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2011.05.06 Vol.4
WWOOFerになってみよう!〜いよいよ開始
こうして最初にコンタクトしてから約2ヵ月後、あと1週間でWWOOFer生活が始まるという時点で、最初の家に確認のメールと到着時刻の報告メールを送った。
すると、その返事に「あらあら、大変。そういえば、あなたたちが来る事をすっかり忘れていました。お部屋はあるから大丈夫よ。当日、私は不在なので到着したらテッサという女性に色々教えてもらっておいてね。」というオーナーからのメール。いやー、手配が早かったからとはいえ、忘れられているとは思わなかったので、あまりに期待されていない事に拍子抜けした。こちらが不安と期待の入り混じった気持を高めている程には相手は私達に何も期待していない事を知って、何だか気が楽になってくるできごとだった。
WWOOFerで車を持たない場合は、WWOOFの家の紹介文の中に必ずどの場所まで車で迎えに来ると表記されているので、その場所に何日の何時に到着するのかを知らせておく。私達の場合は自分の車で行くので、前日に滞在しているキャンプ地の地名と、出発時間と、おおよその到着時間を知らせておいた。それはいいとして、WWOOFの家はもちろんガイドブックなどには記載されていない小さな小さな村にある。滞在先の家が決まった時にGoogleマップで広範囲から最大に拡大した場合の範囲の地図まで程度ごとに3つくらいデータをとりこんでおき、実際にヨーロッパ旅行が始まってから購入したフランスの20万分の1の地図と見比べてWWOOFの家を訪ねることになった。
大きな通りから段々と細い通りに入って行き、最終的に家に通じるはずの小路を走り初めてからだんだんといやーな予感がしてきた。あまりに道が細すぎる。途中から未舗装の道路になり、車一台がやっと通れる幅になってきてしまった先で道は突然林に突っ込んで終わってしまった。
なにーーー?Googleさんの地図じゃぁちゃんと先に通じていたのに。
初回からいきなり道に迷ってしまった。コンピュータを開けて地図を見てもラチが開かないので、道が終わってしまった場所に一番近い家を訪ねて道を聞くことになった。出てきた女性は英語が話せないフランス人女性。おお、いきなりフランス語の実践編になってしまった。この数ヵ月で勉強した実力を振り絞って何とか説明した所、何とこの女性は自分の車で誘導してくれるというではないか!なんと親切な人だろう。というか、あまりにフランス語ができない私たちに口で説明するよりも連れていった方が早いと判断したのかもしれない。
ともかくも、この親切な女性に連れられてはっきりとたどり着ける場所まで案内してもらったのだった。それにしても、この女性は住所だけからよくわかったなぁと思っていた。後から家の人に聞いたら、この家の裏手に広がる草原の斜面を上りきった場所が私達が道を見失った地点だと言われた。見に行ったら、本当にあと500mという場所まで来ていたことがわかった。結局、もの凄いご近所さんに道案内してもらっていたのだった。あの時にあんまりにも焦っていたので、コンピュータを取りだした時に開けた車後部のハッチバックの扉を開け放したまま途中まで車を走らせていて、テントの下に敷く防水マットを落としてなくしてしまっていた。数日後に見に行ったけれどとっくにない。せめて、案内してくれた人の持ち物になっていることを願うばかりだった。それにしても親切なご近所さんに助けられた初日だった。
ようやく到着した家は道路に面した門から私道を200mほど奥に入った場所にあった。適当に車を停めて、目に着いた建物をのぞいてみるが人影がない。
「こんにちはー、こんにちはー」と声をかけていくと、ある建物から女性が出てきたので、さっそく「ええっとぉ、ジュマペール・アキコ」と自己紹介らしきものを始めようとしたら、彼女はどうにも「違う、違う」と言っている。どうやら家を間違えた?
