎月1日から定期期間が始まるので7月1日から定期を利用することにした。15日間利用したとしても1日あたりの交通費が2ユーロになる。これはかなりお得だ。6月中はその都度買うか1日券でカバーすればいい。

 朝起きていつものように洗濯を済ませて朝食を食べようとしたら、昨日キャンプ場を見回っていて、私達が指定されたキャンプエリアで木陰が濃密で1日中日陰になるという唯一の絶好ポイントにいるドイツ人家族がテントをたたんで出発の準備をしているではないか!

 昨日テントを張ったものの午後からテントに日が当たり始めた。おりしもヨーロッパ全土に北アフリカからの強烈な熱波が来ている時で暑くてたまったものではなかったのだ。日陰、日陰、日陰。と呪いのようにつぶやいていたのが功を奏したのだろうか。

 これは朝飯どころではない。

 朝ご飯を作るのは保留にしてドイツ人家族の動向を見守りながら、自分たちのテントの中身を全部外に出し、彼らが車に乗り込んでエンジンをかけて動き出した途端、空になったテントを二人でつかんでポイントに猛ダッシュ。っつーか、他に誰もこんな競争に参加していないので走ることはなかったのだが、どうにも気がせいて小走りになってしまったのだった。時刻は朝7時半。移動先の目の前にいた早起きオランダ人夫婦が驚いたようにこちらを見ながらゆっくりとコーヒーをすすっている。いやいや、キャンピングカー様にはおわかりにならないでしょうが、テントは日焼けして老朽化するし、置いてある食料はみるみる熟して腐っていく。テント派には日陰は死活問題なのである。

 こうして首尾よく最高のエリアを確保して、荷物を全部移動してセッティングを終えたのが8時半。朝飯前にしては激しすぎる運動でゲッソリしたが、これから長丁場のローマを快適な日陰で暮らせるかと思うと、この決断はとっても正しかった。周囲の羨望の視線を浴びながら(本人たちが勝手にそう思っている)、悠々と涼しい生活を送ることができた。

 ということで予定していた時間に遅れる事1時間、キャンプ場発10時の無料シャトルバスでローマ北部を走る郊外線(fs線)の駅まで行き、そこからfs線で地下鉄フラミニオ駅まで向かった。

 郊外線というとパリでRERという郊外線に乗って20分くらいの一軒家に部屋を借りたことがあるが、RERの都会的な路線に比べるとこのfs線はもっと田舎っぽい電車だった。車両の汚さはおっつこっつなのだが、乗っている人がパリの郊外線に比べるとリラックスしているというかあか抜けないというか、牧歌的だったし、乗っている地元民らしい人々の人種もパリ程は多様化していない。大ローマ帝国のおひざ元ローマだが、今は少しゆっくりと歩んでいるという印象は学生の時にローマを訪れた時も、今回も感じたことだった。

 さて、フラミニオ駅からは地下鉄に乗り換えてスパーニャ駅へ行った。この路線、A線はスパーニャ駅から4つ先のテルミニ駅という各地方への列車が出ている中央駅までの間が地下鉄車内スリで有名な路線でもあるそうだ。かつてパリの地下鉄でスリにあったこともあるので気を引き締めてバッグは斜めがけ、鞄のチャックの部分を手でつかみ、ポケットには手を入れるという警戒態勢でクリアした。人間、痛い目に合うと学習するものだ。

 スパーニャ駅は超有名なスペイン階段のある駅だ。朝10時半のスペイン階段周辺には既に多くの観光客がいて、朝からヘップバーン気取りで階段に腰掛けてジェラートを食べる人が多数いた。このスペイン階段の目の前から垂直に伸びるコンドッティ通りは名だたるブランド店が軒を連ねる通りだが、まだ開店前でグッチの前では黒服が集まって開店前のひと時を過ごしていた。昔、ローマを訪れた時には階段に腰掛けてジェラートを食べ、コンドッティ通りのナラカミーチェでブラウス買って嬉しかったなぁ。
 

 今回の訪問ではスペイン広場を楽しむこともショッピングを楽しむことも後回し。ローマに到着したら真っ先にやらねばならぬ事態が発生していた。使っているカードの有効期限が終了で、日本からローマの中央郵便局宛てに局留めで送ってもらわなくてはならなくなったのだ。まず郵便局にどのような宛名書きにすればよいかを聞く所から始めなくては。

 スペイン広場から600mほど離れた中央郵便局に行ってみると、扉が固く閉ざされている。近くの紳士に尋ねたら、今日はローマの守護聖人の休日だそうだ。守護聖人なら郵便局開けてくれー!

