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2010.06.12
フィレンツェ近郊観光(1)〜メディチ家2つの別荘とヴィンチ村
イタリア:フィレンツェ

 フィレンツェ市街地を8日間観光して、まぁまぁガイドブックに書かれている場所は訪れてみたので、今度は郊外に足を伸ばしてドライブをしようと計画。出発に先立ってフィレンツェ市内の観光案内所で「フィレンツェ郊外のメディチ家別荘に関する資料をください」というと、別荘だけが集められた小冊子ってのがあるんですよ。それをくれて、近郊の地図の大小2種類もくれた。さすが世界中から観光客が集まるフィレンツェ市は資金豊富らしく素晴らしい資料を無料でくれると感心したのだった。この資料をもとに2日にわけて郊外へのドライブを計画したのだった。

 初日の今日は、フィレンツェ南西方面のCerreto Guidiにあるメディチ家の別荘、レオナルド・ダ・ヴィンチの出身地ヴィンチ村で景色と博物館見学(一人7ユーロ)、フィレンツェ西方にあるメディチ家の別荘Poggio A Caiano、帰りにプラートという町の郊外にあるショッピングモールに立ち寄りDecathlonで私の水着、Coopで食材を買って帰ってきた。

 朝8時38分にキャンプ場を出てキャンプ場に戻ってきたのが午後7時30分。午後3時から向かったプラートのショッピングモールへ行くのにちょっと迷って、買い物にかなり時間がかかったので帰りが遅くなってしまった。それにしても初めてフィレンツェ郊外をドライブしてみたが、いわゆるトスカーナ的な風景のオンパレードに大興奮。トスカーナにいる事を実感した日だった。

 さて、詳細は・・・。

 最初に訪れたのはCerretoo Guidiという村にある「Cerretoの別荘」。フィレンツェを抜けるとすぐにもブドウ畑の広がる牧歌的な景色になり、「うーん、いかにもトスカーナ!」という景色の中を走った。別荘までは30分の道のりだった。

 解説書によると1565年にコジモ一世によってブオンタレンティの設計で建てられ、印象的な階段(「ポンティ・メディチ」の名で知られる)で有名だそうだ。また、この別荘ではメディチ家のイザベッラが夫によって殺害されるという悲劇が起きた場所としても知られているのだそうだ。手元のメディチ家の本をひもとくと、暴君で無教養の夫を持っていたイザベッラはいつしか愛人を持つようになる。それを知った暴君は自分の愛人と画策してイザベッラの愛人を、続いてイザベッラ自身も殺害したという事件だそうだ。こういうワイドショー的な話題が入ってくると穏やかなたたずまいの別荘も俄然色めきだって色々と想像が膨らむ。

 さて、ここでちょっと事件発生。

 村の無料駐車場が見つかったので車を駐車。イタリアの小さな村は見所から少し離れると無料駐車場が割合みつかるので助かる。でも、この駐車場は屋外なのだが敷地が狭くて急な坂を下りなくてはならなかった。

 坂を下りようとしたら向かいから登ってこようとする車がある。対向車を避けようと右に寄ったら曲がり角に鉄のポールが突き出ていて「どん!」という嫌な音がした。駐車して車を見たら横っ腹に擦り傷ができて塗料がザザーッとこすれて削れ、ややへこみもできてしまった。や、やばい。いきなりブルーになるできごとだった。イザベッラの呪いかもしれない。

 この日はとりあえず忘れようと観光を続けたのだったが、ずーっと気になる。保険には入っているので問題ないのだが、保険の期限が私達が車を返却する日付になっているので期限内に修理して返却しないと実費になっちゃうのかが心配だった。で、後日、万が一車を1週間くらい修理に出しても問題がないローマに入ってからルノーに電話してみたら、運行に支障がない傷だったらそのまま使って修理しなくてもよいという回答をもらって、やっとホッとしたのだった。

 さて、そんな事件もあったがとにかく観光。印象的な階段の真下では市が開いていて、別荘とはいえメディチ家のお屋敷のこんな直下で民衆が生活しているのが不思議なくらい接近している場所だった。

 階段をあがると広い庭もなくすぐに屋敷。建物も簡素な感じだった。

 今日は何かセミナーがあるということで、基本的に見学はできないのだが数室でよければご案内しましょう。と係の人が2〜3部屋を案内してくれた。イザベッラの肖像画もかかっていて、彼女が殺害されたという部屋も見てきた。撮影禁止なので、入口にあった立て看の全体像だけ撮影。

 屋敷を抜けると向こう側が庭になっていて、気持ち良さそうな別荘だった。


 ここから20分くらい車を走らせると、レオナルド・ダ・ヴィンチの生まれたヴィンチ村があり彼の発明品が展示解説してある博物館と鐘楼からの景色が楽しめる研究所がある。彼の名前は「ヴィンチ村のレオナルド」という意味になる。絵画を見ていると、こういう「なんちゃら村のだれそれ」という名前がたくさん出てくる。名字がない時代だったんだなぁ。

