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2010.06.23
アレッツォ、コルトーナへのドライブ
イタリア:パッシニャーノ

 アレッツォはフィレンツェやシエナに次ぐルネッサンス文化の中心地だった町だそうだ。フィレンツェのウフィッツィ美術館からピッティ宮に続く回廊を設計したあのヴァザーリもこの土地の出身だそうだ。

 そのルネッサンスの香りを高く感じられるのが旧市街のほぼ中心にあるサン・フランチェスコ教会内になるピエロ・デッラ・フランチェスカ作「聖十字架の伝説」という作品だろうと、まずはそこを訪ねることにした。

 駅から北東に広がる旧市街の中心を走るイタリア通は古い建物を使いながらも新しいテナントを入れて現代的な繁華街を作りだしていた。しかし、フィレンツェは言うに及ばず今まで訪ねてきた他のルネッサンスの町と比べるとぐっと質素というか、ちょっとバサバサとした感じの漂う町だった。

 目的のサン・フランチェスコ教会に到着すると入口にいる浮浪者が「チケットはここから右4つ目の扉で買ってから戻ってこい、入場料金は一人5ユーロだ」と命令するように言うけど無視して中に入ると、教会への入場料は無料だがピエロのフレスコ画の部分だけはがっちりと囲ってチケットなしでは見られないようになっていた。

 ってなことで、教会を出ると同じ浮浪者が4番目の扉だと言う。うるさいなぁ。で行ってみると5番目の扉で販売で一人6ユーロだった。

 チケットでフレスコ画のあるエリアに入って作品を鑑賞。落ち着いて静かな悲しみとも受け取られるような静謐さを秘めた作品は確かに素晴らしい。チケットには入場時間が記されていて混雑時はもしかして時間制限があってゆっくり見られないかもしれないのだが、この時は誰にも何も言われなかったのでじーっくり観賞することができた。

 このフレスコ画は撮影禁止なので後で教会内のショップで販売されている絵葉書を撮影させてもらった。ピエロ・デっラ・フランチェスカはこういう色合いのこういうタッチの絵を描く人だ。柔らかい色合いだが硬質な感じがする不思議な絵だった。
 

 教会を出ると浮浪者が情報代金をよこせというような感じで手を出してきたが、あんな間違った情報は全く論外だし、正しいとしても支払いに値するほどの情報でもない。ようは物乞いなのだった。無視していると怒っていたが関係ない。すると今度は地元住民のちょっとか弱そうな男性に近寄ってなんじゃかんじゃと金を巻き上げようとしているようだった。ま、それも無視されていたけどね。どうも、こういう人の存在もこの町の印象をあまりよくなくさせている。

 さて、サン・フランチェスコ教会からメインストリートのイタリア通りに戻ってさらに先に進むと、右手にグランデ広場がある。広場には何やら階段状の席を設営中でちょっと景観が悪くなっていたが、北東側に回廊のある建物があってかっこいい。回廊の下を歩くと丁度気持ちのいい広さと高さで今は洒落たレストランが並んでいる。この回廊のある建物こそアレッツォ出身のヴァザーリが設計した「ロッジアの宮殿」なのだった。
 

 そして広場の一角に写真パネルと一緒に説明書きで紹介されていたのは映画「ライフ・イズ・ビューティフル」だった。映画監督兼主役の男性がアレッツォ近郊の出身で彼の実体験をもとに描いた作品だからこの町がロケ地になったのだそうだ。第二次世界大戦時、ナチスドイツによって主人公一家が強制収容所送りとなりそこで生活するのだが、お父さんの努力のお陰で毎日を明るく過ごす少年が主人公だ。最終的にお父さんだけがガス室送りとなり終戦を迎える所で映画が終わるのだが、お父さんの明るさ、お母さんのたおやかな美しさとやさしさ、家族の愛情が全面に押し出された中に悲惨な現実を少しだけ織り交ぜている。その逆説的な描き方がもうたまらなく涙線を緩ませ、こうして思い出して書いているだけで胸がつまるような映画だった。その映画の2場面が撮影された場所前でパネルとともに紹介されている。もう一度この映画を見たくなった。