 扉の前で30秒くらい呆然としていたが、気を取り直して徒歩で800mくらい離れたバルベリーニ広場までネット屋を探しにでかけた。ここにネット屋があるというロンプラの情報を頼りに行くと、地図上に有る場所にない。やれやれ、つぶれたのかと周囲の店の人に聞いたら、バルベリーニ広場からボルゲーゼ公園に向かうヴェネト通りに入って左手2本目だったかなぁ、ネット屋の看板の出ている路地に入ってすぐ右手にあると教えてくれて見つかった。ローマではネットカフェは「インターネットポイント」という名前で結構街中に存在していて、インターネットができるコンピュータが並んでいて大抵は電話ボックスがあって格安国際電話がかけられるようになっているのだった。日本に5分くらい電話して1.7ユーロ。一般の電話回線を使った国際電話だったら、この3倍にはなるだろうからかなり安い。

 こうして正午を回ってからやっと観光モードになった。観光先の詳しい内容はガイドブックに任せるとしてザラーッと今日訪れた場所のスナップ写真などを記録しておく。

バルベリーニ広場にあるベルニーニ作「トリトーネの噴水」。
バロックの巨匠ベルニーニに素晴らしさに気付くのはもう少し
後になり、この時は「あら涼しげねぇ」くらいな気分で見ていた。

バルベリーニ広場から西に伸びるトリトーネ通りを500mくらい歩くと左手にクラシックな建物を改築してショッピングモールにしたガッレリア・アルベルト・ソルディがある。1900年代初めの建築だそうだ。

ショッピングモール、ガレリアの目の前に出現するのがコロンナ広場。中心にはマルクス・アウレリウスの記念柱が建つ。ゲルマニアとの戦いの勝利を記念して193年にこの地に建てられた。193年ですよ、2世紀ですよ。すごい、やっぱりローマはすごい。

同じくコロンナ広場のキージ宮(現在は内閣総理府)とその前にデッラ・ポルタ製作の噴水。

でコロンナ広場をちょいと隣に歩くと、今度はエジプトから持ってきちゃったオベリスクと、その背後にバロックの巨匠ベルニーニ設計のモンテチトーリオ宮がある。オベリスクはアウグストゥス帝が日時計の針としてエジプトから運ばせた紀元6世紀初めのものだって。エジプトのオベリスクはルクソールでも見たが、ベルニーニを背景にひけを取らない堂々とした姿で、エジプトもやるもんだとローマで思うのだった。

モンテチトーリオ広場を南下すると、今度は大理石の柱が並んだ145年建立のハドリアヌス帝の神殿が見えてくる。

「なんじゃ、これはぁぁぁ」というような物が平気で街中にある。

しかも、この神殿の柱が並んでいる場所は残したまま、現在は証券取引所として使っているというから驚く。

神殿の左手から裏に回るとサンティニャツィオ教会(17世紀建立)。

豪華なスタッコ装飾とゴシックのねじり柱の祭壇

見事なだまし絵の天井画

広々とした教会内部

でも資金不足でクーポラが作れず、だまし絵でクーポラを描いているというオチがある教会だった。

 サンテニャツィオ教会から西に200m進むとパンテオンがある。もの凄い観光客がパンテオンに押し寄せていて、何かのイベントでもあるのかと思いきや、今日がローマの守護聖人の祝日のため13時閉館ということで多くの人が集まっていたのだった。ということで、パンテオンは後日に観光することにして、150mくらい西にあるマダーマ宮の外観だけ見学。

 マダーマ宮は16世紀にメディチ家に嫁いできた、神聖ローマ皇帝カール5世の娘マルゲリータ女王のための宮殿だそうだ。現在はイタリア国会上院が置かれていて、見学は第一土曜日のみという超限定の場所なので内部を見る事ができなかった。

 マルゲリータは一体メディチ家の誰に嫁いだのか気になって調べたら、後に教皇クレメンス7世となったジュリオの息子のアレッサンドロに嫁いでいた。クレメンス7世はロレンツォ・イル・マニフィコの弟ジュリアーノの息子だ。ロレンツォ・イル・マニフィコとジュリアーノはメディチ家の隆盛を妬んだパッツィ家に刺客を送られ1478年に暗殺事件が起こった。刺客はフィレンツェのあの有名なドゥオーモで二人を切りつけ、この時ジュリアーノが命を落としている。クレメンス7世はその暗殺されたジュリアーノの息子ってことになる。

 親戚のおばちゃんが家系を話すような書き方になってしまったが、フィレンツェでドゥオーモやパッツィ家の礼拝堂のある教会を見てきているので、こういう話は妙にリアリティがある。

 クレメンス7世の時代は、スペイン・ハプスブルク家のカール(カルロス)5世と濃密な関わりがある。覇権争いでイタリアの多くの土地が実質スペイン支配になってしまった後、クレメンス7世がせめてメディチ家の継続と繁栄を望んで息子の嫁に迎えたのが、カール5世の庶出の娘マルゲリータ・ダウストリアだったということなのだそうだ。その女性のための宮殿がマダーマ宮なんだなぁ。この宮殿にはカトリーヌ・ド・メディチも住んだそうで、カトリーヌもクレメンス7世のメディチ家保身のために相思相愛だった相手と別れさせられてフランスのアンリ2世のもとに嫁がされた。因みにこのカトリーヌがフランスに初めてナイフとフォークを使って食事をする様式をもたらしたと言われている。この宮殿にはこうした歴史に翻弄された女性2人が住んでいたと知ると、なかなか興味深い。

