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2008.09.02
オペラ「リゴレット」の舞台、マントヴァ
ガルダ湖から真っ直ぐ南に30kmほど下った場所にあるマントヴァ。ヴェルディのオペラ「リゴレット」は浮気で色男のマントヴァ公爵に本気で恋をしてしまった娘とその父リゴレットの悲劇のオペラである。最近ヴェルディづいているので、リゴレットの舞台であるマントヴァにも行ってみよう!ってことで日帰り旅行を計画。
ガルダ湖のキャンプ場近くから高速に乗ってマントヴァ近くの高速で降りるために、1時間とかからずに到着できた。マントヴァは北側が湖に突き出した半島のようになった町なのでガルダ湖からアプローチすると最後に橋を渡ってから市街に入ることになる。橋を渡る頃には教会のクーポラなどが見え初めて古都らしい雰囲気が町に入る前から感じられるのだった。
観光は教会や宮殿の集まった町の中心地とそこから1.2kmくらい離れた場所にあるゴンザーガ家の別荘「テ離宮」である。郊外の駐車場の方が安全そうだし安そうなので私たちは「テ離宮」付近に駐車して歩いて町の中心地まで行って観光するというおおまかな計画。テ離宮と町の中心地の間にはバスも走っているらしいので疲れたらバスを利用すればいいじゃないかという判断だった。結局町をぶらぶら見ながら歩いていると全て徒歩で済ませることができたし、テ離宮の駐車料金は1ユーロで8時間だったか12時間だったか忘れたけど1日の観光をカバーできるシステムになっていて格安だった。
入場料金を支払って宮殿内に入ると各部屋ごとにイタリア語と英語の説明パネルがおいてあって、各自読んで理解せよってことになっている。保存状態のあまりよくない部屋もあるがガイドブックに必見とかかれていたジュリオ・ロマーノによる「巨人の間」が一番見ごたえがあった。壁4面をまんべんなく使って天井まで一杯に描かれた迫力ある絵はこちらに覆いかぶさってくるようなイメージで見飽きることがなかった。
他にも馬好きだったらしいゴンザーガ家の領主の希望で壁中に馬が描かれている馬の間や流行だったのだろうか気持ちの悪い人間というか悪魔のような顔が壁の彫刻や壁のフレスコ画の果物の中に描かれるグロテスク装飾が多い。この世に存在する人、物、花などをそのまま美しく描くのではなく醜く気持ち悪く描くグロテスクがどうして流行したのかはわからないが、どこの世の中でも領主とか公爵とか王というのは結局人の領地や利益を強奪して力を蓄えてドンになったという経緯があるだろうから、そういう自分の醜さを見てみたい、醜さに包まれると安心するというような心理が働いてそうなったんじゃないかと私たちは勝手に推測して見学してまわった。
見ごたえのあるフレスコ画もあるにはあったが、これで入場料8ユーロは次に見たゴンザーガ家のドゥカーレ宮殿に比べると高い。どちらか一つしか見る時間がないのなら絶対にドゥカーレ宮殿をお勧めするなぁ。
テ離宮の西端から北部の町の中心にまっすぐに伸びる道をぶらぶら歩くと、左手にアンドレア・マンテーニャが人生の後半を過ごした家がある。中は見学しなかったが、ミラノのブレラ絵画館の中でも必見の作品「死せるキリスト」を描いたマンテーニャは、1460年29歳の時にロドヴィーゴ・ゴンザーガに家と報酬を保証されて以来、亡くなるまでマントヴァで暮らしていたのだそうだ。
あのミラノの絵画館で見た絵画を描いた画家が半生を過ごした家をマントヴァで目にしている。ヨーロッパを旅する醍醐味の一つは、自分の足で周った場所が他で出会った事象とリンクして自分の中にストンと落ちる瞬間じゃないだろうか。歴史や文化が多彩な色糸を使った織物のように綾なしているヨーロッパではこういう発見や出会いが多々あって楽しい。
町を東西に横切る湖から伸びた運河を橋で渡ると通りは急に狭くなり両脇の建物が迫った感じになる。この道を進んでいくと道の向こうに教会の塔とクーポラが見えてきて、中心部にあるサンタンドレア教会がもうすぐであることを教えてくれる。
サンタンドレア教会の内部入り口のすぐ左手の礼拝堂には先ほどのマンテーニャのお墓とブロンズ像がある。29歳で大領主に雇われて50年近くマントヴァで画家人生を歩んでマントヴァで没したってわけだ。なかなか安泰だった人生にも見えるが権謀術数が渦巻く領主にお仕えするというのもなかなか生易しいものではなかっただろう。マンテーニャさんという人は、画家としての才能だけでなくそういう面でも長けた人だったのかもしれない。ま、勝手な推測ですが。
ガイドブックを読んでいるとルネッサンス建築の傑作、ゴシック様式、14世紀、15世紀などという文字が躍っているのだが、とにかくここまで歩いて来て喉が渇いちゃったんだよねぇ。ということで例によってジェラード休憩。
ジェラード屋をのぞくと、ジェラードの隣に色鮮やかなシャーベットが並んでいる。今日はこれにしてみよう。2.2ユーロと普通のジェラードよりも少し値段が高いが私の買った木苺などはプツプツと種まで入って果物そのものを冷凍して食べているようだが、それでいて酸っぱすぎず適度に甘味があっておいしい。今までこういうのは見たことがなかったからマントヴァ名物?
