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2009.06.17
パウ・カザルス博物館
東京の御茶ノ水にカザルスホールという音楽ホールがある。中に入ったことはないがな何度か通りかかって名前は知っていたし、夫が彼がアメリカのホワイトハウスでケネディーを前にして演奏したチェロコンサートのCDを持っていて聞かせてくれていた。そのホールの名前に関されているカザルスがカタルーニャの人だということは、バルセロナでキャンプの旅を始める前の準備でガイドブックを読んで初めて知った。
カザルスの生まれ故郷であり本人が夏を過ごした家が今博物館になっているという。シッチェスからは車でゆっくりと下の道を走って1時間。ビーチが目の前に広がる素敵な場所に博物館があった。
一人6ユーロの入場料を支払うと何と日本語のリーフレットをくれる。ここには彼の略歴、紹介文、そして亡くなる2年前の1971年に国連で「平和のメダル」を受賞した時のスピーチの日本語訳などが書かれていて、とてもよくわかる解説になっていた。
館内は彼の幼少期から年代を追って展示されている。これらの展示は英語でも解説されているし、時間がくると動画が動いてより臨場感が感じられる工夫がされていた。また、ミニコンサートサロンではカザルス本人の演奏フィルムを流して見せてくれた。他に誰もお客さんがいないこともあって、この広くて気持ちのいい邸宅でカザルス氏についての展示を見ている時間がとても贅沢に思われた。
カザルス氏は人生の後半、フランコ独裁政権に反対するスペイン市民戦争に参加し、フランコ将軍を指示するならばコンサートは拒否するとロシアやドイツに名言し、自らはフランスに亡命。二度とこの場所に戻ることがなかったという波乱の人生を歩んでいる。展示の後半はその辺りも詳しく紹介していて、彼が音楽家としてだけでなくカタルーニャ人としてあるいは人間として断固として独裁者に立ち向かった姿勢がよく理解できたのもよかった。体制に反することの難しさは第二次世界大戦時の日本を思えば、あるいはドイツを思えば理解しやすい。そういう状況下において戦ったカザルス氏、そしてカタルーニャの人々の勇気にも敬服した1日だった。
展示を見て邸宅を出たら花の咲き乱れる庭園でサンドイッチをぱくつく。目の前が海なので潮風が心地よく鼻をくすぐる環境だ。そんな事を感じると、こんなにゆったりとした、こんなに平和な家を離れて亡命せざるを得なかった氏の悲しみ、怒り、それ故に確立されていく信念といったものがより強く理解できるのだった。とても質の良い博物館。帰り際に氏の演奏を収録したCD2枚組みを買って聞きながら帰った。
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