 マダーマ宮の更に西側に有名な観光スポット、ナヴォーナ広場がある。コロンナ広場から色々見学してここまで50分くらいかかって、午後1時を過ぎていた。

 もうお腹がペコペコだったのでナヴォーナ広場見学前に昼食だ。四大河の噴水の西に伸びるVia di Tor Maillina沿いにはレストランが多数並んでいるのだが、どれもツーリスティックに過ぎて気に入らない。結局、ナヴォーナ広場からVia di Tor Maillinaに入って2ブロック目の右手角にあるやたらと観光客で混んでいるカットピザ屋にした。

 押し合いへし合いでやっとカットピザを手にしたのだが、思えば周囲にいた観光客のほとんどがスペイン人だった。カットピザはそこいらのレストランで出しているものより確実に旨い。スペイン人はこういう情報をどこで手に入れているのだろうか。安くて旨いヨーロッパの食事情報はスペイン人に聞くべきなのかもしれないと真剣に思ってしまった。

 さて午後からはまずナヴォーナ広場。南北に長い楕円形の広場で北からネプチューンの噴水、四大河の噴水、ムーア人の噴水と3つの噴水がある。午後1時半を過ぎ日は一日のうちで一番高く上がったこの時間でもナヴォーナ広場の観光客は衰えることなく、噴水をバックに写真を撮る人が絶えない。一番人気の噴水は真ん中の四大河の噴水。これが見た目にも一番立派で人気があるのもうなずける。ベルニーニの作品だそうだが、彫刻は別の4人の彫刻家によって作られたそうだ。

ベルニーニ作。「この作品で、それまで無視されていたインノケンティウス10世に認められて、以降ひいきにされたのだった。」(「地球の歩き方」より)

ネプチューンの噴水。

ムーア人の噴水。ベルニーニの下絵をもとにG.A.マーリが彫刻。

 ナヴォーナ広場の南端にはブラスキ宮が建っており、現在はローマ生活史博物館となっている。ここは外観だけ見物して進むとコルソ・ヴィットリア・エマニュエーレ通りにぶつかる。ここを左に、つまり西に向かって歩くと、中央にローマ時代の神殿跡があるトッレ・アルジェンティーナが見えてくる。ここは市バスやトラステヴェレ地区に向かう路面電車が交差する交通の要所で、慣れてくるとここも移動する拠点の一つとなる場所で何度も通ることになった。こんなに頻繁に人が通る所に遺跡が残っているというのもローマならではの風景で大変に面白かった。今は中に入ることができなかったが、神殿跡は道路よりも低い位置にあるので周囲から丸見えなので、ぐるっと一周して見る事ができた。

ブラスキ宮。

トッレ・アルジェンティーナ広場のローマ遺跡

 アルジェンティーナ広場からまっすぐ北に伸びるVia dei Cestari通りを200mほど歩くとパンテオンに行けるが、パンテオンちょい手前の右手にミネルヴァ広場がある。広場の中央にオベリスクを背中に乗せた大理石のゾウの彫刻がある。このアイディアはベルニーニによるもので、ゾウの彫刻はベルニーニの弟子が行ったそうだ。

 ここまで見学してきて午後3時近くだった。この時、ローマには北アフリカからの熱波がやってきていて、歩いていてもクラクラとする暑さでもしかしたら気温は40度くらいになっているかもしれなかった。

 今日、最後の見所と思っているサン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会はシエスタ後の午後4時から開館なので、パンテオンの周辺のジェラテリアでジェラートを買ってパンテオンの日陰で休憩することにした。大きな建物のパンテオンの日陰には、同じく観光でぐったりと疲れた観光客がたくさん座り込んでいる。パンテオンの日陰は観光難民キャンプと化していた。


 ここでゆっくりと休憩した後、サン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会に向かうと午後4時の開館を待つ人で教会前はなかなか混んでいた。フランスの守護聖人サン・ルイを祀っているこの教会は入場料金なしで中に入れて、なんと中にはカラヴァッジョの3部作「聖マタイと天使」「聖マタイの召し出し」「聖マタイの殉教」が見られて、しかもカメラ撮影が許可されている。フィレンツェでは名だたる教会は入場料金を取った上で撮影禁止が多かったので、ローマ万歳、フランス万歳という教会だった。

教会の外観

「聖マタイと天使」

「聖マタイの召し出し」

「聖マタイの殉教」

 カラヴァッジョの明暗の濃い光の使い方、場面の劇場性は絵画を専門的に知らない私にも十分に楽しめる作品で、描かれてる人物の表情から勝手に物語が頭の中に浮かんでくるので面白い。ベースには人間性にまで食い込んだ人物表現の巧みな技術がある。今回のイタリア訪問では偶然にもフィレンツェ中でカラヴァッジョ特集を組んでいたので、それが引き金になってカラヴァッジョの作品が多数あるローマがとても楽しみになっていた。それが初日にして、こんなにたっぷりと作品を見せてもらえて大満足だった。

 これにてローマ観光第一日目を終えたわけだが、ナヴォーナ広場周辺の800m四方を見て回るだけでもたっぷり半日かかった。やっぱりローマはすごい。これからの観光の日々がより楽しみになった。


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