わけがわからないまま、彼女が指し示す隣の大きな家の方がオーナー宅らしいのでそちらを訪ねることにした。しかし、この母屋にも誰もいない。ぐるぐると見渡すと遠くに人影が見えたので、そちらに近寄って話してみたら、その人がテッサだった。テッサは私達と同じウーファーだが、もう長く滞在しているので全てを把握しているようだった。さっき間違えて訪ねてしまったのはオーナーが保有するアパートだそうだ。ということで、ここの家はアパート経営とB&Bと有機農業をやっていることがわかった。
テッサが早速、私達の滞在する部屋に案内してくれて、新しいシーツなどを渡してくれた。後からこの家の長男に会ってわかったのだが、私達があてがわれたのは今はもう結婚して家を出て行ってしまった彼が使っていた部屋だった。説明されてあらためて写真立ての顔をよくみたら、若い頃の長男の写真だった。
彼の蔵書やギターやスノーボードなども適当にその辺に置いてあって、ここはこの家のゲストルームですらない。
こんなに特定の人の持ち物や思い出の詰まった部屋に宿泊するなんて事は生れて初めてなんじゃないだろうか。いきなり見ず知らずのお宅を訪問して、一番ディープな所にズッポリと入りこんでしまうというのは、とても妙な気分だった。不愉快というのではなくて、逆にちょっと面白いと感じた。
とりあえず、荷ほどきなどをしていたらお昼過ぎになってきて、そのままランチタイムに突入したので最初の顔合わせはランチのテーブルの席ということになった。もっとも、この日はオーナー婦人もウーファー監督係の二男も不在で、昼食の席にはウーファーのアメリカ人女性二人と手伝いに来ている近所のフランス人男性一人と私達二人の計5人がついた。
テッサはアメリカ人とはいえ、もう数ヵ月もこの家に滞在しているのでサラダやドレッシングの造り方はフランス流。レタスとチコリと小さなレタスのような菜種系の味のする葉野菜をミックスしたサラダは、絶妙な味の組み合わせでとてもおいしかった。こんなにサラダがおいしいと思ったのは、正直生れて初めてだろう。またドレッシングもディジョンという地方のマスタードとバルサミコ酢とオリーブオイルを適当な分量で混ぜた簡単なものだったが、とてもおいしい。この組み合わせ、実はこの家だけでなく後に体験するどの家でも同じ事を行っていたので、フランス定番のサラダということになる。この3種の葉野菜にマッシュルーム、トマト、ほうれん草、豆類、オリーブなど好きな具を加えていくようだった。こんな簡単な事だけれど、自分たちでキャンプ生活を送っていてはわからないことだった。
到着して2時間と経たないうちに、私が予想していた「本場のフランス生活」に早くも触れる事ができて嬉しくなってしまった。
それにしても、広い緑の芝生の庭の木陰で食べるランチは何ともいえず素敵だった。プロヴァンスの強い日差しがちらちらと木陰から漏れてくる下で、たっぷりと新鮮な野菜と美味しいパスタを食べ、食後にはさらにたっぷりとチーズ。それからコーヒーとチョコレート。ウーファーというだけで、突然見ず知らずの家に飛び込んで部屋に乗り込み、たっぷりと食事をしている私達を何の不信感もなく受け入れてくれている人たちがいる。ウーファーとは実に不思議な制度だ。最初の頃は、夫と二人で「いやー、不思議だよねぇ」と連発していた。
初日は休憩してくれていいとテッサは言ってくれたが、私たちは日本から来たわけでもなくお昼ご飯もたっぷり食べてしまったので、午後からは仕事を手伝うことにした。
テッサたちがやっている仕事は、堆肥を作る場所の移動作業だった。畑から抜いてきた雑草や食事の際に出る生ごみを堆肥の上に積み上げていくと、いつしか農作物を作るのに適したいい土ができる。有機農業を行っている家では必ずこうした堆肥を作る場所があって、生ごみは全てそこに捨てるようにしていた。この家では、以前に木で枠を作って堆肥を作る場所を囲っていたのだが、その木さえもバクテリアの働きで朽ちてボロボロになってきたので、別の場所にブロックを積んで囲いを作り新しい堆肥所を作ってあった。今の作業は古い方から新しい方に堆肥を移動するという作業だった。
久しぶりに体を動かす作業で、わずか2時間だったが汗だくでヘトヘト。しかしすっきりと心地よい疲労感でもあった。
この家では夕方の作業後、夕飯の準備前にシャワーを浴びる事になっているようだ。私達にとっては丁度都合のいいタイミングでのシャワータイムだった。
全員がさっぱりとした頃から、夕飯の準備が始まった。この頃には監督係の二男も戻ってきて夕飯を一緒に作ることになった。夕飯はタンドリーチキンソースを使ったチキンカレーのような物とご飯。以外にもアジアな食事だったが、ここでも「カイエンヌペッパー」という私にとっては新しい調味料が登場。ピリッと唐辛子のような刺激のある食塩は南アメリカのフレンチギアナの首都の名前でそこから来ていると二男から説明された。カリブ海やその周辺に植民地を持っていたフランスは音楽や食文化なども彼の地から取り入れていることを肌身で感じた。
夕食後、週末とあってお隣のアパートの住民が集まって飲み会を開くと言う。行ってみると中庭に大きなテーブルとたくさんの椅子がおかれて、どうやら持ち寄りパーティーを開くようだった。住民は20代、30代のカップルが多くて学生生活の延長みたいな週末パーティーがとても楽しみみたい。嵐のようにフランス語が行き交う夜となった。
いきなり濃いフランス文化体験をさせてもらった初日だった。さー、明日からどーなることやら。
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