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2010.06.04
フィレンツェ観光(1)〜チェントロ地区
イタリア:フィレンツェ

  今日からフィレンツェ観光開始。今日はヴェッキオ橋を渡ってウフィッツィ美術館、科学博物館前を通ってシニョーリア広場。ランツィのロッジアを見学後、ヴェッキオ宮を見学(一人6ユーロ)し、ドゥオーモに向かう途中でオルサンミケーレ教会を見学し、ドゥオーモ外観と内部を見学。ここで昼食(万が一のために持ってきたパン)。ドゥオーモ広場の洗礼堂外観と内部見学(一人4ユーロ)、ジョットの鐘楼に登って(一人6ユーロ)フィレンツェの町を上部から観察。ジェラート(一人2ユーロ)を食べて帰る、という内容だった。

 朝9時20分にヴェッキオ橋を渡り、ジェラートを食べ終えたのがだいたい午後4時と初日から目一杯の観光になった。

 さて、詳細は・・・。

 朝8時46分にキャンプ場を出てミケランジェロ広場に行き、朝日に照らされたフィレンツェの市街地を見学。日本人観光客もこんな朝から大勢来ていて熱心に写真を撮影していた。この後、だいたい毎朝この時間に出かけて毎朝日本人団体観光客を見かけることになる。毎日、毎日日本人がこんなに押し寄せているなんてフィレンツェは人気なんだなぁ。



 アルノ川沿いにベッキオ橋に向かう道は朝日を背中から浴びてカーッと熱くなってくる。歩道の脇に自転車道があって同じ方向に自転車を走らせる通勤途中らしいイタリア人が何人も私たちを追い抜いて行った。この道はジョギングやウォーキングをする人の姿もよく見られるが、平日こういうことをするのは外国人が多いようだ。橋近くになるとベッキオ橋とウフィツィ美術館がアルノ川に写り込んで美しい風景を見せてくれた。

 ベッキオ橋の上には宝石店が並んでいる。まだ朝早くて開いていないお店が多いが観光客の人通りはすでに多かった。店の上部はベッキオ宮からピッティ宮に続くヴァザーリの回廊が続いているという面白い作りだ。

 単純に2階建になっているのでなく1階の屋根に2階のアーチから支えのような柱が出ているのが洒落ている。こんな様子1つとってもイタリアのデザインってかっこいいなぁと朝から感心しきりだった。帰りに通りがかった時は全てのお店が開いていたが中には日本人と思われる店員さんがいる店があった。あれだけ日本人観光客が押し寄せてくるのだから、日本人店員がいる店が受けるのも道理だ。

 ベッキオ橋を渡って右に折れ、ウフィッツィ美術館前を通って科学博物館前を通り過ぎたら左折してぐるっと回りこんでシニョーリア広場に向かった。

 この辺りの大きな建物は昔お屋敷だったろうが、壁には馬をつないでいたと思われる鉄の馬止めが今に残っている建物が多い。これがまた屋敷によって異なるから面白い。


 ウフィッツィ美術館を今度はアルノ川ではない側から眺めることになる。1階がアーケードになっていて左側に1番2番の扉、右手に3番の扉がある。1番は日時指定予約券のある人の入り口、2番は予約券なしの人の入り口、3番は予約券引換窓口だそうだが、どの窓口も長蛇の列でウフィッツィ美術館は大変なことになっていた。そんなに人気ならば予約しなきゃいけないのだろうか。ガイドブックには予約は電話ですることになっているが3番窓口で予約はできないのだろうか。それを聞くために1番窓口の列の先頭に行ってみると色々な人が係員にかみついている。ん?これはただ事ではないな。9時入場のチケットを持った男性が「もう9時半を過ぎているじゃないか、時間がないんだ、時間が」と必死の形相で叫んだ。

 すると係員が英語で「ですから10時までストライキなのでどうしようもないのです!」と大きな声で全員に説明した。ははーん、そういう事だったのか。この事態を見てますます予約はしない方がいいという結論に達したのだった。この騒ぎで3番窓口で予約できるかどうかもわからないし、とにかくいつの日か朝早起きして2番窓口に並ぶしかないという作戦が決定したのだった(後で写真でみたら予約は2番窓口で出きると書いてあった)。