 ヴィンチ村はちょっとした丘の上にある。一段下の道路沿いに無料駐車場があったので、そこに停めて階段をあがって村に入った。小さな広場にダヴィンチを記念するオブジェがあって、その向こうに緑の畑と森林が広がっていた。ダヴィンチ村は小さな路地が緩やかに上り下りを繰り返しとても可愛らしい風景を作っている村で散策もなかなか楽しい。

 博物館でチケットを買おうとしたら、博物館入館料だけだと6ユーロで研究所の鐘楼に登るならプラス1ユーロで7ユーロだと言われたので、7ユーロのチケットにした。鐘楼へは登る時間が決められていて、すぐに登る時間だったのでまず鐘楼を登る方から開始。鐘楼は博物館とは別の建物になっているのが少しややこしかった。

 くるくると四角い塔を周るように階段を上って最上階に出ると360度周囲を見渡せるいい景色。小さな丘に長細く続くヴィンチ村の赤い屋根の向こうは緑の森と畑が見えてとても気持ちのよい風景だった。

 階下に降りて、研究所とチケットを買った建物に戻って博物館を見学。館内は撮影禁止なので建物の外にある物しか撮影できなかったが、この写真にあるようにダ・ヴィンチの発明や発案ノートをもとに組み立てられた模型と、それが何をする物なのか、どうやって動くのかの説明パネルがつけられている展示だった。

 今となっては当たり前になっている印刷や工事現場の様々な機械や飛行技術など、無から作りだそうとしたダ・ヴィンチの創造へのパワーを感じられる博物館だった。そのテクノロジーの発端となる人がこんな牧歌的な小さな村で生まれたという周囲の風景とのギャップが面白い。

 ここで昼食時間となった。博物館近くにバールがあったがあまり気乗りがしなくて次の町で食べることにした。

 次に向かったのはポッジョ・ア・カイアーノというメディチ家の別荘。ヴィンチ村からは約1時間のドライブだった。道中はブドウ畑とオリーブの木が交互に植えられて緩やかな斜面を埋め、農地の境界線には糸杉がトーンと立って天を突くのどかな風景だった。トスカーナはこの緩やかな斜面の中に少し小高い丘があるというのが特徴らしく、高くて周囲を見渡せるような丘の頂上には大抵農家があって「アグリツーリズモはこちら」という看板が出ている。農家の余っている部屋を旅行者に貸して農村生活を楽しんでもらうという発想でイタリアがアグリツーリズモを始めたのはかなり以前のことだと思うが、今はすっかり定着しているようで頻繁に看板を見かけた。イタリアの書店に行くと分厚いアグリツーリズモのリストを販売していて、ホテル、キャンプ場に続いて旅行者の宿泊者の一分野になっている。

 こうしたのどかな風景を通りすぎて到着したポッジョ・ア・カイアーノはシエスタの時間に突入してどの店も固くシャッターを閉じ眠ったような町になっていた。うーん、お昼ご飯は一体どこで食べられるのだろうか。取りあえずもう観光を済ませてしまおうと別荘に向かうと午後2時までシエスタ。やれやれ、やっぱりお昼ご飯をどこかで食べなくては。

 気楽なカットピザ屋を想像していたのに、そんな物はかけらも見当たらなかった。仕方なく、ようよう開いているバールであまりおいしくもない作り置きのピザ風パンを食べてお昼ご飯を終了したのだった。

 さて今度訪れる別荘もメディチ家の悲劇がある。どうも今日はメディチ家の悲劇の舞台となった別荘を周ることになったらしい。ここではメディチ家のフランチェスコ1世と愛人でのちに正夫人となったビアンカ・カペッロが数時間のうちにあいついで変死した場所だ。次のトスカーナ大公の座を狙う弟のフェルディナンドに毒殺されたという説もあったが、実はマラリアで亡くなったそうだ。こちらは朝訪ねた別荘よりは広い前庭があって、内部の装飾も明るくて豪華なお屋敷だった。午後2時になると係員が案内して各部屋を周ってくれたが、説明は一切なし。というか、イタリア語がわかれば色々と説明してくれたのだろうが、英語を話さない人なのでまるっきり放置状態だった。入場料金が無料なのでその辺りは仕方ない。

 A.デル.サルトによる素晴らしいフレスコ画(撮影禁止)はそれまでフィレンツェの美術館で見ていたサルトの印象を覆した。ちょっとぼやけた絵を描くという印象だったのだが、この別荘のフレスコ画は素敵だった。館内は全て撮影禁止なのだが、あまりに放置状態だったので少しだけ撮影させてもらった。

 午後3時過ぎに観光を終えて次に向かったのはプラートの郊外にあるショッピングモール。道がよくわからなくて色々な人に聞きながら到着したのは驚くほど大規模のショッピングモールで、スーパーはコープが入り、大店舗のデカスロンやその他様々な店が入っている。更に驚いたのは中国人人口が非常に多いことだった。特にコープでは視界に必ず中国人が入ってくる程の比率だった。プラートに何が起こっているのだろうか。

 結局、今日どこで過ごしたよりも長時間をこのモールで過ごし午後6時40分に帰途についた。

 別荘への訪問は歴史の本で読んだエピソードの現場を訪れるという楽しみの他に、フィレンツェ郊外の素晴らしい田園風景をドライブできるという付録がついてきて、今までの日々とはまた違った楽しみがあった日だった。


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