 最初はバサバサして浮浪者もいてあまり良い印象を持てなかったこの町だったっが、グランデ広場でだいぶ印象が回復。こうして町に対する印象が歩いている間にもコロコロと変わっていくというのもまた旅の楽しみかもしれない。

 グランデ広場のその先は「丘の上の公園」という名前の通り、その先の眼下にトスカーナの景色が広がる見晴らしのいい気持ちのいい公園になっていた。公園に向かう途中の坂道にはトスカーナ大公国の統治跡建物が残っていて壁面に様々な紋章がはりつけられているが、もちろんメディチ家の紋章もあった。このメディチ家の芸術パトロネージュの動きがアレッツォまでもにルネッサンスの息吹をもたらし現在に残る建築物や絵画を残している。こういうのは本で読んでもあまり実感がわかないものだが、こうして現地にきてピエロ・デッラ・フランチェスカのフレスコ画を見て、ヴァザーリの素晴らしいロッジアを見て、そしてメディチ家の紋章を見ると本に書かれている活字が急に生命を宿してこちらに語りかけてくるように思えるのが面白い。
 

 公園の隣のドゥオーモにもピエロ・デッラ・フランチェスカのフレスコ画「マグダラのマリア」が残っている。トスカーナにいると至る所にルネッサンスの大御所の作品が見られて、しかも教会などは無料で気軽に観賞することができる。イタリアも南に下ってきてこれを書いている現在はシチリアなのだが、街中に素晴らしい作品が散りばめられているということがどんなに稀有なことか、それがどんなに素晴らしかったのかをここに至って実感している。シチリアの州都パレルモ旧市街の中心地にある噴水などもルネッサンス期のフィレンツェの職人が作ったもので確かにルネッサンスの息吹をはるばるシチリアにまでもたらしたという功績はあるが、作品そのものはフィレンツェやローマで当たり前のように見られた芸術性の高いものと比べると笑ってしまうようなレベルだ。アレッツォでピエロのマグダラのマリアを見た時も「はいはい、ピエロの作品ですね」と軽い気持ちで見ていたが、振り返ってみたらそういうのって他ではありえない素晴らしい事なのだった。これから北上してトスカーナの隣のマルケ州を通る。その時は心して作品を見よう。
 

 ドゥオーモから北西側に丘を下った所にヴァザーリの家があるというので行ってみた。狭い裏通りのような静かな道沿いにある建物には「ヴァザーリの家」という看板が出ていて、内部を見学したい場合は呼び鈴を押すようだった。ヴァザーリの顔の彫刻写真付解説パネルと屋敷敷地の見取り図などもパネルになっていた。とりあえず、今回はここまで。もっとヴァザーリについて勉強してきてから出直そう。

 ここからぶらぶらとガリバルディ通りを歩いてお昼ご飯のカットピザ屋を探しながら散策。残念ながらまだ時間が早すぎて魅力的なお店がみつかったがあと30分しないと準備できないという。仕方ないので駅近くの適当なお店のカットピザで昼食を済ませた。適当な店でもピザが旨いというのがイタリアの素晴らしい所だ。

 駅近くにはローマ円形闘技場の遺跡がある。駐車場に向かいがてら見学。

 もうほとんど何も残っていないような遺跡だが言われれば円形に石組が残っているのが確認できた。

 エトルリアの町として栄え、後にローマに吸収され、トスカーナ大公国の時代となったアレッツォは町のそこここに歴史の爪痕が残っているという意味では印象深い町だった。

 さてアレッツォから40分ほどかけてトラジメーノ湖方面に戻るとコルトーナという町がある。町に近づくとどんどんと登り道になって相当な高台までのぼらされた。ヘアピンカーブで登る町は頂上になると旧市街で住民以外の車両は入れなくなる場合が多い。ぎりぎり手前の駐車場に停車すると有料になる。そしてヘアピンカーブ2段階くらい手前になると無料で駐車できるスペースがある。要領をつかむとうまく無料で駐車して観光できるのだった。頂上に近づくと大抵一方通行で後戻りできなくなるので、丁度いい加減で無料駐車できるかどうかというのも毎回少しスリリングなお楽しみでもあった。そしてコルトーナでは見事無料駐車場を見つけることができた。観光の見所までは3段階くらい登らなくてはならなかったが、それでもこの場所は人気で、夫が駐車しようと車をスペースから出し入れしているとすぐにも次の車が「もう出るの?」と聞いてきたりするような場所だった。