メキシコにも果汁絞って固めただけっていうアイスキャンディーのチェーン店「ミチョアカアン」っていうのがあったなぁ。もっと素朴な長方形のアイスキャンディー型でビニール袋に入っているんじゃなかったっけ?そういうのに比べると、プラスチックのカップにアイスキャンディー棒が突き刺さっていて、購入したら両手で容器を少し温めて棒をぐるぐる回して取り出すというのも楽しく、こういう所がイタリアっぽいと感じさせた。
時刻は昼時。さーてお昼ご飯をどうしようか。
リストランテ、ピッツェリア、トラットリアなどマントヴァの中心地にはいくつかの店があったがコペルトという席料が2ユーロや3ユーロ別途かかってくるしチップをつけると一人15ユーロくらいになってしまいそう。むむむと唸って裏路地に入ったら、観光客なんて一人も入っていなくて地元で働いている人がお昼ご飯に利用しているカフェテリア形式の店が見つかった。トレーを持ってカウンターに並んだお惣菜や今日のメニューをカウンター越しにお皿によそってもらって、最後に会計するっていうあの方式ですね。見るとお皿に好きだけ盛れる前菜ビュッフェもあって悪くない。しかもメインのパスタやリゾットは4ユーロ以下。いいですねぇ。ここにしましょう。いわゆるイタリアンの前菜って、ここで初めて食べることになった。いやー、今回のイタリア旅行はものすごい節約モードだ。働いていた頃のイタリア旅行なんてガイドブックに乗っているたっかーい店に乗り込んでいったものだったなぁ。もっともあの頃はイタリアはリラで円が強かったので、円換算しても物凄く安かったという理由もある。それに比べるとユーロになった上にユーロ高の今は厳しいです。
昼食後はぶらついていた時に目をつけていたカフェでエスプレッソとケーキ。イタリアのケーキはタルトのようにちょっと硬い生地を使った中にあまり甘くないカスタードやカボチャのフィリングなどが入っていておいしかった。
ゆっくりと食後のお茶をすませて、今度はゴンザーガ家のドゥカーレ宮殿の観光。
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宮殿内の作品は撮影禁止なので中庭の写真。向こうに湖が見える。 |
ソルデッロ広場に面して正面にドゥオーモが立ち、宮殿は左手になる。ドゥオーモの華麗なファサードに比べると宮殿の外観はむしろ地味な装いだが、内部はどこまでも広くて朝のテ離宮に比べるとずっと見ごたえがあった。見ごたえありすぎて詳細に見ていくとヒーヒーと疲れるくらい。これで6.5ユーロとテ離宮よりも入場料金が安いから尚いいじゃないか。
お城の中は改築、増築を重ねたせいか一つの順路にはなっていたい。ある方向まで全て見終わると戻ってメインの順路に戻り、また枝の回廊を見て周って戻るというようになっている。ちょっと飛ばそうかなぁなんて思っても、角々に立っている係員に「いやいや、次はこちらですから」と案内されて間引いて見るってのはジェントルに許されない。
目玉はマンテーニャが描いたゴンザーガ一族が描かれている「結婚の間」。ガイドブックには別途予約が必要だと書かれていたがそんなことはなく、そのまま入れた。これは必見だ。宮殿に数ある作品の中でも一際優れている。やっぱり後世に名を残す人の作品ってのは違うもんだと、くたくたな中で思った。くたくたになってやっと見えてくることもある。マンテーニャだけ見せられたらわからなかっただろうなぁ。
ところで私たちがマントヴァを訪れようと計画した発端はリゴレットだった。マントヴァの町並みでマントヴァ公爵時代の息吹は感じられたとしてリゴレットの家があるってんだけど、それはどーなっているんだ。
すっかりゴンザーガ家漬けになっていたが、ここに至ってやっとリゴレットの家を訪ねてみた。リゴレットはゴンザーガ家の前のマントヴァ公爵お抱えの道化師だったのだが、彼の家は今は観光案内所として使われている。小さな家の小さな中庭には道化師の姿をしたリゴレット父さんの銅像がややしょんぼりと立っている。以上でリゴレットの家はお終いである。あれ?これだけ?・・・。そう。これだけだった。
15世紀から16世紀にマントヴァ公爵領として、その後は400年の長きに渡ってゴンザーガ家が公国としておさめたという歴史があり、現在残っている目玉の観光スポットとしてはどちらかというとゴンザーガ家のものが多い、それがマントヴァだった。
でもまぁ、ミラノで見たマンテーニャの作品から始まって彼の家、墓、他の作品を見て、彼の雇い主のゴンザーガ家の繁栄振りを眼にし、リゴレットのオペラで描かれる町並みの趣を残したマントヴァを散策できた。なかなか充実した一日。
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