 このアーケードの中庭側には所々にニッチがあって彫刻が並んでいる。フィレンツェ4回目にして初めてこういう彫刻に目がいったのだが、とても有名な人々の彫刻だった。どの彫刻も案外ハンサムなので実物そっくりとは言えないんじゃないかといぶかりながらも、有名な人々の作品を見て本人の顔を見られるというのは面白い。因みにこの中庭には似顔絵描きの画家が店を開いている。

ドナテッロ

ジョット

ダンテ

レオナルド・ダヴィンチ

 ウフィッツィ美術館を通りずぎるとシニョーリア広場に出る。左手にランツィのロッジア、手前にヴェッキオ宮があって華やかな雰囲気の広場だ。このロッジアの中には素晴らしい彫刻がいつくもあって無料でみられるってのが更に素晴らしい。
 

 ジャンボローニャの力強い構図は圧倒的な迫力で魅力的。こんな彫刻が一体あるだけでも十分に有名な公園として成り立つだろうに、シニョーリア広場にはロッジアだけで彫刻が15体もあるのだ。

ジャンボローニャ作

チェッリーニ作

ジャンボローニャ作

 更にベッキオ宮の入口前には左側に超有名ミケランジェロのダビデ像のコピー(オリジナルはアカデミア美術館所蔵)、右側にバンディネッリのヘラクレスとカークス。ダビデ像の左にはドナテッロの獅子の像、アンマンナーティ―の噴水、ジャンボローニャのコジモ一世の騎馬像が続く。いやー、もの凄いハイレベルのオンパレードに朝からクラクラする。
 

 そしてようやく第一番目の観光ポイント、ベッキオ宮に入ることにした。荷物チェックをしてチケット売り場に行くまでの道のりの中廊下がすでに豪華だった。華やかで繊細な天井画と1つずつ模様の違う柱に入った誰もが圧倒されて上を見上げてしばし立ち止まってしまうのだった。

 さて、6ユーロの入場券を買おうと窓口に並んでいると、通常料金でガイドツアーに申し込めるということが書いてある。チケット売り場でガイドツアーについて知りたいというとチケットを買う前に左手のガイドツアー窓口にまず行けと言われた。ガイドツアー窓口には英語が話せる人がいて、英語で1時間ほど主要な場所を解説して館内をツアーしてくれるのだと説明してくれた。ツアー後にもじっくりと館内を見たいなら再びチケット売り場で2ユーロ支払えば居残ることができる。ツアーは通常の観光客が入れない場所にも案内してくれるそうで、今日はヴィアンカ・カペッロの部屋に案内してくれるという。ヴィアンカ・カペッロ!

 フィレンツェに来るというので塩野七生さんの本を何冊か読んできた。その中でメディチ家のフランチェスコの愛人であり本妻死後は本夫人となったヴィアンカ・カペッロのエピソードが出てきていてとても身近に印象に残っていたので、ガイドツアーに参加することになった。ツアーに参加する人はこのガイドツアー窓口で予約をして予約券をチケット販売窓口に提出してチケットを買うという手続きになっていた。

 チケット売り場前で待っていると学芸員らしき男性がやってきてツアー開始。参加者は私たちを含め8人だった。

 最初に訪れたのは五百人広間。もともとはメディチ家統治以前の共和国の市民会議場として使われていたこの広間は今よりも8mも天井が低く、壁を飾る絵も豪華な天井もなくどちらかというと修道院のようだったそうだ。それがメディチ家のコジモ一世の時代になり共和制から緩やかに寡頭政治に移行する手段の一つとしてこの広間がコジモ一世の依頼でヴァザーリによって華やかに改装されたのだそうだ。壁の絵の正面向かって左手は共和制時代の戦いを描き、右手はメディチ家時代の戦いを描いているのだが共和制の兵士たちはギリシャ時代のような古い装束で武器も昔の物を使い、一方のメディチ家時代の兵士は当時最新の衣装と武器で戦っている。また、天井には多くの金を使い華やかさを出している。こうして共和制時代とは全く違う政治が始まるのだという様々なメッセージをこの広間は含んでいるのだという解説はとても面白かった。

