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2010.06.05
フィレンツェ観光(2)〜サンタ・クローチェ地区とバルジェッロ国立博物館地区
イタリア:フィレンツェ

  フィレンツェ観光2日目の今日は、ベッキオ橋の1つ東側のグラツィエ橋を渡ってサンタ・クローチェ教会近くの観光案内所でクラシックコンサート情報の収集、サンタ・クローチェ教会見学(一人5ユーロ)、ミケランジェロ・ブオナロッティー邸前を通り、ヴェルディー劇場の横を通り、空腹になってさまよったあげくサンドイッチを買って昼食。バルジェッロ国立博物館見学(一人4ユーロ)、ダンテの生家の外観とパッツィ・クァラテージ宮の外観を見て本日の観光終了。市バスでコムナーレ劇場で今夜のコンサートチケットを買おうとしたが土曜日で午後は既に閉まっていて買えず、中央駅に歩いて行き観光案内所で駅近くのインターネット電話屋やネット環境調査、市バスでキャンプ場に戻るという内容だった。

 朝8時35分にキャンプ場を出て戻ってきたのが午後4時40分。午前中にコンサート情報、午後にチケットを買いに行ったりネット環境を調べたりと下準備にも時間を使った日だった。

 午後7時半に市バスでキャンプ場前からコムナーレ劇場に向かい当日券を買ってコンサートを楽しみ、再びバスでキャンプ場に戻ってきたのは午後11時40分。深夜0時を過ぎての就寝となった。今日も目一杯だ。

 さて、詳細は・・・。

 今日はグラツィエ橋を通るので橋の上かヴェッキオ橋が見えた。今日も快晴。アルノ川の川面に道路沿いの建物や橋が写っているのが美しい。

 橋を渡って1ブロック目の右手に祭壇画のコレクションで有名なホーン美術館がある。クロナカによる設計で内部は見なかったが外観だけパチリと撮影。ホーン美術館を右に曲がって次の角には国立図書館。この建物も素晴らしく、本当にフィレンツェは町が建築物博物館化しているといってもいい。

 

 さて最初に訪ねたのは国立図書館前から近い観光案内所。ニースから急いでフィレンツェにやってきたのは毎年行われている5月音楽祭に間に合わないかと期待してきたからだった。5月という名がついている通り、メインの超有名アーティストが出るコンサートは終了してしまっていたがコンサートはいまでもまだ続いている。何と今夜も1つコンサートがあることがわかった。他には教会での1時間程度の12ユーロや15ユーロといった気軽な値段のコンサートがいくつかと、中世の衣装を着て有名オペラのアリアをいくつか披露するツーリスティックなコンサートなどがみつかった。めぼしいコンサートの絞り込みや開催場所のチェックで結局、観光案内所に1時間近く座り込んでいた。今夜のコンサート会場では午後は4時からチケット販売が再開するというので、観光の終わりに買いに行く事まで決定。

 ここの観光案内所の女性はとてもてきぱきと要領よく必要なパンフレットをざざーっと全て渡してくれたので助かった。

 観光案内所を出てすぐの国立図書館の隣が最初の観光スポットのサンタ・クローチェ教会だ。7月には中世サッカーが行われるのでその準備で教会前は工事現場のようになっている上に、朝日が逆光でうまく外観の写真が撮れなかったのが残念。

 昨日、ヴェッキオ宮である部屋に当時のフィレンツェの風俗を描いた絵画が天井近くの壁に飾られた所があった。その中で中世サッカーの模様を描いているものがあり、学芸員の説明によれば中世サッカーは現在のスポーツでいうとサッカーよりはアメフトに近く、とても荒々しい戦闘の訓練としてのスポーツだったそうだ。サッカーといえばメキシコのマヤ文明遺跡にも競技場跡がよく見られ、これもサッカーに似たスポーツなのを思い出す。マヤの場合は奴隷たちが王族の楽しみのために行うもので、火の球を腰で蹴って(?)競技場側面の壁に突き出した輪に球を通すというルール。勝ったチームのキャプテンは栄光としてその命を神に捧げることができるという現代人には不可解なルールだ。中世サッカーにしろ、マヤの腰サッカーにしろ血なまぐささが背景にあることは共通している。

 サンタ・クローチェ教会は付属美術館との共通チケットで一人5ユーロだった。「教会なのに料金を徴収するなんて!」と思ったのだが見学してみて、美術館なみの作品の多さに納得したのだった。

捨てるのがおしいような素敵なチケットは一人ずつ違う絵柄

ドナテッロの「受胎告知」

マキャベッリのお墓

B.ダ.マイアーノの説教壇

B.ダ.マイアーノの説教壇(部分)

たたずむ女性の憂いがとてもリアルに伝わってきたお墓の彫刻

ガリレオのお墓

たぶんジョットの作品、柔らかい色彩なのに壁全部を埋めて迫力
  
(左)ブロンツィーノの「ピエタ」 (中)どなたかわからないが壮麗なお墓 (右)色彩が美しいフレスコ画
左側がロッシーニのお墓。「セビリアの理髪師」などのオペラで知られるロッシーニは後年は作曲活動をやめて料理に専念し、フィレステーキのロッシーニ風(トリュフとフォアグラを使った牛フィレステーキ)などを編み出した人物。とかく音楽家というと美食家と結びつきやすいが、この人は本当に極めているのがすごい。

ダンテの記念碑は修復中で隣のミケランジェロのお墓にも足場がかかって見辛かったりしたが、このミケランジェロのお墓が一番豪華だったと思う。

 この教会は多くの文化人に人気の埋葬場所なので素晴らしい作品がおのずと集まってしまったそうなのだが、こんなに人のお墓をまじまじと眺める機会も少ない。有名人のお墓で有名な場所は世界中にいくつもあるのだが、その彫刻が素晴らしいとか思ったことは今までないものね。そういう意味でもここは特別の場所で来る価値があったと思う。