 坂をのぼって到着したのは城壁で囲まれた最初の入り口となるガリバルディ広場だった。ここからの展望が素晴らしい。あいにくの薄曇りで少し煙ったような景色だったが、肉眼では十分に楽しめる田園風景が広がっていた。

 ここから小さな町のメインストリートと呼べるナッツィオナーレ通りを通ってリップブリカ広場に行ってみよう。町の規模としては驚くほど多くの観光客がいて、大変ににぎやかな雰囲気になっていた。珍しくアメリカ英語が多く聞こえてくる。更には着飾ったアメリカ人の男女が繰り出してきて、どうやら友人がこの町で結婚式を行って披露宴会場に向かうようだった。ダイアン・レイン主演の「トスカーナの休日」という映画の舞台になったそうで、そのせいかアメリカ人に人気の町のようだった。キャンプ場に戻ってからオランダ人カップルにコルトーナはアメリカ人が多かったと話すと、以前は静かな町だったが今はアメリカ人が多くなって足が向かなくなったと苦笑しながら言った。ヨーロピアンからするとアメリカ人が大挙してくるような町は興ざめするようだ。おそらく、日本人を含むアジア人が押し寄せることもヨーロピアンは好まないだろう。自分たちだけの領分が侵されたような気分になるのだろう。日本人はどうだろうか。特定の町に特定の国民が集まると知ると逆に興味を持って行ってみる人が増えるんじゃないだろうか。

 行政レベルと見ると日本と言う国はヨーロッパに比べると随分と閉じていると思うが、国民のマインドとしては割合諸外国文化の受け入れには旺盛だという逆の現象があると感じたのだった。

 私達がまずめざしたのは中心のレップブリカ広場を通りすぎて町の一番奥にある教区博物館だったがレップブリカ広場に到達した時点で汗だく。ここでジェラート休憩となった。一番小さなカップあるいはコーンに2種類のジェラートで1.5ユーロ。盛りがよくて味もよかった。だから田舎は好きだ。レップブリカ広場には時計台のついた元プレオーリ宮の市庁舎がある。こんな13世紀の建物を見ながらおいしいジェラートを食べられるなんて、イタリア的だ。
 

 こうして目的の教区博物館に到着する頃にはほとんど町の散策を終えたも同然という小さな町だった。

 こんな小さな町なのだが教区博物館の所蔵するフラ・アンジェリコとルカ・シニョレッリの豊富な所蔵作品にはびっくりした。ここには入場料5ユーロでたっぷりと楽しめる作品がたくさんある。特にフラ・アンジェリコの受胎告知はフィレンツェのサン・マルコ修道院にある同じくフラ・アンジェリコの受胎告知よりもより色合いが美しくてより臨場感があってよかった。ルカ・シニョレッリの作品も鮮やかな色の登場人物の多い作品で、それぞれの人物に表情があって面白い。館内は撮影禁止なので街中に張り出されているポスターなどから2人の作品を拾って撮影した。

教区博物館の外観

フラ・アンジェリコの受胎告知

ルカ・シニョレッリの作品

博物館裏手からの眺望

 教区博物館を出て右手に下りる坂を進むと右側に中世の家が残っている。2階部分が木の梁によって支えられているのが珍しい家で、もうこういう家はほとんどなくなってきているそうだ。梁の真下から見上げると老朽化が進んでかなり崩れてきそうな危ない状態に見えたので、残っている家の寿命も長くはないだろう。それにしても中世の住宅が残っているとはいやはや。日本では「最近100年持つ住宅」とか言って売り出している会社もあるが、100年どころじゃないからねぇ、こっちは。

 コルトーナは本当に小さな町なのだが、あの教区博物館のインパクトがすごくて印象深い町となった。この博物館所蔵の作品をみにくるだけでも価値はあったと思う。


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