五百人広間

天井

共和制時代の戦いの図

メディチ家時代の戦いの図

 広間の右壁面の絵画とその上にある窓の中で外の明かりが見えない窓がいくつか並んでいる。その窓と絵画の間に鉄格子の枠がはめられている部分がある。学芸員は「さて、あの鉄格子は何だと思いますか?空調窓でしょうか?正解は後ほど」と含みのある解説をしてこの場を終えた。

 他の部屋でもこの学芸員は絵の意味を教えてくれたりしたので、かなり面白かった。例えばメディチ家の信条として「ゆっくり急げ」というのがある。機を見たら俊敏に捉え、一度手に入れたら慎重に事を運べという家訓なのだそうだが、それが絵画には帆船の帆と亀で表現されている。コジモ一世の肖像画にも左側足元の盾に帆と亀が描かれていた。このコジモ一世の肖像画は彼が尊敬するローマ時代のアウグストゥスの時代の装束で描かれているのだが、盾の前にヤギが描かれているのはアウグストゥスの星座に因んでいるそうでコジモ一世の生年月日からいうとヤギ座ではないそうだ。などなど。今までは漠然と見ていた絵画だがヴェッキオ宮においていは特にコジモ一世の明確なメッセージが各所に含まれていて、それを見て理解しながら見学するのは新鮮な楽しみだった。

床の模様にもコジモの文字が。

扉にはメディチ家の紋章がばーんと入っている部屋もある。

 様々な部屋をまわりながら解説を受けて「地図の間」にたどり着いた。この部屋は中央に巨大な地球儀が置かれて当時発見されている限りの世界の地図を壁にはり巡らせてある。ところが、この壁に見える中で一ヵ所だけ隠し扉があるのだ。注意して見ないと気がつかないような扉を学芸員が開けて私たちを招き入れた。ここから奥が一般観光客が行けないビアンカ・カペッロの居室になっているのだった。部屋は思ったよりも小さく簡素だが、中庭に面して明るい光が入りベランダもついている快適な場所だった。

 そして部屋の一角に階段2段上がって窓がある。この窓には飾り格子が付けられていた。もしかしてここが!と覗いてみると眼下には五百人広間が広がっていた。
 

 このヴィアンカ・カペッロ住居から地図の間に戻ってきてガイドツアーは終了した。面白いエピソード満載のツアーだったが、この学芸員さんは本当に色々な事を知っているに違いなくこちらの力量によってはもっともっと面白い話が引き出せそうだった。

 せっかくなので私たちはもう一度最初から、学芸員さんから受けた解説を二人で復習しながら、さらにガイドブックの説明も読みつつじっくりと見てまわることにした。今にも壁から浮き出てきそうなだまし絵的な壁画の部屋、フランスのフィレンツェに対する軍事援助に敬意を表してフランス王家のユリの紋章を壁紙に使った部屋の装飾も素晴らしかった。結局、全てを再度見てまわって宮殿を出たら12時47分になっていた。ヴェッキオ宮に2時間40分いたことになる。

ユリの紋章の壁柄の部屋

隙間なく絵が描き込まれた礼拝堂は見事

五百人広間の彫刻

明るいフレスコ画の色彩が美しい部屋

 興奮していてあまり感じていなかったが宮殿の外に出た途端にお腹が空いていることに気付いた。

 シニョーリア広場から次の目的地のドゥオーモ広場に向かうカルツァイウォーリ通り沿いをキョロキョロしながら何か適当な食べ物を探して歩いていると、左手にオルサンミケーレ教会が見えた。もとは1階が小麦市場で2階からが礼拝堂だったという変わった建物だそうで、今は1階が閉じられている。この1階のニッチに飾られている彫刻がまたドナテッロやギベルディという彫刻家によるものだというから豪華だ。

 オルサンミケーレ教会の南側にHot Potというセルフサービスのレストランがある。セルフサービスとはカフェテリア形式でカウンター越しに見える好きな食べ物を選んで最後にお会計する方式で、通常のレストランよりは安いせいか観光客がたくさん入っていた。確かに安めなのだが、作り置きの料理ばかりでそれを考えるとコストパフォーマンスが悪くて食べる気になれなかった。