 教会の前方右手を出ると芝生の美しい回廊になっていて、左手にパッツィ家の礼拝堂があった。

 パッツィ家は昨日見学したドゥオーモで1478年に刺客を送り込んでメディチ家のロレンツォ・イル・マニフィコを暗殺しようとした事件を起こした一族だ。その後、パッツィ家はフィレンツェを追われたはずである。そういう印象でこの礼拝堂を見ると、彩色された壁に飾られたテラコッタは美しいが、壮麗で豪華なメディチ家礼拝堂と比べると敗者の雰囲気が漂う質素な部屋だった。
 

 この回廊を先に進むと付属美術館になる。こちらにもきらびやかな宗教画がたくさん飾られていたが、正直この美術館まで来た時にはちょっと気力が萎えてしまっていてざっと見学する程度だった。1966年にフィレンツェで大洪水が起きて、この教会のフレスコ画が巻き込まれ、人々の努力によって破片を集めて絵を修復したそうだが、かなりの絵画にダメージがいまだに残っているようだった。


 サンタ・クローチェ教会を出てミケランジェロが土地を購入して建てたという家やヴェルディー劇場の横を通り過ぎ、私達が向かっていたのは下町情緒あふれる界隈にあるトラットリア・ダンテだった。日曜休みとガイドブックにあったがはたして土曜日は開いているのか?行ってみると狭くて小便くさい通りにあるダンテは閉まっていた。確かにこの臭いは下町情緒あふれると言えなくっもない。

 行き場を失った私たちは再びサンタ・クローチェ教会前に戻り、教会左手にある店でサンドイッチを購入して教会の縁石に座ってお昼ご飯。

 私のはスキャッチャータとこの地方で呼ばれるフォッカッチャのようなすこしフワフワしたオリーブオイルのしみたパンにトマトとバジルとモツァレラチーズをはさんでオリーブオイルと塩・こしょうをふっただけのシンプルなものだったが、これが旨い。モツァレラチーズがこんなにおいしかったとは。イタリア以外の国で食べるモツァレラチーズは食感は似ているがこんなにコクがない。モツァレラは味気ないという印象を持ってしまって敬遠してしまっていたが、本場イタリアのは旨いんだねぇ。

 昼食後はバルジェッロ国立博物館にてミケランジェロ、ドナテッロ、ギベルディ、ブルネッレスキとルネッサンスの大物彫刻家の作品を鑑賞。館内撮影禁止なので中庭しか撮影できないのが残念だった。ギベルディとブルネッレスキは1401年のドゥオーモ前にある洗礼堂の扉の浮彫コンクールで最後まで残った二人だが、その時の作品が並んで展示してあるので「やっぱりギベルディの方がバランスが取れていて優勝者にふさわしいね」などと評論家ぶるのも面白い。

昼休みのショップ店員か?くわえたばこと携帯がイタリア的

バルジェッロ国立博物館中庭

 1時間程で観賞を終えて、ダンテの家の前を通ってパッツィ・クアラテージ宮まで散策。この2つは外観だけを見学。パッツィ・クアラテージ宮は例のロレンツォ・デ・メディチと弟のジュリアーノを襲った事件でこの宮殿を共和国に没収されたそうだ。今日はパッツィ家絡みの場所はここで2ヶ所目だ。メディチ家を襲った事件は当時は相当なスキャンダルだったことだろう。今ならさしずめこの館前に相当のメディアが押し寄せて連日報道をするに違いない。
 

 これにて本日の観光は終了。午後2時半だが今日もまた頭の中はもう一杯だった。ここから中央駅よりももっと東にあるコムナーレ劇場まで歩いて行く気力がないのでバスを使う事にした。フィレンツェ市内の細い路地を小さめのオレンジ色のバスが走っている。停留所のマークのある場所で待っているとバスがやってくるのだ。チケットは事前にタバッキというタバコなどを売っている店などで買っておくと安いがバスに乗車して運転手から直接2ユーロで買う事ができた。

 折角訪ねたコムナーレのチケット窓口は土曜日のためにもう閉まっていたので、しかたなく駅まで歩いてキャンプ場に戻るバスに乗ろうとした。中央駅近くにも観光案内所がある。そういえばインターネットを使った安い電話屋さんをまだ見ていないので聞いてみると駅のそばに1軒あると教えてくれた。朝聞いた案内所ではそういう場所はないという回答だったので、案内所の情報というのはその周辺に限られるようだ。

 こうしてバスでキャンプ場に戻って夕食を終えて再びコンサートのためにバスで駅近くのコムナーレ劇場に戻ってきたのが午後8時過ぎ。一番安い当日券をEUR25で買って会場に入る。コムナーレ劇場は馬蹄形で客席が上の階に行くほど後方にかなり下がっているので3階席など一番安いチケットを買う場合はステージ正面よりも左右の席の方がステージ全体を間近で見られる。余っている席が左よりしかなかったので買ったが、丁度よかった。指揮者はOmer Meir Wellberというまだ若い男性だったが、とにかくよく動くし振付がかっこいい。前半はメンデルスゾーンとドヴォルザーク、後半はチャイコフスキー:交響曲第5番で素晴らしい演奏で会場もかなり沸いた。フィレンツェでは、観光客目当てのエンターテーメント的な演奏会も数多く開催されているが、やはりこの5月祭などはレベルがかなり高いので、こちらを選んで正解だったようだ。
 

 帰りもバスでキャンプ場まで戻り、シャワーなどを浴びて就寝したのは12時近く。完全燃焼の1日。


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