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2011.07.11
フランスのファンタジック教育現場を目撃!
今日はパリ北東に約80kmにあるコンピエーニュの町のコンピエーニュ宮殿、そこからほど近いピエルフォンにある中世スタイルのお城を見に行くドライブをしてきた。
コンピエーニュ宮殿はルイ15世の時に建築がはじまり、マリー・アントワネットもいずれ住む宮殿として内装を整えたりしたのだが、フランス革命が始まり住むことなく断頭台の露と消えた。そして、実際にここを利用し始めたのはナポレオン1世で、宮殿に多くの人々が集まって狩りや宴が行われ、城として一番栄えたのはナポレオン3世の時代だったそうだ。
内部見学は入場料金6.5ユーロを支払うとオーディオガイドがついてくる。日本語もあるので思わずじっくりと聞いてしまい、予想以上に観光に時間をかけた場所になった。
宮殿内はナポレオン1世の居室を始め感じのいい内装の部屋を見てまわるとともに、ナポレオン1世、3世、3世皇后のウジェニーらのかなりレベルの高い彫刻が楽しめた。カノーヴァの作品もあったようで、こんな所でイタリアのカノーヴァの作品に出会えると思っていなかったから嬉しい驚きだった。
さて、こんな宮殿見学をしている最中に、ちょっと面白い光景に出会った。
フランスあるいはフランス人に対して持つイメージは人によって様々だろう。私も出会った人や本などを読んでかなり偏見ともいえるイメージも持っているが、その中の一つに「フランス人は頭の中がややファンタジーな所がある」というのがある。決してネガティブなイメージではなく、この印象はフランス人に数学者が多いということ、ファッション業界でデザイナーが多いこと、フランスのブティックで独特のデザインがあること、そして毎年6月の夏至に行われるフェット・ド・ラ・ムジークという音楽の祭典を2回目撃した経験から来ている。
この音楽祭り、一度目はパリで見たのだが、中にパレードがあって、宮崎映画にでもでてきそうな大きな鉄でできたパレード車からシャボン玉を出しながら周囲でピエロが踊っているというものだった。夜空に浮かぶシャボン玉にライトがあてられると虹色になり、その不思議な光景は夢の中の世界のようだった。そして今年はスミュール・アン・オーソワというブルゴーニュ地方の町で見たのだが、ここのステージで一般市民が発表会をしているダンスもファンタジックな独創的な振り付けで、「ああ、フランス人ってなんてファンタジックなんだろう」という思いを強くしたばかりなのだった。
そして今日の出来事は・・・。
宮殿内の図書館にさしかかった時だった。中世のお姫様のコスチュームの若い女性が本棚の前にたたずんでいる。
見学?
そんな事はあるまいが、なぜ彼女は一人でここにたたずんでいるのだろうか。全く意味がわからないまま、そこを通りすぎたのだった。
そして次に同じようなコスチュームの女性を目撃したのがタペストリーの間だった。今度の女性は絵の入っていない額縁を顔の前に掲げてじっと立っている。
オブジェだろうか?どういう意図なのだろうか?
ますます疑問が高まってきた丁度その時、背後からがややと声がして先生に引率された小学生の見学者が入ってきた。彼らは室内をずーっと横切って、あの枠を掲げているドレスのお姉さんの前でピタリととまったのだった。
先生は生徒たちに話しかけながら、そっとドレスのお姉さんの枠をはずすと、今まで絵画の中でピクリとも動かなかったお姉さんが、急に現実世界にやってきたようにお辞儀をしてしゃべりだしたのだった。高学年の子はお芝居を見るように楽しげに見ているし、低学年の子供はお姉さんが本当に絵の世界からやってきたのを信じているかのように口をあんぐりさせていた。
しばらくお話してから、お姉さんは「それでは、皆もっと絵が見たい?私のお話が聞きたい?」と囁くような声で静かに言うと、みんなも囁くような声で「ウィーーーー」といいながらドレスのお姉さんのあとについて、タペストリー部屋の反対側に移動し再び説明が始まった。お姉さんが話すばかりでなく、小学生の一人を立ち上がらせて自由に語らせている場面もあった。創造した話を披露しているのかもしれない。
ひとしきりインタラクティブな解説が終わると、ドレスのお姉さんは再びみんなに聞いて、皆も「ウィーーーー」と囁きながらお姉さんについて別の部屋に行ってしまった。
やっぱり、フランスは並みではない。日本の美術館や博物館で学芸員さんがこんな事をやってくれていいる所はあるのだろうか?日光江戸村くらいしか思いつかない。日本の子供にやってみせた所で「何やってんの?嘘じゃん、これ」などとファンタジーをファンタジーとして楽しむ事がわからないのではないだろうか?
なるほどねぇ。こんな事を子供の頃から日常茶飯事にやっていたら、そりゃぁ数学者も出ようかという感じがする。今日の宮殿見学は、このファンタジック教育を目撃できたというおまけ付きもあって、より充実したのだった。
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