 ということで空腹を抱えながら歩いているとすぐにドゥオーモに到着してしまった。以前ここに二人で来たのはかれこれ12年も前になるだろうか。初めて見るわけではないのだがやっぱりフィレンツェのドゥオーモは素直に感動してしまう。緑とピンクと白の大理石の組み合わせにレンガ色のクーポラが青い空を背景に荘厳に立ちあがっている。

左から大聖堂、ジョットの鐘楼、クーポラ

大聖堂ファサード

大聖堂前の洗礼堂とドゥオーモ

 再び空腹を忘れて写真を撮りまくることになった。こうなったらついでに中にも入っておくか。ドゥオーモの中もまた天井が広くて立派だが外観ほどの驚きはあまりない。しかし、置いてある絵画や彫刻が一流芸術家のものなので、これもまたガイドブックとつきっきりで納得しながら見ていると時間がどんどんと過ぎ去ってしまった。

 ドゥオーモで今日見たかったのは、一番奥左手にある新聖具室だった。1487年のミサでメディチ家を快く思っていなかったパッツィ家がついに刺客を送り込み、ロレンツォ・イル・マニフィコが命からがら逃げ込んだのが新聖具室だったのだ。この時弟のジュリアーノは殺害されている。こうした歴史の息吹をその部屋を見ることで想像たくましく感じたいと思っていたのだが、奥の祭壇含め前方はロープを張っていて入れなかった。残念。

A.デル・カスターニョ作「傭兵隊長ニッコラ・ダ・トレンティーノ」(左)と
P.ウッチェロ作「傭兵隊長ジョヴァンニ・アクート」(右)

一番奥のクーポラの天井画はヴァザーリだって!

 ドゥオーモを見たらさすがに空腹でクラクラしてきたので外のベンチに座って万が一の為に持ってきていたスライスパンを食べた。どうやら今日のチェントロ地区はあまりにツーリスティックで気に入る店が見つからないようだった。

 昼食も済んだし、洗礼堂も見てしまおう。洗礼堂はコジモ・イル・ヴェッキオが支援していたどうしようもない堕落した法王レオ23世が祭られている。手持ちの本には、レオ23世は法王の座を去ってから強姦や近親相姦など様々な罪に問われたと書かれており、この洗礼堂の墓石に彫られた本人の彫刻が、その肉欲が死してなお現れているかのような脂ぎった表情をしているとあって、是非それを見てみたかったのだった。コジモ・イル・ヴェッキオがそんなレオ23世を支援したのもローマの法王庁の会計管理を一気に引き受ける権利を得るという算段があったからに他ならない。

 さてレオ23世の墓はドナテッロとミケエロッツォという当代一流の彫刻家の手によるものでいくら極悪非道で色魔の法王といえども品のある彫刻になっている。確かにふくよかでまだ死ぬには早すぎるような面立ちは脂ぎった肉欲が出ていると言えなくもないが、正直わからなかった。それにしても、こんなにまじまじと法王の墓を眺めているのは私くらいで、普通は天井画の撮影に忙しい。金色を多用した天井画は多くの人を魅了して中には中央に仰向けになって真剣に写真撮影している人もいた。

 本日最後の観光ポイントにして一番ハードなのは階段500段くらいを登るジョットの鐘楼。朝一番にこれをやってしまうと頭を使う美術館巡りがしんどいので最後にしたのだが、もう何も考える気力がないくらい頭の中がパンパンなので体を動かすのは丁度良かった。

 鐘楼の狭い階段をぐるぐると登りながら途中の景色の目線が上がって行くのは当たり前なのだが、見えている風景がドゥオーモのクーポラだったり、洗礼堂だったり、向こうにベッキオ宮、あれはサンマルコ修道院、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会と有名どころがどんどんと見えてくるので単に高い場所に登るより楽しい。


 ということで本日最後の写真はジョットの鐘楼の一番上から見たフィレンツェの風景。いやー、初日から濃い観光だった。



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